上行大動脈解離を発症したのは、2020年12月10日。 夫が散歩中で、私は、家に一人でいました。 昼食後で、何をするともなく、テーブルから立ち上がった瞬間に、 喉元に、鋭い刃物を刺されたような物凄い痛みを感じました。 「救急車!」と思ったけど、電話はどこに???? その後どうやって、自分で救急車を呼んだか覚えていません。 でも、スマホの履歴にちゃんとあって、自分で救急要請していました。 はっきりは覚えていませんが、2階に一人でいて、玄関は鍵がかかっているので、 2階のベランダから、入ってくださいとお願いしたと思います。 |
|
夫が帰ってきたときには、家の前に消防車2台と救急車1台が停まっていたので、火事かと思ったそうです。 急病人と聞いて、慌てて家に入ると、 2階の和室に救急隊員4~5人に囲まれた真ん中に、私が倒れていたそうです。 それから、久我山病院の救急に運ばれ、検査で大動脈解離らしいということで、 すぐさま、又救急車で、心臓外科専門の榊原記念病院に運ばれ、緊急手術。 手術は無事成功して、大動脈解離の中では、一番危険なスタンフォードA型から生還。 それから、毎年、榊原記念病院で、術後の精密検査を受けていました。 今年も12月14日に受けてきました。 検査結果を診て、 「昨年の画像と比べてみても、血管壁に出来た偽腔(血液が血管壁の中を流れて出来た空間)も、ほぼ吸収されている」 「術後の精密検査は、今回で終了として、後は、今かかっている久我山病院で、診てもらえばいいでしょう」 と、医師にいわれました。 大動脈解離の予後を調べてみると、 最初の2週間をを乗り越えた人の5年生存率は60%、10年生存率は40%です。 最初の2週間を乗り越えた人は、最終的に約3分の1が解離の合併症のために死亡し、残りの3分の2はほかの病気で死亡します。 (MSDマニュアル家庭版/06. 心臓と血管の病気/動脈瘤と大動脈解離/大動脈解離 より) と、書かれています。 4年無事に過ごしてこられましたが、まだ先はわからないのかも…… まぁ、順調に快復してきて、運良く元気にテニスまで出来ている今を大切に生きていきましょう! |
落語家 笑福亭笑瓶さんが、2月21日に |
徳州会グループHPより |
大動脈解離は血管の解離する場所によって、A型とB型に別れます。 A型の場合は、48時間以内に破裂、心筋梗塞、脳梗塞にて 死亡する確率が5割程度と危険なため、緊急手術が原則です。 笑瓶さんの1回目の発作は、B型だったのではないでしょうか? 手術をしない場合は血圧を下げたり、薬物治療により、 自然治癒を待つわけですから、解離部分は弱くなっているため、 経過観察は必ず必要だということです。 笑瓶さんさんは、1回目の発病後は、 とても健康に気をつけていたそうですから、 今回の再発で死亡に至ってしまったのは、 とても運が悪かったということでしょうか? |
私の場合は、亀裂部分がスタンフォードA型とかいう、 心臓から出た最初の上行部分だったので、緊急手術でした。 左の写真のように、解離部分を人工血管に置き換えたわけです。 昨年12月、術後2年検診で、精密検査を受けましたが、 人工血管に取り替えた先にも、血管壁の中を少し血液が流れて、 その痕がまだ完全に塞がっていないので、完治とならず、 1年後、また精密検査と言われてしまいました。 「それほど心配はいらない」 とは言われましたが、完全にOKではないのですから、 もしかしたら、笑瓶さんの様に再発もあるかと思うと 今回のニュースは、楽観的な私を少しだけ、心配症にさせるものでした。 まぁ、今のところ元気ですから、その時はその時と思う以外ありませんよね。 |
早いもので、上行大動脈解離になって、手術を受けて 一年が経ちました。 先週、手術を受けた府中の榊原記念病院に行って、 血液検査、X線検査、心電図、造影剤点滴CT検査を受けて 今日、結果を聞きに行ってきました。 手術医の一人で、病棟では担当医だったK先生でした。 よく覚えていてくださって、 「とても順調に回復なさった方でしたね。その後いかがですか?」 と訊かれたので 「すっかり元気になって、術前と変わらず生活しています」 と答えると、 「画像でも、血管も太くなっているところはなく、いい状態です」 |
