25日東レ パン・パシフィック・テニス本戦3日目を 夫と有明まで見に行きました。 シャラポア、アザレンカ、ラドバンスカ、クビトバなど そうそうたるメンバーが顔を揃えていたので 前から楽しみにしていました。 ここのところ義母の介護でゆっくり見られなかった分、 しっかり最後まで観戦してきました。 臨海線の国際展示場駅で降りて橋を渡りきったところに 練習している選手がいたので見たらシャラポアでした。 ほっそりとして見えたので、夫が「シャラポアだ!」といったけど、 「違うよ!あんなに細くないでしょ」と私が言ったら、 隣のおばさんが 「シャラポアよね」と言うので、よく見たら、そばにいるのがお父さん! 「あんなにほっそりしてるのね」って言ってしまいました。 コートで見たらやっぱり素敵なスタイル! | |
センターコートの第1試合では優勝候補のクビトバが、 あっさり負けて、第2試合は日本の森田選手でしたが、 夫がイワニビッチファンなので第1コートの イワニビッチVSラドワンスカ戦を見に行きました。 「ラドワンスカってこんな顔した選手だったかな?」 思ったら、妹の方でした。 最近はゆっくり試合を見ていなかったので、 ラドワンスカが姉妹ででていることさえ知りませんでした。 なかなかいい試合でしたが、イワニビッチがサービスが決まらず、苦戦。 センターコートの様子をスマホで見たら、森田があっさり負けて シャラポアの試合が始まりそうになってしまいました。 夫はイワノビッチも好きですが、なんといってもシャラポア好き! 最後まで見てから行きたかったのですが、またセンターコートへ。 | |
シャラポアの相手はイギリスのワトソン。 ワトソンはランキング78位で、予選から勝ち上がり、 1回戦はランキング30位のリシキを破って2回戦に進んできた選手。 徹底的に拾いまくり、パワーテニスのシャラポアは根負けして、 ミスが多く、延々と続いてなんと3時間9分。 ワトソンは身体がシャラポアに比べるとずっと小さく、 まるで日本人のような体型。 あの身体で、シャラポアの力のあるボールを次々返せると、 本当に感心してしまいました。 日本にもああいう選手が出てきたらいいのになぁ! 続くアザレンカの試合は、アザレンカの強さを見せつけられた試合。 そしてセンターコート最後は ラドワンスカVSヤンコビッチ 徹底した軟攻のラドワンスカが繰り出す技。 色々な形で続くラリー。 最近はすっかりパワーテニスが主流になってきてしまいましたが、 彼女のようなタイプのテニスも。是非続いてほしいもの。 終わったらもう9時。 外ではまだ伊達のダブルス(「今からではもう席がありません!」 と連呼していた)をやっていましたが、 疲れたので帰ってきました。 テニスは観戦も楽しい!久しぶりに堪能しました。 |
14日(土)海音寺潮五郎記念館最後の文化講演会が 東京渋谷の國學院大学渋谷キャンパスで行われました。 9月の中旬になれば、もう少し涼しいと思いましたが、まだまだ暑い日でした。 雨が降らないようにと祈っていましたが、こちらは無事叶いました。 今までこういった二人の方が壇上で話し合う形の講演会は無かったので、 この「海音寺文学を語る」という題について、 文芸評論家、縄田一男氏と直木賞作家、葉室麟氏が海音寺文学をどんな風に語るか 楽しみにしていましたが、どうもお二人と主催者側の打ち合わせが悪かったのか、 話が最後までうまくかみ合わず、残念でした。 でも、何となく話が堅くなって盛り上がらなくなってしまったので、 休憩後、縄田氏が西郷隆盛の物まねをして見せたりして ちょっと面白かったです。 葉室麟氏は若い編集者に大変な人気で、 狭い舞台裏の楽屋ふうの部屋は先生にお会いしたいと言って集まった人々で満員。 朝、テレビで占いを見て一日が始まるなど、舞台上では見えなかった先生の気さくな人柄を お茶出し係の人から聞いて、聴衆の皆さんにうまく伝わらず、 事前にもう少し用意すべきだったと感じました。 これは記念館誌にまとめるのは大変!<コマッた> |
