昨年9月に人間ドックの胃の検査で“胃炎”といわれた。 その時にはそれほど症状もなく、よく言われるので気にしなかった。 それが正月過ぎから3月頃まで、胃の調子が悪く、 ガスターを飲んでみたりしたが、なかなか治らないので、 胃がんかすい臓がんかと心配になって、 3月末に胃カメラ検査を受けた。 結果はまた、胃炎だった。 医師から 「ピロリ菌の検査をしてみますか?」 と訊かれ、血液検査を受けた。 「結果を聴きに来るはいつでもいいです」 といわれ、脳外科外来の予約のあった昨日、消化器内科にも寄って聴いてきました。 胃の症状は、ネキシウムという胃の薬を飲んで、すっかりとれていたので、 ピロリ菌検査も大丈夫に違いないと思っていたら、 「ピロリ菌検査は陽性です。治療をしますか?」 といわれビックリ! ピロリ菌ってよく胃がんの原因になるって言われているし、 |
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これはもう治療してもらおうと思って、 「はい!よろしくおねがいします」と答えました。 治療方法は↑写真の薬(一日分)を朝夕食後に、1週間欠かさずに飲む。 そして4週間以上空けて、検査(呼気検査)をして菌が検出されなければ除菌成功。 でも、一回で成功する確率は75%。 もし、また検出されたら、もう一回、別の薬に替えて治療するそうです。 私は血圧の薬、胃の薬を常用しているので、朝夕8錠の薬を飲まなければなりません。 何とも薬漬けな毎日になります。 でも調べたら、若い人は少ないけど、 幼い時の衛生状態が悪かった日本人、50代以上(2010年時点)80%がピロリ菌保菌者だそうです。 ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌) { Yahoo!ヘルスケア>家庭の医学>食道・胃・腸の病気>胃・十二指腸の病気>ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)より} な~んだ!ピロリ菌と聞いて慌てたけど、みんな癌になるわけじゃないし、そう心配することはないのだとわかりました。 でも、少しでも癌の要因を減らすことはいいことだと思って、飲んでみることにします。 |
銀座かねまつビル8階 “懐食みちば”でランチをしてきました。 |
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次は旬皿で私は活魚焼カルパッチョを選びました。 カルパッチョだから冷菜だと思ったら、何と温かいカルパッチョ! お味もほんのりよいお味。 次が焼物、 そして蒸し物、鱸の鳴門蒸し、 その次がじゃ~~ん 熱く焼いた石の上に乗った地鶏焼。 私は鶏肉が苦手なのです。 |
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最初に「何かアレルギーとか食べられないものはありませんか?」 |
最終日は朝からザーザー降り。 一見の価値があるところでした。 |
多々羅大橋を渡って、大島にある村上水軍博物館に着く頃には 雨はすっかり上がって、ゆっくり瀬戸内の島々を楽しむことが出来ました。 伯方島を通った時、 「そうだ!『伯方の塩』をお土産に買おう」 と思って、道の駅で見たら、裏に 原材料名 :天日海塩(93% メキシコまたはオーストラリア) 海水(7% 日本) と書いてあり、伯方島の塩ではないことがわかってやめておきました |
最後に藤堂高虎が築城した今治城にちょっとだけ寄りました。 城郭は明治時代、廃城令、火災などで破壊され、 昭和55年コンクリートで天守が建てられたもので、 とても古く趣きのある建物ではありませんが、 ちょっと面白かったのは、堀に海水が引き入れられているので 鯛やヒラメが泳いでいることです。 サメが泳いでいたこともあるそうです。 と、いったことで、四国旅行は無事終了しました。 楽しいGWでした |
3日目は松山城見物の前に、同宿だった娘とホテルのとなりにある「坂の上の雲ミュージアム」へ。 レトロな洋館「萬翠荘」とどちらを見るかと娘に訊いたら、 「私は坂の上の雲ミュージアム」と即答! 建築が専門の娘は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではなく、 安藤忠雄設計の建物に興味があったみたいで、写真を撮りまくってました。 夫は全館がスロープの回遊式展示で全てが斜めなので 体質的に合わなくて、途中で「気持ち悪くなったから、待っている」と言って鑑賞できず。 |
その後、近くのホテルに泊まっていた息子たちと一緒に歩いて松山城へ。 ロープウェー街をぶらぶら10分ほど歩いたらロープウェー乗り場。 所要時間3分で広場に到着。 さらに、そこから徒歩10分で、天守到着。 賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明によって建てられた城は、 青空をバックに雄大で、美しいものでした。 天守最上階からは松山の市街、瀬戸内の島々が見えます。 晴天でよかった 広場でいよかんソフトクリームを食べたら、 何とも爽やかな味。丁度季節でしたからフレッシュ! |