|
「人工血管に取り替えた先まで、少し血液は血管壁を流れて、 偽腔になっていましたが、もうすっかりくっついてなくなっています」 とのこと。 「ほぼ完治といえるでしょう。でも、念のため、1年後にもう一度検査して、問題なければ、完治としましょう」 と言われました。 ばんざーい 胸の手術跡の傷は今でも少し痛くて、時々、あの悪夢のような日を思い出しますが、 孫の顔も見られ、テニスも再開して、ホントにホントに運が良かったと思ってます。 |
病院でさんざん待たされて、すっかりお腹もすいたので、 帰る途中、おそば屋さんによって、 おそばを食べました。 野川公園の近くの「蕎麦会席 御狩野」という店です。 手打ち蕎麦に揚げたての天ぷらが乗っていて、 美味しいおそばでした。 検査の結果が良かったので、 余計に美味しく感じられたのかも。。。。 壁には7代目中村芝翫のサインの色紙がかかっていました。 |
今日は、また、榊原記念病院に行って、 先週の検査の結果を聞いてきました。 混んでいて、予約時間を2時間以上過ぎて、やっと診察室に呼ばれました。 順調に回復していて、全く問題ないと言われました。 左の画像が私の心臓と上行大動脈で、 赤丸の部分が人工血管になった部分です。 心臓の弁の部分や、動脈が腕や頭に分岐している部分にかからず、 上行部だけの置換で済んだことは、とてもラッキーなことのようです。 「また、なることはあるのでしょうか?」 と、聞いたら 「絶対無いとはいえませんが、これだけきれいに修復されていますから、 それほど心配する必要は無いと思いますよ」 と、言われました。 血圧も低値安定で、発症前より、ずっと低く保たれています。 ひとまず安心しました。 |
今日は、大動脈解離の手術後、6ヶ月検診で、 府中の榊原記念病院に行きました。 もう、あれから半年以上が経つのですね。 自分の状態としては、全く問題なく、 前と同じ生活が出来て快調です。 予定は、 血液検査、X線検査、心電図検査、診察、CT検査となっていました。 血液検査では、造影剤点滴があるので、左腕から採血しようとしましたが、 また、血管が出ないので、右腕から採血せざるを得なくて、 「ごめんなさいね。同じ腕になってしまいます」 なんて謝られました。 でも、すごく上手で、全く痛くなかったです。 |
今日は検査なので、下着に金具がないようにして、Tシャツを着ていったので、 X線検査では、全く着替える必要が無く、 心電図検査でも下着までまくって、胸を出せば出来たので、 「大成功」 と、思ったけど、造影剤点滴のあるCT検査では、 検査着にばっちり着替えさせられました。 CT検査の前に、診察が入っていたので、 血圧を測って待っていたら、 造影剤CT検査の説明と、同意署名だけで、 検査の結果の診断は、また来週行かなければなりません。 胸骨を切って、胸を開いて、心肺を一時止めて、 大動脈の一部を人工血管に取り替えるという、大手術をしても、 全く、前の通りに生活できて、テニスまで出来るって、 人間って丈夫だなと思います。 |
今日は、大動脈解離の手術後、榊原記念病院から紹介で診ていただいている、久我山病院、循環器内科の外来診察を受けました。 血液検査、レントゲン検査、心電図検査の他に、血圧脈波検査という検査を受けました。 腕と足の血圧を測って動脈硬化の程度を調べる検査です。↑(詳しくはクリックしてみてください) 手術をしていただいた医師から、私の血管がかなり傷んでいると言われていたので、 きっと年齢よりずっと動脈硬化が進んでいるのだろうと思ったら、 上の通り、「健康な標準範囲内です」という結果でした。 私は、51才で脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血を発症し、 71才で大動脈瘤解離を発症しました。 検査して血管年齢が健康な範囲でも、安心できないってことですかね? その他は、少し注意すべき点はありましたが、問題なく、 手術後の生活は、もう何も制限はないと言われました。 「テニスは、やっても大丈夫でしょうか?」と訊ねたら、 「体力も落ちているでしょうから、十分に気をつけてやってください」とのこと! わ~い! でも、ちょっと心配なので、もう少し、自主トレを積んでからにしようと思います。 |
