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「古き良き日本」が残る台湾

2021-05-17 15:42:30 | メモ帳
最近、米中の確執が激化する中、台湾が台風の目となった感がある。そこで、台湾事情を知りたいと考え、選んだ書物が「台湾を知ると世界が見える」(以下、同書)(藤井厳喜、林建良著、ダイレクト出版)。

同書は台湾と日本の関わり合いについて述べており、林建良氏は台湾独立建国連盟日本支部中央委員で、現在日本で医師をしている。

同書から、台湾の文化と日本観に関して、印象に残った箇所を抜き出してみる。(赤字)

●台湾は多民族(16部族)だから多元文化であり、中國文化はそのひとつにすぎない。一方、チャイナは中華文明がもっとも優れていると考える一元文化。中華思想による優越感、日本が先に先進国になったという劣等感、日本に侵略されたという復讐意識、この三つがないまぜになっているのが、現代チャイナの対日観。国民の意識を統一する愛国教育が盛んだが、その中身は反日教育。

●台湾には日本統治時代の有形・無形の文化財が今なお残されている。
有形文化財では、鉄道、道路、港湾、水利などの基本的インフラ。
無形文化財では、教育(学校建設)、医療(衛生概念)、日本精神(清潔、規律、正義感、冒険心)がある。その規律とは、遵法意識、時間を守る意識、礼節を守る意識であり、「古き良き日本」の伝統精神が受け継がれている。

一方、韓国は日本併合時代の残滓をすべて消そうと躍起である。総督府の建物も爆破されたが、台湾では総督府の建物は今でも台湾総統府として使われている。日本は朝鮮と台湾で、同じような統治をおこなったが、真逆の結果になっている。

●台湾の経済発展に尽力した日本人を挙げる。
新渡戸稲造: 砂糖キビの品種改良と製糖工場の建設により、製糖業を主要産業に仕上げた。
八田与一:烏山頭ダムや灌漑水路を建設した。灌漑水路は16,000キロにも及び、万里の長城より長い。この二つにより、不毛の地と呼ばれた台南県の嘉南平野を肥沃な平野に変えた。
磯永吉:日本の米を改良して蓬莱米(ほうらいまい)を作った。今でも味は変わらない。
松木乾一郎:水力発電所を作った
浜野弥四郎:水道を建設した。

●神様として祀られた日本人
(1)台南市にある「鎮安堂・飛虎将軍廟」:
昭和19年(1944)、米空母から発進した米軍機によって撃墜されたゼロ戦が、市街地を避けて畑に墜落した。乗っていた杉浦兵曹長は住民によって祀られ、飛虎将軍と名づけられた。今でも、廟では「君が代」と「海ゆかば」が毎日、斉唱される。

(2)「義愛公」と敬われる巡査:
嘉義県の森川清二郎巡査は、寺子屋で村民の教育を行っていた(明治30年)。総督府の漁業税制定に反対したところ、かえって懲罰処分を受け、自殺した。村民は義愛公の尊称で敬い、富安廟に祀った。その神像は複数作られ、今なお各地に貸し出されている。

●戦後の日本は、戦前の日本のすべてを悪にして自分たちがいかに駄目な民族か、罪深い民族かと教育し、マスコミもそのように報道してきた。しかし、台湾という存在が、日本がやってきたことの正しさを証明している。

日本はもっと自信をもつべきだ。自信を持てば、将来についても希望を持てる。東京裁判史観を真に受けていたことの解毒剤は台湾である。

1895年(明治28年)日清戦争の結果、台湾は日本に割譲され、それから50年間、日本の領土として統治された。日清講和条約が締結された際、清国代表の李鴻章は伊藤博文に「なぜ、あんなにひどい所を望んだのか。男はみな盗賊で、女はみな娼婦。おまけにしょっちゅう伝染病がはびこる」と言ったらしい。つまり、日本は清国が持て余していた台湾を欲しがった。

そのわけは、日清戦争の16年前に日本は沖縄県を設置しており、国防の拠点として、沖縄の目と鼻の先にある台湾を手に入れたかったのだろう。当時は、清国に勝ったばかりだったが、それでも日本の首脳は清国を将来の仮想敵国と考えていたのではないか。

それが今や現実のものとなった。中国は日本を属国にすることを究極の目標としており、その第一歩が台湾である。中国は台湾獲得の意思を露わにしているが、日本はなんとしてでもその野望を妨げなくてはならない。平和ボケの日本人はこのことをどれだけ理解しているのか、疑問である。


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2 コメント

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こんにちは (続強子の部屋)
2021-05-17 16:42:05
台湾と言えば、私の幼い頃、
勇猛果敢な高砂族の写真を見たことがあります。
日本人として戦った勇者と聞きました。
昭和の頃、中村輝夫さんという兵士が敗戦を知らず、
ミンダナオ島?で発見されました。
その人こそ勇猛果敢な高砂族でした。
なぜお名前をいまでも覚えているのかしら。
不思議です。
少しずれたコメントでごめんなさい。
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台湾 (頑固爺)
2021-05-17 16:51:53
続強子の部屋様
高砂族は私も記憶にあります。そういう子どもの頃の記憶があるのはヘンではありません。私も「♬勝ってくるぞと勇ましく」といった軍歌をまだ覚えているのですから(笑)。
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