義仲寺 |
源義仲の墓 |
芭蕉の墓 |
芭蕉句碑 旅に病んで 夢は枯れ野をかけ廻る |
巴御前供養塔 |
伊藤若冲の天井画 |
2日目はJR東海道線で膳所まで行き、駅から10分くらい歩いて、 源義仲(源頼朝の従弟)と松尾芭蕉の墓がある義仲寺に行きました。 義仲は、幼い頃、父の義賢が甥(頼朝の兄)義平に討たれ、 孤児となって信濃国に逃れて育ったので、木曽義仲とも呼ばれる。 源頼朝より先に京へ上り、朝日将軍と呼ばれ、 平氏を都から追い出すことに成功したものの、京の治安を守り切れず、後白河法皇と対立、 結局、頼朝軍に討たれ、粟津が浜で、最期を遂げる。 松尾芭蕉は旅の途中、この寺が気に入って、たびたびこの寺に滞在して句作していた。 生前から「骸は木曽塚におくるべし」の遺言通り、 大阪の旅舎で亡くなった直後、門人たちに守られこの寺に運ばれ、 葬儀が行われ、埋葬されたそうです。 芭蕉が、なぜそんなに義仲を気に入っていたのか謎? 境内には芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る」の句碑をはじめとして、 たくさんの句碑が建っています。 また、芭蕉の滞在した翁堂の天井には、伊藤若冲筆の天井画、四季花卉の図があります。 (本物は、大津市歴史博物館にあって、ここにあるのは、レプリカだそうです) |
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巴御前の供養塚もあります。 巴御前は強者の女武者だったと言うことですが、 義仲との関係は、愛妾であったのか、単に主従だったのかは、ハッキリしません。 義仲寺は巴御前が、亡き義仲を供養した草庵が始まりと書いてありますが、 彼女は、義仲亡き後、鎌倉に落ちのび、和田義盛の妻となり(鎌倉殿の13人ではそうなっていた) その後、和田氏が北条義時に討たれ、さらに越前に落ちて、出家して91才で死んだと言う説もあるそうです。 女性は、歴史の中で詳しく書かれていないことが多いので、小説になりやすいのですね。 義仲寺は、小さなお寺ですが、綺麗に手入れされていて、 色々なエピソードが詰まったお寺で、いいところでした。 長くなるのでこの辺で終わりにして、この先は改めて書きます。 つづく |