今年もクロッカスの季節になりました。 記念館の庭は母の手がなくなって 殺風景になりましたが、 クロッカスの球根はこうして 不揃いながら春を告げて咲いてくれます。 庭をみると、そこに立っていた母が 目に浮かび、何で死んでしまったの?ってつい… 人間一人でいるとそんなことばかり考えてしまうから、 | |
やっぱり、いろいろな人と仕事したり、 おしゃべりしたり、テニスをしたり、お食事したりって大切なことだと思います。 花を観る時もみんなで話しながら観れば、春が来た楽しい気持になります。 どんな時も友達や家族を大切に感動を分かち合えたらいいですね! |
一人暮らしも大丈夫だそうです。
本当によかった!
今日、テニスで一緒のクラスの人で、12月に卵巣癌であることが分かって、
先月、手術をした人がレッスン後にみんなとお茶をする時に顔を出しました。
元気そうでしたが、だいぶ痩せていました。
腫瘍はかなり大きくなっていたそうです。
腸の検査の時、お腹に何かあることが分かって調べたら卵巣腫瘍だったとか。
去年、夏過ぎから体重がどんどん減っておかしいと思っていたけど、
別に症状はなかったとのこと。
卵巣癌もわかりにくい癌みたいです。
今後は抗ガン剤治療をするそうです。
手術も無事に済んだので、よくなっていけばいいと思います。
ガンは治るものも今では沢山あります。
私の周りにも乳ガン、大腸ガン、胃ガンなど手術して
5年どころか10年以上、元気いっぱい暮らしている人々がいます。
精神的に前向きに生きることも病気を治す力になります。
「又、来週一緒にお茶しましょう!」ってわかれました。
未破裂脳動脈瘤手術したTさん、明日退院です。 こんなに元気になりました。 髪は一部しか剃らなかったので、 帽子を被らなくても髪で隠せるのですが、 未だ少し腫れているし、 チョット心配なので帽子を被っています。 私がくも膜下出血になった時は、 丸坊主にされてしまったので、 みんなが帽子をくれました。 沢山もらっていたので、 彼女に少し持っていってあげました。 栗田先生が今回の手術、 そして術後の検査結果、今後のこと 今日もう、画像を見せて話して下さいました。 | |
彼女は一人暮らしなので、退院後、一人で大丈夫か心配していましたが、 これなら大丈夫そうです。 傷のところは落ち着くとかえって凹んでしまうので、 少し腫れているように盛り上がった形にした方が自然に分からなくなるそうです。 今後は家の近くで最初に診てもらった病院で診察してもらえるように手配して下さいました。 何から何まで感謝感謝です。 |
頭の傷がチョット痛々しいけど、顔の腫れもすっかりひいていました。
午前中リハビリと造影剤を入れてCT検査をしたそうです。
リハビリは何をするのかと思ったら、廊下を歩いてみたり、
片足立ちをしてみたり、手を握ったり開いたりしたそうですが、
問題なくできたみたいです。
少ししたら看護師さんが来て、
「お風呂が空いています。どうぞおはいりください」
と言ってくれたので、一人で入りに行きました。
もう、髪は一度洗ってもらってあったみたい。
しばらくしたら、さっぱりときれいになって出てきました。
忙しくてお会いできないかなと思ったけど、
ドクター栗田も病室に来てくれて話が出来ました。
明日、抜糸をして様子を見て19日(金)には退院できそうだということです。
全てが順調にいって、こんなに嬉しいことはありません
鹿児島に行って母の墓参りをしてきました。 空港からまっすぐ、蒲生という小さい町の墓に行き、 お参りしたあと、鹿児島に住む従姉のN子さんとランチを食べて、 母のことや父の郷里蒲生の話をしました。 鹿児島は数えるほどしか行ったことがないのに 父祖の地であるせいか、いつ行っても懐かしい感じがします。 昨日は、海音寺潮五郎の歌碑の写真を撮りに駅まで行きました。 上の写真は新幹線鹿児島中央駅のコンコースにある 桜島のステンドグラスです。 このステンドグラスの横に 我が祖父海音寺潮五郎の歌碑があります。 九州新幹線は来年3月、鹿児島ルートが完成し、 東京までも繋がるとか。 鹿児島の人はとても期待しているようです。 |
碑文↑ 桜島わが前にあり 西郷も大久保も見し 火を噴く山ぞ 海音寺潮五郎 |
← この歌の通り、今、桜島は 毎日噴煙を上げて 盛んに活動しています。 市内も、墓のある蒲生まで 灰が降って大変。 目はチカチカするし、 埃で喉もイガイガするし、 車は真っ白になってしまうけど、 鹿児島の人は馴れていて いつもの事って感じ。 |
「Tさんは一般病棟に移られました」
ですって!