今年の海音寺潮五郎記念館の講演会は平成24年、第146回直木賞受賞作家、葉室麟氏です。
当ブログ管理人mayakoの祖父海音寺潮五郎の文業を顕彰する海音寺潮五郎記念館は、本年末で解散することになりました。文化講演会も今年で最後となります。 お近くにお住まいの方、歴史の好きな方もそうでない方も、ぜひぜひいらして下さい。 |
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葉 室 麟 講演会 | 講師 葉室 麟 氏 | |
財団法人 海音寺潮五郎記念館 葉室麟氏は平成24年1月「蜩(ひぐらし)ノ記」で 第146回直木賞を受賞した九州出身・在住の作家で、 「地方にいると歴史の断面が見える」と語っています。 歴史・時代小説を専門とする文芸評論家縄田一男氏 が聞き手となってお尋ねし、葉室氏がそれに答える形で、76年前、九州出身で初めて直木賞を受賞し、生涯にわたって西郷隆盛らの史伝に取り組み、多くの小説作品を遺した海音寺潮五郎の文業を振り返ります。 9月の土曜の午後のひととき、お二方の海音寺潮五郎文学に寄せる思いを、ご一緒に伺いたいと存じます。 是非、ご来聴下さいますようご案内いたします。 |
(写真提供 文藝春秋) |
1951年、北九州市小倉生まれ、西南学院大学卒業、地方紙の記者を経て、50歳から創作活動に入る。2005年「乾山晩愁」で歴史文学賞、2007年「銀漢の賦」で松本清張賞受賞。「いのちなりけり」「秋月記」「花や散るらん」「恋しぐれ」で直木賞候補に挙げられた。近著には「無双の花」「散り椿」「柚は九年で」「霖雨」「千鳥舞う」等がある。 |
記 | 聞き手 縄田 一男 氏 | |
日 時 9月15日(土) 午後1時30分 開場 午後2時 開会 午後4時 閉会 会 場 國學院大学渋谷キャンパス 百年記念館4階 記念講堂 住 所 〒150-8840 東京都渋谷区東4-10-28 講 師 葉室 麟 氏 聞き手 縄田 一男 氏 演 題 「海音寺文学を語る」 参加費 無料 申込み 住所、氏名、人数、 連絡先(TEL&FAX番号)を明記の上、 往復はがき、FAXでお申込みください。 (先着順にご連絡いたします) 宛 先 〒156-0052 東京都世田谷区経堂2-12-9 海音寺潮五郎記念館 FAX 03-3426-5145 TEL 03-3429-1338 |
1958年東京生まれ、専修大学大学院博士課程修了。1991年、「時代小説の読みどころ」(中村星湖賞)1995年「捕物帖系譜」(大衆文学賞)を刊行、」他に「武蔵」「日経時代小説時評」などがある。時代小説文庫版の解説、アンソロジーの編纂等多数。 | (写真提供 文藝春秋) |
会場へのアクセスアクセス 渋谷駅(JR山手線、地下鉄、井の頭線、東急線)から 徒歩約13分 渋谷駅(JR埼京線ー新南口)から徒歩約10分 渋谷駅東口バスターミナル 54番乗り場 日赤医療センター行 「國學院大学前」下車 |
昨日は7月22日に亡くなった義母の四十九日法要と納骨の儀を行いました。
東京地方は前の日から、上空に寒気があるので不安定な天気で、
所々で積乱雲が発生してにわか雨があることが告げられていた。
朝方降ったものの、出かける頃は何とか午前中はもつかなという感じでした。
(出かけに義母のお骨を忘れて出発しそうになって、慌てて引き返したりしましたが〈笑〉)
お坊様もいらして、メンバーがそろったら、空模様も怪しくなってきたので予定の11時を
少し早めて開始することにしました。
