「こんなに明るかった朝鮮支配」(但馬オサム著、ビジネス社刊)は、日韓併合時代における大衆の生活水準を新聞・雑誌に掲載された広告から推測しようと試みるユニークな著作である。
但馬氏曰く:併合時代、半島の人々は被搾取者ではなく、立派な「消費者」だった。化粧品もキャラメルも自動車も稼ぎに応じて好きに買えた。・・・併合時代の朝鮮人が目も耳も口も塞がれた、主体性をもたぬ奴隷だったと主張するのは、それこそ自分たちのご先祖さまに対する冒涜であり、韓国流の「自虐史観」そのものである。
本書に収められた300件の広告を見ると、当時は現代とさして変わりない商品・サービスが提供されていたことがわかる。例えば、「大学目薬」・「中将湯」(婦人病全般)・強壮剤・寄生虫駆除剤などの薬品類や白粉・香水・石鹸・脱毛剤などの化粧品類、チョコレートや「森永ミルクキャラメル」の菓子類などの商品は基本的には現代でも大同小異である。
下に貼り付けた「実効散」という滋養強壮剤の広告をご覧いただく。右側にある「祝孫南両君優勝」とは、昭和11年(1936年)のベルリン五輪で孫基禎選手が優勝、南昇龍選手が三位になったことへの祝辞である。イラストのランナーの胸に日の丸が入っているのは、もちろん両選手が日本代表であったから。
下に貼り付けた米国産自動車の広告をご覧いただく。半島には日本人も数多く住んでいたが、ハングル表示もあることから、半島人を販売対象にしていることがわかる。ハングル文字が入った自動車運転学校の広告もある。
案外知られていないことは、日韓併合が半島女性の解放をもたらしたこと。当時、日本でも男尊女卑だったが、半島ではその比ではなく、女性の地位は格段に低かった。それが、日韓併合とともに、女性の地位向上が叫ばれるようになり、しばしば美人コンテストが開催された。そして、審査員には女性解放の闘士が名を連ねていた。
下に貼り付けたのは、当時の代表的女性雑誌の表紙である。チマチョゴリを脱ぎ、洋風に装った女性が男性を後ろに従えて颯爽と歩く姿は併合前にはなかった風俗だ。すなわち、ライフスタイルの画期的変化である。ちなみに、「別乾坤」とは別天地という意味。
本書に掲載された広告について、あまり詳しく説明することはルール違反なので、このへんでやめる。
ともあれ、これらの広告から読み取れることは、その広告によって購買意欲を刺激される消費者がいたということ。そして、その消費活動に見合う所得があったということ。すなわち、活発な経済活動が行われていたのである。
韓国人は「日韓併合の36年間を、人類史上例のない過酷な植民地支配の時代だった」とか「日本は韓国人の文化や言葉を奪った」と主張するが、本書を読めば、それはとんでもない大嘘であることがわかる。そして、それがとりもなおさず但馬オサム氏の意図することでもある。但馬氏に拍手を贈る。
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