今回の病気で、我ながらびっくりしているのは、 自分で救急車を呼んだことです。 午後2時頃でした。 昼食を食べて、夫は散歩に出かけていました。 リビングのテーブルの横に立っていた時、 本当に何の前触れもなく、 いきなり、喉元にものすごい痛みを感じました。 まるで、ナイフを刺されたように。 もうびっくりして、その場に立ったまま、頭の中では、 「どうしよう?これは救急車を呼ばねば!!!」 と思いましたが、同時に 「誰もいない!電話はどこ?動けない!」 そこまでははっきり記憶があります。 |
|
でもどうやって、救急車を呼んだのかは、全く思い出せません。 スマホに履歴があるのですから、すぐそばのテーブルの上にきっとあったのでしょう。 あの痛みの中、スマホを操作して救急通報したこと自体、我ながらあっぱれです。 履歴が4回あることを後から、息子に言われて、 救急隊との会話を思い出しました。 通報だけでなく、ちゃんとやりとりしているのです。 「玄関は鍵がかかっているので、直接2階にお願いします」 「到着しました」 「一番奥のベランダの窓の鍵を開けました」 「今、梯子で登ってます」 ここまでの会話は、後で思い出しました。 どうやって窓の鍵を開けたのでしょう? 歩けたのでしょうか? そこからは全く覚えていません。 ここからは夫の話。 夫が散歩から帰ってきたら、家の前に消防車2台と救急車1台が停まっていたので、 「えーっ!火事?」と思って、救急隊の人に聞いたら、 「急病人です」と言われ、 2階に駆け上ったら、ベランダに面した和室に救急隊の人が6,7人いて、 真ん中に私が倒れていたそうです。 それから、久我山病院に搬送され、救急でCTを撮って、 大動脈解離らしいと判断して、ここでは手術ができないので、 榊原記念病院に移送できるように交渉してくれたそうです。 久我山の救急で診てくださった医師が、付き添ってくれて、また救急車で出発。 看護師さんが励ますように 「元気出してくださいね」 と、夫の肩をそっと撫でてくれたので、 「もうダメなのだな」 と悲観的になったとか。 榊原記念病院について救急に入ると、すぐに緊急手術といわれ、説明があったとか。 娘、息子、姉も駆けつけていっしょに、説明を聞いたそうです。 その時の、医師の様子態度が、本当に自信たっぷりで、見かけもいかにもできそうな(姉の感想)医師で、 「大丈夫です。時間がないので詳しい検査はせずに、まず開けてみて、処置します」 「心臓の弁を取り替えたり、脳動脈の分岐のところまでの処置になると少し時間がかかります」 と、言ったとか。 開けてみて判断して処置ができるなんて、経験を積んだ医師にしか言えない言葉! 「この先生に任せれば、きっと大丈夫!」 と、みんな一安心したとか。 午後5時に手術開始で、午後8時15分頃、無事成功といわれたそうで、みんな 「ほーっ!!!!」としたそうです。 それにしても、人間って、生きようとする力ってすごいものです。 私は、普段は延命治療はして欲しくないと思っていますが、 いざとなると案外、生に対する執着が強く、徹底的に戦うと言い出すかも…… |