そこで4階脳外科のナースステーションで病室をきいたら、
案内されたところに別人が???
もう一度調べたら、その人の退院待ちで、個室にいました。
もう点滴が一つつけられていて、少し手術した側の顔が腫れているだけで、
大手術した人には見えませんでした。
スタスタ歩いて、トイレも自由です。
人間の回復力はすごい
来週からリハビリをするって言われたそうだけれど、どんなリハビリをするのでしょう?
さて、明日は母が亡くなってちょうど1年です。
最後の最後まで頑張って人間の尊厳を失わなかった母の姿が今も目に焼き付いています。
明日は鹿児島に行って母の墓参りをしてきます。
「千の風になって」の歌のように母はきっとお墓の中になんていない気がします。
でも、心の区切りをつけたくて母の墓参りがしたくなったのです。
人の死って必ず訪れるものではあるけれど、
大事な人の死はいつまで経っても、納得がいかないって感じです
今日のTさんは、もう元気いっぱいです。 未だ、SICUですが導尿の管や、 鼻から気管に入れてあった管や その他の点滴の管が次々外されて、 水も飲ませてもらえて、ベッドを起こして 食事も自分で食べられるようになって 彼女らしいキンキン声のおしゃべりも始まり、 絶好調になりました。 | |
昼過ぎに病室に行ったら、ちょうどドクター栗田も見えられて 「とても上手くいって、手術後も順調です」 ってお話しがありました。「写真を撮らせて下さい」ってお願いしたら、 快く、Tさんの横に立って下さって、Tさんは見ての通り、Vサイン! 今日も手術だそうです。 日本では全国的に今日は祝日で休みだというのに、そんなことは全く関係なく、 患者を救うことに命をかけていらっしゃる。 素敵です でも、先生も人間ですから、少しは休んで下さいね! |
病室に行くとTさんは点滴して、手術着に着替えていました。
手術部位を剃髪して準備万端。
ドクトルクリクリがいらして
「よろしくお願いします!」と挨拶して
予定通り8時半に病室から手術室へ。
手術が終わったら、SICUに入るので、場所を確認したあと家族控え室へ。
Tさんの弟のHさんと二人でそれからずっと待っていました。
昼を過ぎても連絡なく、手術は順調に進んでいると思いつつ、時々、大丈夫かなぁ~?
予定では3時頃には終わるとおっしゃっていたので、
3時少し前に
「そろそろ予定の時間ね」
と言った途端、ポケベルが鳴りました。
呼び出し場所が手術室かSICUか番号で表示されるから確認して消すようにと言われていたのに
慌てて、確認もせずに切ってしまいました。
「予定通りだから、手術室じゃないよね」
と言って、1階のSICUに行って、入口でボタンを押してTさんの家族であることを告げたら、
すぐに開けてくれて、中に入りました。
様子からして、もうOKの雰囲気。ほ~~~っ!
