昨日は雨降りで、車は車検に出してあったので、歩いてテニススクールに行きました。 スクールは、インドアでサーフェスがカーペットなので、濡れた靴でプレイすると 引っかかって転ぶことがよくあると何度も注意されていました。 それなのに濡れた靴を玄関マットで拭いて(よく拭いたつもりでした)練習をしました。 クラスも昨日はスクール生4人だけだったので、かなりハードでした。 最後の試合練習になるとかなり疲れていましたが、 頑張って走って、ボールをとろうとしたら、アッと思った瞬間、 転んで足首をひねってしまいました。 「あ~あ、やっちゃった」 『後悔先に立たず』とはこのこと。 玄関を出る時、ちょっと不安を覚え、 「シューズは履き替えた方がいいかな?」と思ったのですが、 「面倒だから、マアいいや」と、そのまま出ちゃったんですよね。 スクールの方が、すぐに氷を持ってきてくれて冷やして、 終わってから湿布を貼って手当てをしてくれました。 青くなって、腫れていたので、 「まずいなぁ」と思いました。 友人に車で家まで送ってもらい、帰ったらすぐまた冷やして、 夜寝る時も、保冷剤で冷やしました。 |
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今朝、おそるおそる湿布を剥がして取り替えたら、青くはなっていましたが、 腫れは、昨日よりもいいくらいになり、痛みも昨日よりましになりました。 ロキソニンの入った湿布薬(期限は切れていましたが)を貼って、 脊柱管狭窄症の手術の時に履かされた、血栓予防の着圧ソックスをはいてサポーターをしたらとてもいいようです。 頑張って、早く治さなきゃ |
昨日は、2011年6月に亡くなった叔母(母の妹)の七回忌と 祖父母、S家の法要がありました。 総勢26名。母は5人兄弟姉妹の長女で一番上、 7回忌の叔母が二女で2番目。その下に3人男兄弟です。 母と叔母は亡くなりましたが、下3人兄弟は健在。 5人兄弟姉妹の割に、孫曾孫、連れあいまで集まってこの人数ですから、 こじんまりです。でも、親戚同士はとてもとても仲良しで濃密。 それは祖父母(海音寺潮五郎夫婦)が、5人の年の離ればなれの子どもに 愛情だけは、他家にないほど注いで育てたことによると思います。 |
墓参りと法要の後、いつものように赤坂四川飯店で会食。(「叔母の四十九日と納骨」) 四川飯店は、陳健民さんが始めた頃から、祖父のお気に入りで、私も何回か連れてきてもらいました。 亡くなって、海音寺潮五郎記念館が出来てからも、何かというとここで会食でした。 おこげにあんをかけてジューっと音がしてかき混ぜるパフォーマンス。 動画がアップできず残念です。 辛すぎるのに弱い私ですが、昨日は予約してくれた義叔母が 「あまり辛くしすぎないで」と言ってくれたそうで、 どれも、美味しく食べられました。 |
大学時代の友だちNさんのお義兄さん、稲葉猛氏の個展が
表参道ヒルズの同潤館で、開かれます。
稲葉さんのプロフィールはこちら→「稲葉猛さん」
作品はこちら→「ネットギャラリー」
稲葉さんは武蔵野美大を出て、画家志望。
Nさんのお姉さんは学校を卒業してフランスに憧れていたそうです。
二人は出会って意気投合。お姉さんがデンマークにお手伝いさんの働き口を見つけて、
1968年、シベリア鉄道ではるばるデンマークに行って2年半、そしてノルウェーに1年滞在。
その後フランスへと移り住んだとか。
1974年、私たち夫婦が結婚して、フランスに新婚旅行で行ってお会いした時、
まだ、パリにたどり着いていなくて、アンジェという郊外の古い町に住んでいました。
それから間もなく、パリに住むようになったそうです。
稲葉さんはずっと絵を描き続けて、Nさんのお姉さんは猛烈勉強してガイドの資格を取って働いて、
今日もパリに住み続けているという、何ともつわもの夫婦!
