最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

「鉄板焼 嘉門」 帝国ホテルでステーキランチ

2017-12-15 16:20:55 | グルメ
昨日は、帝国ホテル、レストラン「 鉄板焼 嘉門」でステーキランチを食べました。
帝国ホテルでステーキなんて初めて!
本館17階、バイキング(ヴッフェ)レストランと同じ階でした。
ブース毎に料理人が付いて、鉄板で焼いてくれます。

ランチコースで、最初は、スープです。
次に薄切り肉を焼いて野菜に載せて、ビーフサラダ嘉門風。熱々のお肉の載ったサラダも乙なもの。
つづいてメインのステーキ。フィレ肉をミディアムで焼いてもらいました。
カリカリに焼いたガーリックスライスと、炒めたもやしとニンジンの付け合わせ。
塩とたれが2種類ありました。どれをつけても美味しかったです。
日本らしく、御飯と味噌汁と香の物も付きました。

デザートは7種類。全部食べられるか不安でしたが、一緒の人が
「私は、全部!」と言ったので、つられて
「私も全部!」って言っちゃいました。
あっさりしていて、大きさも丁度良かったので、ケーキとムースを交互に食べたら、
どれも美味しく、全く量的にも問題なく食べられました。
 
ランチの後は、腹ごなしに完成した東京駅の駅前広場を散策。
左は東京駅を向かいにして、右は皇居に向かって撮った写真です。
本当に広々していて、東京って気持ちよい場所って思わせてしまう(錯覚?)、いい空間ができていました。
新丸ビルの中のカフェでお茶して、おしゃべりして帰りました。
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維新ふるさと館

2017-12-11 21:32:23 | 海音寺潮五郎
訪鹿最終日(12/3)は、鹿児島市内、甲突川沿いの維新ロード方面に行きました。

維新ふるさと館の駐車場に車を止めて、まず、目の前の西郷隆盛誕生の地を見学。
ボランティアガイドさんがいて、色々説明してくれました。

西郷がここで生まれた時は、親戚一同大家族で住んでいたとか。
弟で明治維新政府の数々の要職を歴任した從道もこの地で誕生したそうで、
横にある小さな碑に西郷從道誕生の地と書いてありました。
(そう言えば、明治村にあった西郷從道邸、すてきだったなぁ~!)

つづいて、「維新ふるさと館」に入りました。
明治維新に関する様々な展示があり、
今、流行りの科学技術を駆使した体験型ミュージアムです。
鹿児島市の施設で、平成6年にオープンしたそうですが、私は初めてでした。

平成30年1月23日、明治維新150周年、
大河ドラマ「西郷どん」の放送開始に合わせて、現在工事中のところが完成して
リニューアルオープンするとか。

来年は「篤姫」の時のように、沢山の観光客が鹿児島に来ることでしょう。
鹿児島の人たちはすごく期待しているようです。

地下のシアターでドラマ上映をしていました。
時間が丁度だったので、また「薩摩スチューデント、西へ」という
薩摩藩留学生のドラマを見ました。
前日も記念館で聞いた話だったので、すっかり詳しくなってしまいました。

大河ドラマ「篤姫」で、使用された豪華な衣装が飾られていましたが、
来年は「西郷どん」一色になることでしょう。

売店には新装版になった
海音寺潮五郎の角川文庫「西郷隆盛(一)~(四)」も並んでいました。
読んで貰えるといいな!


ランチは維新ふるさと館の前の甲突川に架かる橋を
渡って、むかい側の「マルコポーロ」という
イタリアンレストランのテラス席で食べました。

川風が吹いていましたが、
気温が20℃近くあったので、気持ちいいくらいでした。

グラタンランチ、Very good !

ここで、叔父たちと別れて、
姉と二人で維新ロードを散策。

鳶が、ピーヒョロローと鳴いて、
予報以上の好天でしたが、
暑くて、コートも上着もとても着ていられないほど。

さすがに鹿児島でした。

(鹿児島旅行 終わり)
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薩摩藩英国留学生記念館

2017-12-10 14:57:40 | Weblog
鹿児島旅行2日目(12/2)美山で薩摩焼を堪能した後,、
「薩摩藩英国留学生記念館」に行きました。
ここは、2014年7月に開館した比較的新しいものです。

串木野から海沿いの道をだいぶ走った、いちき串木野市羽島にあります。
「こんなに離れた海岸に記念館があるのだから、多分ここから、行ったんだね」
と話していたらその通りでした。