血圧は、大動脈解離を起こす前から、毎日測っていました。 表の通り、時々上の血圧が140を越えることもありますが、 平均すると朝も夜もそれほど高いわけでなく、 私の年では、血圧はかなりきちんとコントロールされていたと思います。 でも、手術をした医師には、私は血管自体が痛んでいる状態だと言われました。 大体、血管が痛んでいないと大動脈解離を起こすこともないわけですものね。 やはり私の血管は、普通の人より老化が早いDNAなのでしょう。 手術後は、かなり強い降圧剤を処方され、 130-80の範囲内に保つように言われました。 今のところ、成功しているようです。 夜は今までよりだいぶ低いためか、すぐに眠くなってしまいます。 生まれつき、歯を磨かなくても虫歯にならない人がいるし、 しっかりケアしていても、虫歯になって歯を失くす人もいる。 親を恨んでも仕方ないので、血管の老化が早いのは 体質と受け入れて、気をつけて生活するほかないですね。 でも、あまり萎縮した生活になってしまえば、 動くことの好きな私はつまらないし、どの程度運動しても大丈夫なのか迷うところです。 ← 庭の梅も咲き始めました。もう春ですね |
リハビリのためにいろいろ体操してますが、 ‘美的.com’というサイトに出ていた 「料理の途中にスクワット」というつかまりスクワットをやってます。 50回くらいやるとかなり効く感じがします。 そのほかにも、下半身は衰えないようにいろいろやっています。 でも、まだまだ、手術跡が痛かったり、手の痺れや痛みが取れず、 元の体に戻れるか時々、不安になってしまいます。 やはり、年齢的に身体全体が固くなってしまっているので、 戻りにくいのでしょう。 基礎代謝自体が下がっているので、仕方がないのかもと、 時々悲観的になってしまいます。 |
|
でも未だ、1ヶ月と少ししか経っていないのですから、 これから、半年もしたら、きっと 「手術なんてしたっけ?」 と、すっかり忘れて、飛び回れるようになれると信じて頑張ります!(ブログに書いて自分を励ましてます!) |
私は、これまで5回も、全身麻酔の手術を受けてきました。 今回は6回目です。 6回目で初めて経験したのが、「術後せん妄」という症状です。 「術後せん妄」なんて聞いたことがない人が大部分だと思います。 見えないものが見え(幻視)、聞こえないはずの声や音が聞こえ(幻聴) 自分がどこにいるのか、夢の中の世界が本当のことのように思えてしまう 精神の異常状態です。 そのせん妄の内容はこうでした。 |
|
私は、コロナで九州の小さな病院に入院していると思っています。 心臓だか脳の手術もしたと、医師には告げられていましたが、 コロナが重篤になって、ものすごく苦しい状態です。 周りの医師や看護師は、もうこの患者はダメだからと言って、私を安楽死させようとします。 私は、それに抵抗して、 「触らないでください!このままにしておけば、自然に死にますから」 と言って、何かしようとする看護師や、医師を振り払って暴れました。 そして場面は変わって、未だ死んでいないのに、私の葬式が始まります。 コロナなので、家族はいなくて、病院の人たちだけです。 私は一番前に座って、倒れそうになりながら、 「未だ死んでいない人の葬式をするなんてひどすぎます!こんな病院はほかにありません」 と、大声で叫びます。 奥の方で僧侶の読経が聞こえるので 「お坊さんを呼んでください!死んでもいないのにお経を読むなんて、おかしいでしょ!」 と叫びますが、お坊さんは来てくれませんでした。 私が、死なないので、また病室に戻って、何度も安楽死をさせようとするので、 私はそのたびに抵抗して暴れました。 そしてそのまま寝てしまったようです。 |
|
翌日、便意を感じて目を覚ましました。 「えっ!私、生きてるじゃない!」 もう本当に驚愕しました。 工場のように広いところに寝ていました。 病院を変わったんだと思いました。 「便がしたいんですが…」 と言うと 「おむつをしてますからそのまましてください」 「えーっ!そんなぁ」 と、思うまもなく出てしまいました。 「あっ、出ましたね。すぐ取り替えますから」 「出た方がいいんですよ。出ないと本当の困りますから」 と言って、手際よくきれいに取り替えてくれました。 その後も 「もう少しベッドの頭側を高くした方が楽ですか?」とか、 「のどが渇いた」と言えば、すぐに水を持ってきてくれたりすごく優しく看護してくれます。 今度の病院は前とは全然違うと思いました。 