前回、前々回の個展では空き缶アートに凝っていたけど、今回は違ってソフトな感じです。
お近くにお出での方はぜひ覗いてみて下さい。
3.11東日本大震災から、6年が経ちました。
社会全体でも、個人的にも色々なことがあって、随分前のような気もします。
被災地の今の様子を伝える報道が多い中、
何といっても、福島第一原発の今の様子と、
それによって避難を余儀なくされた住民や、町の様子が一番の問題だと思います。
帰宅困難区域は全くのゴーストタウン化して、
居住制限区域や避難指示解除準備区域が解除になっても、
住民は帰還せず、少数高齢者だけが帰宅して、町が成り立たないようになっている。
除染も十分とは言えず、福島第一原発が中の核燃料が、未だどうなっているかわからず、
何十年経ったら、危険がなくなるのかもわからない状態です。
私だったら、絶対に戻りません。
世界の多くの国が、日本の震災時の様子を見て、
原発を廃止して、別の道を歩んでいるのに、
被爆国で、あの事故を経験して、それを目の当たりに見ている日本が、
次々原発を再稼働していくことが、どうして許されるのかわかりません。
あの災害をきっかけに我が家は太陽光発電システムをつけました。(「太陽光発電」2012.10)
発電量と消費量をみると、息子が家にいた時は、およそ消費量の約80%を発電してましたが、
息子が家を出てからは丁度100.99%(発電量7151.1Kwh 消費量7080.7Kwh 2015.11-2017.2)
が自前発電で賄えてます。(若者がいると消費電力がいかに多いことか!)
据え付けるのに補助金を使っても1,445,000円かかってますから、まだ元はとれていませんが、
毎月の電気代はほとんど戻ってくる額の方が多いので、大助かり。
それほど、太陽光発電は素晴らしいと思うのに、震災後でも家の周りで太陽光発電パネルをつけている家は本当に少ない。
それは何といっても、国がいまだ原発推進政策で、補助金は原発に回し、自然エネルギー政策にまわらないので、
設置費用がさがらず、つけている人が電気料金を押し上げているような「印象操作」をしているからだと思う。
原発は事故の問題だけでなく、放射性廃棄物の処理方法もいまだ決められず、今の人類には手に負えないものです。
将来的に出来るようになるかもしれませんが、何時になるか全くわかりません。
原発が世界的に受け入れられなくなってきたことは、「東芝」の危機問題ではっきりしてきました。
それなのに民進党まで「原発ゼロ」の時期を言えないとは…
日本はどうなるのでしょう??トホホ
今日の朝日新聞土曜版の9面の「知っ得なっ得」という連載コラムに 「賢い医者のかかり方」という記事がありました。 (クリックすれば朝日デジタルに繋がります) 5回連載されていましたが、今回が最終回で、 「医者にかかる10ヵ条」というものでした。 イラストがとても面白く、思わず吹き出してしまいました。 10ヵ条とは ①納得できない時は何度でも質問する ②伝えたいことは事前にメモしておく ③大事なことはメモをとって確認する ④自覚症状や病歴は、患者の伝える大切な情報 治療中や再診時には ⑤その後の変化も伝える ⑥これからの見通しを聞く ⑦よりよい関係づくりは患者にも責任がある ⑧対話の始まりはあいさつから ⑨医療にも不確実なことや限界がある(ことをしる) ⑩自分が受ける治療は自分が決める でした。 私たち患者は、医師に前に出ると緊張してしまいます。 ただでさえ、年をとると、耳の聞こえが悪くなり、頭の回転速度が落ちます。 医師は何度も色々な患者に話していることでも、患者には初めてのことが多い。 専門用語など交えて話されたら、ちんぷんかんぷんになってしまいます。 「よく分からないのですが」とか「もう一度お聞きしてもよいですか?」 とか丁寧に聞き直すことは大切だと思います。 |
許可を取って、録音させてもらうこともいい方法だと思います。
最近はネットなどで、調べられて、そこに書いてあったことが自分に当てはまり、
重病かと心配になることは多いと思います。
色々調べることはいいことだと思いますが、ネットに書いてあることは全てが本当というわけではないし、
なにより、医師はプロであることをしっかり自覚して、意見を求めたり、質問したりすることが大切です。
ネットで得た知識をひけらかし、 まるで、専門知識を持っているつもりになって、医師に対すれば、 反感を持たれるだけで、自分の得になることはないので注意! ちなみに私は、毎回外来で、 「血圧はどうですか?」 と聞かれるので、血圧の変化をグラフにしてドクターに見せています。 先日作ったグラフをみると 冬場高かった血圧がだいぶ落ち着いてきたことがわかり、 自分でも 「いい調子かも?」と思えてとてもいいです。 |
ブログの更新を怠っていたら、もう3月になってしまいました。 |