ドクトルクリクリは続けて手術に入っているのでということでサブの先生から説明がありました。
瘤は思った以上に大きくなっていて、癒着している血管を剥がす作業は時間がかかったそうです。
でも、上手く3本のクリップでしっかりと根本をとめることが出来て成功だそうです。
ばんざ~~~い\(^_^)/
その後、Tさんに会ったら、未だすっかり麻酔が覚めていないせいで、少ししゃべりにくそうだったけど、
しっかりとしていて、これなら大丈夫って確信できました。
本当に本当によかった
手術の説明は明日夕方という話だったけど、
入院の日には、色々説明や予定などきかされることが多いので、一緒に病院に行きました。
手続きが済んで病室に案内されたら、未だベッドが用意されていなくて、
デイルームという、ちょっと広いサロンみたいなところで待っていたら、
ドクトルクリクリが見えて、
「今少し時間があるので、手術の説明をしてしまいます」
と言って、カウンセリングルームで手術の説明がありました。
Tさんの動脈瘤はブレブといって一部がさらに膨らんでいる不整形な瘤で、とても破裂しやすい形であること。
実際開けてみないと瘤に癒着している血管を剥がすことが、容易に出来るかどうか分からないこと、
キチンとクリップをかけられれば、この瘤に関してはもう心配なくなる事等、
詳しく説明して下さいました。
手術はスムースにいってだいたい5時間くらいかかるそうです。
8時半に病室を出るということですが、
麻酔や色々な準備をして実際手術にはいるのは10時頃だとか…
終わったらSICUにしばらくは入るそうです。
それにしてもビックリしたのは、ドクトルクリクリはその後もう一件、
脳腫瘍の手術があるので、終わったあとの説明は
サブの先生がすることになると思うっておっしゃったのです
「えっ!その後もう一件手術をするんですかぁ」
って驚いたら、
「普通のことです」
ですってまたまた
脳外科医って並はずれた体力気力が必要な仕事だと改めて思わされました。
私の海音寺潮五郎記念館での仕事は普段は電話番と留守番、連絡係などですが、
年度末は、記念館の活動記録のような、記念館誌の編集の仕事を一人でするので、結構大変です。
何年もやってきてはいるのですが、なかなか、要領よくよいものが出来ません。
でも、パソコン、インターネット、FAX、メールなど、現代のツールを使えば、なんとか一人でできるものです。
記念館誌のメイン記事はいつも年間最大の行事である文化講演会ですが、
今年度は、夢枕獏氏による「旅と物語」という題の講演記事です。
テープ起こし原稿がメールで届いたのが1月21日。
それから、必死になって記事をまとめて夢枕事務所に送ったのが1月28日。
(図々しくも、今年度中に記念館誌を出したいので、どうか出来るだけ早くお目通しをなどと書いて)
すると、翌日事務所の秘書の方から、
「夢枕氏は今日から京都に出かけ、帰ってきて2月1日から16日まで中国に出かけるので目を通せるのはそれからになるけど、最終的にいつまでに送ればよいか?」
と連絡があった。
「それはもう、先生のご都合でよいのですが、出来るだけ早くお願いします」
と鄭重にお願いした。
やっぱりそうだよね。あんな勝手なこと言って、怒らせてしまったかなぁ?
な~んて反省して、これはもう、3月末日に出すのは無理かと思っていたら、
なっナント!1月29日にFAXで手直し原稿を送って下さった。
(記念館に誰も出ていなかったので昨日気付いた)
昨日、事務所にお礼の電話をしたら、秘書の方が、
「届きましたかぁ~!じゃ、中国に行く前に目を通して送ったのですね」ですって!
自ら、ファックスで送って下さったんだぁ!
講演会の時も、ユニークな発想でユーモアがあって暖かい感じのする方だと思ったけど、
こんなに勝手なお願いをちゃんときいて下さって、感謝感激!
夢枕獏ファンになっちゃいました。
又、何か作品を読ませてもらおうっと!
主治医ドクトルクリクリの転勤で移ることになったので、
今日は、紹介状をもって、近くの久我山病院の脳外科外来に行ってきました。
久我山病院はこのあたりの地域密着型病院です。
外来の脳外科は一人の医師で診ています。
脳外科は整形外科や内科に比べて空いているかと思ったら、案外混んでいました。
脳卒中後の患者さんと思われる人が多かったですが、
頭痛で来ていた中学生くらいの男の子がいたり、
救急車で顔を腫らせて運ばれてきた女性は殴られたようでDVなのかなあって感じだったし、
お店か会社で頭をぶつけたのか、タオルで冷やしながら、若い女性に付き添われてきたおばさんは、
「ちゃんと労災って言った?」
などと、あとから来た男の人に訊かれていました。
大学病院の脳神経外科の外来とはだいぶ様子が違っていました。
名前を呼ばれてはいって、診察を受けました。
チョット緊張したけど、気さくな感じのドクターだったので大丈夫そうです。
次の外来で脳動脈瘤のMRIを又、撮ることになりました。
これから、しばらくはお付き合いすることになりそうです。
外来の待合いに座っていたら、去年の今頃、母が久我山病院で末期膵癌で入院していて、
とても辛かった事を思い出してしまいました。
母が亡くなったのが2月13日ですから、もう一年が経とうとしています。