学生時代からの親友Nさんのお母さんが亡くなったそうだ。
97才だったとか。5~6年前から認知症が出て次第に進行して、最後は介護が大変だった。
彼女は東京、新宿生まれだったが、卒業後小学校教師になって、
どうしても京都に行きたいと言い出した。
希望が叶って京都の僻地に赴任したのに、最初は淋しくて泣き暮らしていた。
でも数年後に向こうで結婚して、今ではすっかり京都の人。
お姉さんもずっとパリに住んでいて、お兄さんだけが東京近郊に住んでいる。
認知症が出始めた最初の頃、お父さんが亡くなって一人暮らしのお母さんを
何度か京都に呼び寄せたりしたが、「なじめない」と言って、
一人で勝手に東京に帰ってしまって困っていると言っていた。
お母さんにしてみれば、馴れたところがいいに決まっているのは分かるが…
仕方なく、お姉さん(パリから1年に数ヶ月ずつ帰ってきて)お兄さんと協力して介護を続けていた。
彼女が東京に来て介護している時は、お母さんがデイサービスに行っている間に会っていた。
話しを聴く度に、認知症の介護の大変さを痛感していた。
働き者で、積極的に外に出て油絵を趣味にして元気印のお母さんだったが、
アルツハイマーで色々なことができなくなってしまったら、
それがもどかしいのか、デイサービスでも介護の人に悪口雑言を繰り返し、
認知症専門のデイサービスに移ってくれと言われてしまったそうだ。
その後も話を聴く度に、周りも辛いし、お母さんも辛そうだと思われる話ばかりだった。
家族全員でもがき苦しんでついに最期を迎えたという感じ。
最期はしずかに寝ている間に亡くなったと言っていた。
人間必ず死ぬ。でも、いつ、どんな風に亡くなるかを自殺でないかぎり、選べない。
若くして全く死ぬつもりがなかったり、もっと生きたいという思いが叶わず死んでしまうこともある。
長生きして楽しい人生を思いがけなく終わることもあれば、長生きしても長く苦しんで死ぬこともある。
努力してその努力が報われることが少ない事の代表が「人の死に方」。
どんな最期になるかはわからないけど、くよくよ考えても仕方ない!
今を大事に楽しく生きていきましょう!
97才だったとか。5~6年前から認知症が出て次第に進行して、最後は介護が大変だった。
彼女は東京、新宿生まれだったが、卒業後小学校教師になって、
どうしても京都に行きたいと言い出した。
希望が叶って京都の僻地に赴任したのに、最初は淋しくて泣き暮らしていた。
でも数年後に向こうで結婚して、今ではすっかり京都の人。
お姉さんもずっとパリに住んでいて、お兄さんだけが東京近郊に住んでいる。
認知症が出始めた最初の頃、お父さんが亡くなって一人暮らしのお母さんを
何度か京都に呼び寄せたりしたが、「なじめない」と言って、
一人で勝手に東京に帰ってしまって困っていると言っていた。
お母さんにしてみれば、馴れたところがいいに決まっているのは分かるが…
仕方なく、お姉さん(パリから1年に数ヶ月ずつ帰ってきて)お兄さんと協力して介護を続けていた。
彼女が東京に来て介護している時は、お母さんがデイサービスに行っている間に会っていた。
話しを聴く度に、認知症の介護の大変さを痛感していた。
働き者で、積極的に外に出て油絵を趣味にして元気印のお母さんだったが、
アルツハイマーで色々なことができなくなってしまったら、
それがもどかしいのか、デイサービスでも介護の人に悪口雑言を繰り返し、
認知症専門のデイサービスに移ってくれと言われてしまったそうだ。
その後も話を聴く度に、周りも辛いし、お母さんも辛そうだと思われる話ばかりだった。
家族全員でもがき苦しんでついに最期を迎えたという感じ。
最期はしずかに寝ている間に亡くなったと言っていた。
人間必ず死ぬ。でも、いつ、どんな風に亡くなるかを自殺でないかぎり、選べない。
若くして全く死ぬつもりがなかったり、もっと生きたいという思いが叶わず死んでしまうこともある。
長生きして楽しい人生を思いがけなく終わることもあれば、長生きしても長く苦しんで死ぬこともある。
努力してその努力が報われることが少ない事の代表が「人の死に方」。
どんな最期になるかはわからないけど、くよくよ考えても仕方ない!
今を大事に楽しく生きていきましょう!