午後からは、観光列車「伊予灘ものがたり」に乗車。 松山から八幡浜までゆっくりと 瀬戸内の景色を見ながら美味しい料理を楽しめるという 超人気でなかなかチケットがとれないという列車です。 綺麗なアテンダントさんが迎えてくれて乗り込むと中は、ホテルのようです。 私たちは海側の窓に向かった席でした。 乗車間もなく食事が配られました。 こちらがメニュー←クリックしてね |
まあまあのお味でしたが、 13:28分発だったので、すっごくお腹が空いていて量的に物足りなかったです。 写真にはありませんが、コーヒーと坊っちゃん団子も出ました。 お誕生日の人がいたので乗務員と同じ客車の人たちでお祝いして、 みんなで和気あいあいムード! |
途中、瀬戸内の海がきれいに見える、下灘と 単線なので上下列車のすれ違う伊予大洲でちょっと停車するので、 記念撮影をしました。 沿線の人たちや駅の人が手を振ってくれるので、 思わずこちらも手を振ります。 途中から海を離れて肱川沿いの山間に入ります。 海の景色、川の景色、山の景色、最高です。 |
大洲城近くの鉄橋を渡る時は、 天守閣の周りでみんなでのぼり旗を振って、歓迎してくれます この旗振りはは誰でも参加出来るようですよ!(大洲城 歓迎はたふり) 終点八幡浜は、大変ローカルな駅前に何もないところでした。 地図で見たら砂防ダム下の崖崩れ危険地域のところに 小さな神社があったのでお参りしてきました。 「伊予灘ものがたり」いいですよぅ~!!ぜひぜひ皆様お試しあれ |
二日目は、いよいよ息子のフィアンセ家族との顔合わせ。 娘も東京から来るので、松山空港まで迎えに行く約束でしたが、 飛行機が着くのが11:05なので、少し松山市内を見学。 朝早いので、開いているところもなく、駅の近くの子規堂に行って、 またまた、子規のことを色々と知りました。 続いて、鎌倉時代元寇の時に活躍した 河野道有の居城、湯築城跡に行きました。 小高い山の上にあった平山城なので、 山のてっぺんに登ったら、松山の町が見え、 松山城も眺められ、朝の爽やかな空気で心が洗われた感じでした。 庭には大きなアオサギがいて風情があり、気持ちのよい朝の散歩が出来ました。 |
さて、娘を松山空港でピックアップして、両家顔合わせ会場の伊予西条に向かいました。 会場は伊予西条の懐石料理のお店。 彼女の御両親と妹さん二人と下の妹さんの婿さんが迎えてくれ、楽しい会食が始まりました。 思っていた通り、温かい仲良し家族で、話が弾みました。 息子は本当にいいお嬢さんと結婚できると嬉しくなりました。 お料理も瀬戸内の海の幸をふんだんに使ったもので、 ここに載せた以外にもそれはたくさん出てきて、しかも一つ一つの量が多く、 最後の鯛めしは美味しかったのですが、お茶碗いっぱいがやっとでした。 |
西条は石鎚山の伏流水が町の至る所で湧きだし、 「うちぬき」と呼ばれるところがあります。 水道代がただだと書かれているけど 「ただじゃありません」とのことでした。 藤の名所と書かれていた観音堂(禎祥寺)に 行ってみたいと私が言って 連れて行ってもらったのですが、 生憎、盛りは過ぎて何とか遺っている程度でした。 |
その後、松山に戻って、ホテルに車を置いて、 市電に乗って道後温泉に行きました。 道後温泉本館は来年から耐震の改修工事が始まり、 2024年まで、入れなくなるとかで、 GWでもあり、ものすごい混み方。 中に入るどころではなく、外から眺めただけでした。 だいぶ遅くなったのでホテルのある大街道にもどって、 夕食を食べました。 美味しい天麩羅とおそばのお店でゆっくり出来ました。 |
5月3日から、三泊四日で伊予愛媛に行ってきました。 羽田から松山空港まで一時間半くらい。空港にお遍路さん更衣室、サイクリスト更衣室がありました。 そういえば、テレビで今お遍路さんブームが起きているとか言ってましたっけ。 今回の四国行きは、息子と結婚することになったお嬢さんの実家が、愛媛県で 先方のご家族との顔合わせ会食が主な目的ですが、 せっかくなので旅行もしてこようということになりました。 着いてまず、私がくも膜下出血の時、助手とし手術をしてくださったU先生宅訪問。 私はあの時、計4回も入院し、3回の手術をしたのですっかり脳外科の常連患者になってしまい、 担当の看護師さんと友だちになりました。 その看護師のYさんがU先生と結婚なさったので、 その後も先生はさておき、Yさんと仲良くさせてもらって、時々会っていました。 U先生はあの時は、救急医から脳外科になったばかりだったとおっしゃってました。 先生は東京から水戸に転勤し、昨年からふるさと愛媛に帰られて、 もう、あれから16年半経って、お会いすることはないだろうと思ってましたが、 息子の結婚で愛媛に縁が出来て、再会することが出来ました。 新しく建てられた素敵な家で迎えてくださって、楽しくおしゃべりしました。 |
その後、道後温泉に行こうと思ったら、 ←子規記念博物館 |