歌川広重『粟津晴蘭』保永堂版 |
粟津の晴嵐 |
歌川広重『瀬田夕照』保永堂版 |
現在の瀬田唐橋 |
今井兼平の墓 |
義仲寺を出て、京阪線、京阪石山駅で下りて、粟津の松原に行きました。 ここは、歌川広重の近江八景に描かれている、 美しい琵琶湖畔の松原で、源義仲が最期を遂げた場所と言われています。 広重の絵の場所は、今は埋め立てられ、松が数本になってしまったので、 写真の「粟津の晴嵐」は近江の名勝を残そうと、湖畔に松を植えたそうです。 琵琶湖に来たのは高校の修学旅行以来。 さすがに日本一の広さの湖!!風が気持ちよかったです。 最後まで義仲と共に戦った今井兼平の墓にも行ってみました。 子孫の方が守っているそうです。 その後、古くからの交通の要衝、瀬田の唐橋に行きました。 義仲は、宇治橋で義経、範頼に大敗し、北へと向かい、 この瀬田の唐橋で、ほぼすべての兵を失い、 ついに今井兼平と共に、粟津で討ち取られたということです。 |
次はまた、京阪線に乗って、終点の石山寺まで行きました。 駅から少し歩かなければならないので、 バスに乗ったら、乗り過ごし、結局また歩いてしまいました。 まず、ランチに名物「シジミ釜飯」を頂きました。 このあたりは、貝塚も見つかっていて、縄文時代から、 人が住んでいたところです。 その頃の人も、シジミを食べていたのでしょうか? 炊きたてで、美味しかったです。 その後、奈良時代創建、紫式部が源氏物語を 起筆したことで有名な石山寺に行きました。 私は、石山寺と言えば、紫式部と思っていましたが、 このお寺は、古くから様々な人と由来があり、 見るものも、本当にたくさんあるのだと、今回知りました。 |
東大門 |
仁王像 |
仁王像 |
竜の手水 国宝の本堂 |
天然記念物 珪灰石 |
石山寺は、聖武天皇の勅願により、 奈良時代、建てられたお寺だそうです。 まず、鎌倉時代に建てられた東大門をくぐります。 ここには、運慶、湛慶の作、仁王像があります。 竜の手水で手を清め、急な階段を上ると 広い境内に出て、天然記念物の珪灰石が見られます。 国宝の本堂の一部に源氏の間があり、 ここで、紫式部が源氏物語の構想を練ったそうです。 本堂の横を登っていくと、鐘楼、経蔵などがあり、 その先に頼朝の寄進した、国宝 多宝塔があります。 横を見ると、月見亭があり、 その先どんどん山道を登っていくと 豊浄殿があって、その先には光堂。 少し下ったところに紫式部像がありました。 道に迷ったかと思うと、 滝のある美しい庭に出ました。 地図を見ると無憂園という庭でした。 石山寺は、平安時代は、参詣が流行したものの その後一時、荒れ果て、淀殿が大々的に修理したとか。 |
源氏の間 |
多宝塔 |
月見亭 |
紫式部像 |
滝 |
無憂園 |
全部廻ると、1時間半以上かかると書いてありましたが、 私たちは、全部は廻り切れませんでしたが、上ったり下ったりで、くたくたになりました。 ウォーキングシューズを履いて廻らなければなりませんよ! 京都駅に戻り、新幹線に乗って帰宅。 急に思い立って、出かけた、たった1泊の旅行でしたが、充実していました。 |