でも、外に出たら、もうポツポツ降り出し、
息子が東京アメッシュをスマホで見たら、
もう真っ赤な雨雲の印がが迫っています。
とはいえ、墓守の方がお墓を開けて、すっかり納骨の用意も調っていたし、
今年は暑かったせいか昨日の納骨式は6件くらい名前が並んでいたので
もう開始するしかありません。
持参した花を飾って(整える暇もなく差しただけ)納めたお骨を確認し、
お経が読まれ始めたら、もう土砂降り。
傘を差しても全く役に立たない降り方になりました。
お坊さんの立つお墓の前は、一応ビーチパラソルが立っていましたが、
そんなもので防げる降りではありません。
夫と息子が傘を差し掛け、何を呼んでいるか全く聞こえないお経が30分続きました。
下からも撥ねが上がり、土のところは泥沼のようになり、靴も服も泥だらけで靴の中は水浸し。
お焼香も形だけして、終わりになったら、何とそれまでが嘘のようにすっかり雨が上がりました。
「お義母さん、よっぽどお墓に入れられてイヤだったのかしらね!」
「あんな狭いところに入れられたからじゃない?」
「いやいや、親父の横に入れられたのがイヤだったのかも…〈笑〉」
皆それぞれのことを言っていた。
その後は、全く雨に遭うことなく、吉祥寺に移動してホテルで会食。
日程を決めたとき、まだ暑いのではとか、蚊がいっぱい出るだろうとかかんがえていたけど、
こんな天気になろうとは予想もしませんでした。
まさにピンポイントの大厄!
後々まで、語りぐさとなる四十九日&納骨でした。
夢中で、ビデオも写真も撮らなかったけど、
もし撮って『You tube』投稿したらちょっと話題になったかも〈残念〉
東京地方は前の日から、上空に寒気があるので不安定な天気で、
所々で積乱雲が発生してにわか雨があることが告げられていた。
朝方降ったものの、出かける頃は何とか午前中はもつかなという感じでした。
(出かけに義母のお骨を忘れて出発しそうになって、慌てて引き返したりしましたが〈笑〉)
お坊様もいらして、メンバーがそろったら、空模様も怪しくなってきたので予定の11時を
少し早めて開始することにしました。
でも、外に出たら、もうポツポツ降り出し、
息子が東京アメッシュをスマホで見たら、
もう真っ赤な雨雲の印がが迫っています。
とはいえ、墓守の方がお墓を開けて、すっかり納骨の用意も調っていたし、
今年は暑かったせいか昨日の納骨式は6件くらい名前が並んでいたので
もう開始するしかありません。
持参した花を飾って(整える暇もなく差しただけ)納めたお骨を確認し、
お経が読まれ始めたら、もう土砂降り。
傘を差しても全く役に立たない降り方になりました。
お坊さんの立つお墓の前は、一応ビーチパラソルが立っていましたが、
そんなもので防げる降りではありません。
夫と息子が傘を差し掛け、何を呼んでいるか全く聞こえないお経が30分続きました。
下からも撥ねが上がり、土のところは泥沼のようになり、靴も服も泥だらけで靴の中は水浸し。
お焼香も形だけして、終わりになったら、何とそれまでが嘘のようにすっかり雨が上がりました。
「お義母さん、よっぽどお墓に入れられてイヤだったのかしらね!」
「あんな狭いところに入れられたからじゃない?」
「いやいや、親父の横に入れられたのがイヤだったのかも…〈笑〉」
皆それぞれのことを言っていた。
その後は、全く雨に遭うことなく、吉祥寺に移動してホテルで会食。
日程を決めたとき、まだ暑いのではとか、蚊がいっぱい出るだろうとかかんがえていたけど、
こんな天気になろうとは予想もしませんでした。
まさにピンポイントの大厄!
後々まで、語りぐさとなる四十九日&納骨でした。
夢中で、ビデオも写真も撮らなかったけど、
もし撮って『You tube』投稿したらちょっと話題になったかも〈残念〉