手術後3日目でした。 「娘さんが面会に来ましたよ」 と言われ、娘がベッドの横に来ました。 「どう?お母さん」 「うん、前の病院はひどかったけど、今度の病院は、みんな優しくしてくれて良かったわ。ここは、漢方の病院なんでしょ」 娘は、私が何を言っているのかわけもわからず、びっくりして、 「何を言ってるの。お母さんは救急車で最初からここの病院に運ばれて、大動脈の手術をして、無事成功したんだよ」 「えーっ!コロナじゃないの?」 「コロナなんかじゃないよ!ここは府中の榊原記念病院で、専門病院だから、ここにいれば安心なんだよ!」 「えーっ!榊原記念病院と言えば、従弟のMさんが狭心症で手術したとき、お見舞いに来たあの心臓病専門病院?」 私がひどい目に遭ったのは、みんな妄想で、手当てをしてくれていたドクターやナースに暴言を吐き散らして、 暴れまくっていたのだと思ったら、もう恥ずかしくなって、 「お母さん、お医者さんや看護師さんにひどいこと言ってしまったみたいだから、あなたからも謝って!」 と叫んでしまいました。 しかしその後も、少し眠って目を開けると、壁に文字がびっしり書いてあったり、 太平洋の島々の地図が書いてあったり、 私の点滴に誰かが勝手に謎の液を入れていたり、 夢なのか現実なのか、よく分からない状態は、暫く続きました。 担当の医師や、看護師に 「私、失礼なことを言い散らして、暴れまくったみたいで、本当にすみませんでした」 と言うと 「覚えていますか?いやこの手術ではよくあることで、慣れてますから、全然気にしないでいいですよ」 と、言ってくださった。 3~4日目くらいには、すっかりなくなりました。 調べてみると、術後せん妄というのは、心臓血管外科術後患者に多いそうで、約40%で発症するそうです。 本当に不思議な体験でした。 |
自転車には未だ乗れないし、重いものは未だ持てないので、 ショッピングカートを引っ張って、スーパーに買い物に行って、 ついでに散歩をして、リハビリに励んでます。 やはり、年齢も年齢なので、治りが遅いように感じます。 未だ、胸骨の切開部が痛いし、手の痺れが、少し良くなったら、 腕が痛くて、もう、体中痛い感じがして、何かして紛らわしていなくてはなりません。 ロキソニンも使ってます。 10日で、ちょうど1ヶ月ですが、骨がつくのは2ヶ月くらいかかるそうなので、 あと1ヶ月は少なくともかかるのかと思うと憂鬱になります。 (それで良くなればいいけど…) でも頑張って、半年後には、テニスができるようになることを目指して、 頑張ります。 |
三菱京都病院HPより | 私が罹患した大動脈解離という病気を調べてみました。 大動脈とは、肺で十分に酸素を補給した血液を 心臓が全身に送り出す、太い血管です。 心臓から上に向かってまず血液が通る部分を上行大動脈、 上肢や脳に血液を送る分岐が出ている部分が弓部大動脈、 そこから下に向かっている部分が下行大動脈、 横隔膜より下の部分が腹部大動脈です。 太さは上行大動脈で3から3.5cm、胸部大動脈で2.5から3cm、腹部大動脈で2から3cmです。 |
|
聖路加国際病院・心臓血管外科 渡辺直HPより |
血管は三層の血管壁になっています。 解離というのは一番柔らかい内膜(内皮)突き破って、 血液が中膜組織を破壊しながら血管壁の中を流れてしまう病気です。 解離腔は偽腔と呼ばれます。 内皮を突き破って血管壁の中に血液が、流れ込む瞬間に 突然、胸あるいは背中に杭が刺さるような激痛が起こり、 病状の進展につれて痛みが胸から腹、さらに脚へと下向きに移っていきます。 私の場合、喉元(胸の上部)に、経験したこともないほどの痛みを感じました。 まるで、ナイフを突き刺されたような(経験はないけど…) |
|
近畿大学病院公式HPより |
解離の起こった部分、解離の範囲で症状、対処の仕方も変わります。 上行部分から始まる解離をスタンフォードA型。 下行部分から始まる解離をスタンフォードB型と呼ぶそうです。 私のは左から二番目のA型で、 一部その先にも血液は流れていましたが、もう固まっていて、 自然に吸収されると考えられたので、 上行大動脈部分だけを人工血管に取り替えたそうです(上行置換) でも、その先流れた部分は血管としても弱っているので、 今後も再発や、大動脈瘤ができないように血圧管理をしっかりして、 検査も怠りなく、実施していかなければならないとのことです。 まぁ、仕方ないことですね。 |
|
上行大動脈に解離が及ぶA型では、亡くなった方のうち60%は病院に到着する前に死亡が確認されているという報告もあります。 発症したら、一刻も早く、なるべくいい状態で、この手術のできる病院に、救急で行くことが大切です。 |
今日は、退院後一週間の、検査と診察に榊原記念病院に行ってきました。 もう12月30日ですから、一般の外来は休みです。 救急外来は開いているので、ちゃんと予約を取ってくれて診察していただけました。 血液検査、心電図、レントゲン、どれも問題なく順調に回復しているとのこと。 「この病気は、病院にたどり着くまでに半数はお亡くなりになります。 運良く助かって、順調に回復して、本当によかった。 新年も自宅で迎えられますね」 との、ドクターの言葉でした。 |
|
「この病気になるということは、血管が弱っていることですから、また起こることもあり、 動脈瘤ができることがあり得ます。生活習慣にじゅうぶん注意して、 医師の指導に従って、血圧管理をしっかりしてください」 ともいわれました。 この後は、自宅近くで、今まで通っていた久我山病院に紹介状を書いてもらって、引き継がれ、 半年後、一年後に、また、榊原記念病院で、診ていただくことになりました。 浴槽に浸かるのは、未だ一ヶ月後くらい、美容院は体調がよければ行っていいとのことでした。 手の痺れは、神経なので、たぶん、長く掛かるとのこと。(何とか自分で早く治したい!!!!) まぁ、何しろ順調でよかった、よかった |
昨日は、リモート会食で、娘と息子夫婦が、私の退院祝いをしてくれました。 毎年、家族で集まってXmasパーティーをやるのですが、今年はコロナ禍で、私も病後なので、 息子が提案して、リモートですることにしました。 8月のお盆の時も一回だけ、リモート会食をしたことがあります。 今度の病気では、子どもたちがすっかり大人になって、本当に頼りになりました。 手続きや、知り合いに知らせたり、 一般病棟は、面会禁止でしたが、ICUでは、一日一名許可されていたので、順番に来てくれました。 家で一人でいる夫のためにも、一緒に食事したり、娘は色々作ってもくれたそうです。 無事、退院できたことを家族みんなが喜んでくれ、本当に幸せ気分でした。 お正月は一日だけ、みんなで我が家に集まって、おせちを頂いて新年を祝おうと言うことになりました。 |
今日はクリスマスイブですね。 昨日、無事退院することが出来ました。 12月10日(木)に発症して、緊急手術を受けて 23日に退院ですから、ちょうど丸2週間で退院ということです。 胸骨を切り開いて、人工心肺装置を使用して、 一時心臓を止めて、心臓から最初に出る大きな血管を 人工血管に取り替える手術をして わずか2週間で退院できるって本当にすごいことです。 一般病棟に移って、 「順調にいけば後10日位で退院できるでしょう」 と言われた時には、 「こんな状態で退院したら困るな」 と思ったのですが、 日に日に傷も癒えて痛みも少なくなり、 身体も動くようになって、昨日は退院して帰りにスーパーによって 買い出しをしてきて、夕飯も少し夫に手伝って貰いましたが、 作って食べました。(久し振りの美味しい食事でした) |
|
人間の再生力はすごいです。 手術中、人工心肺装置を入れるのに 私の血管がいい状態ではなかったので、他から血管を移植したとかで、 その影響で、右手の指先が痺れて、細かいことが出来ないという、 後遺症(薬でよくはなってきている)を除き、 生活に困ることはありません。 私って本当に強運の持ち主です。 皆様、ご心配いただき本当にありがとうございました。 |