薩摩藩英国留学生って知らない人も多いと思いますが、
薩摩藩は、生麦事件をきっかけに起きた薩英戦争で、
西洋の進んだ技術を目の当たりにして、
英国と和睦し、軍艦購入の周旋を依頼して、
留学生を派遣することにします。
当時はまだ、鎖国をしていたので、留学生たちは、
密かにこの羽島の沖から、英国に向かったそうです。
(詳しくはこちら→「薩摩藩英国留学生の歴史」薩摩藩英国留学生記念館)

一行は、4名の視察員と15名の留学生。
朝ドラでディーンフジオカが演じて有名になった五代友厚、明治政府の初代文部大臣 森有礼も一員です。

留学生は、ロンドン大学のユニバーシティーカレッジの法文学部聴講生として入学し、懸命に学びました。

最年少、13歳だった長沢鼎は、年少のため大学に入学できず、
幕末、長崎で武器商人として活躍し、この留学生派遣に協力したトーマス・グラバーの実家に身を寄せ、
近くの中学校に通い、地元の新聞に名前が載せられるほど、優秀な成績を修めたそうです。

その後、薩摩藩が経済的に苦しくなり、仕送りが途絶え、留学生たちは困窮し、帰国したり、
伝手を頼って、アメリカに渡ったりしました。

長沢鼎もアメリカに渡り、一人だけ永住し、
カリフォルニアでのワイン醸造を成功させ、人々に「ブドウ王」と称されました。
この話は、1983年にレーガン大統領が来日した際、国会での演説の中で紹介し、有名になりました。

残念ながら、今年10月に起きたカリフォルニア州サンタローザの山火事で、記念施設やブドウ畑がある醸造所が焼けてしまったそうです。

「ショックだった」カリフォルニアの山火事、鹿児島で支援の動き “ブドウ王”がつないだ縁
~西日本新聞~

(鹿児島旅行最終日につづく)
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美山~薩摩焼の里

2017-12-07 15:04:27 | 海音寺潮五郎
鹿児島旅行2日目の午後は、薩摩焼の里「美山」に行きました。

薩摩焼の起源は、秀吉の大陸進出 野望の戦い
文禄・慶長の役の後者、慶長の役(1598)。
薩摩の猛将、島津義弘が捕虜として連れ帰った朝鮮の陶工たちが、
ここ薩摩の地で、窯を開いて、代々受け継いできたものです。
美山は苗代川系ですが、他にも龍門司系、堅野系などがあるそうです。

薩摩焼で全国的に有名なのは、沈壽官氏の作品です。
朝鮮から来た沈家の初代は沈当吉という人だそうですが、

12代 沈氏(1835~1906)が、沈壽官を名乗り、
藩の庇護がなくなってしまった窯を、上手く民間経営移行して
ウィーン万博(1873)始め、数々の万博、勧業博覧会などに出品し、
高い評価を得て、世界的な名声を博し、薩摩焼が海外でも広く愛用されるようになったそうです。

その後代々、沈壽官を名乗り、今は15代です。
「沈家伝世品収蔵庫」には、代々の作品が展示されていて、
透かし彫り、鮮やかな絵付け、美しい形、どれもやはり名品揃いで、愉しめます。

登り窯を見て、裏の工房に行くと沢山の職人の方々が、制作に取り組む様子をガラス越しに見ることができました。
若い職人さんが大勢で驚きました。


土と火の魔術なりけり荒木のや

幹二郎がしごとさやかなるかも

    海音寺潮五郎


次に同じ美山にある、
祖父海音寺潮五郎の好きだった「荒木窯」に行きました。
荒木幹二郎さんの窯です。
息子の荒木秀樹さんが継いでいらっしゃいます。
素敵な壷の上に祖父の色紙が飾られていました。

温かみのある作品で、私も大好きです。
私と夫の湯飲みを求めました。   (つづく)
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企画展 「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」

2017-12-06 21:39:55 | 海音寺潮五郎


2日目は今回の訪鹿のメイン、かごしま近代文学館で開催されていた(12/3まで)
企画展「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」見学。
午前10時に叔父夫婦と待ち合わせて行くと、館長、副館長、学芸員の方々が出迎えてくださいました。
直接、展示を担当された学芸員の森山さんの案内で、展示を見学しました。

海音寺作品は雑誌に発表されたもの、さらに本に刊行されたもの、色々ありますが、
古代から現代まで、本当に多作です。
今回の展示では、沢山の作品に実際にあたり、様々な角度から分析して、
作品に描かれている時代順に、作品の中の一部の文章、原稿、本の画像などが展示され、
本当に見応えのある展示でした。
展示はそのまま図録として刊行され、販売されていました。
A5版で字が小さいのが難点ですが、予算の都合で仕方なかったのでしょう。

定価1000円で、かごしま近代文学館のサイトで見ると通信販売も可です。

特別展を見た後、常設展も見学しました。
来年の大河ドラマ「西郷どん」に合わせて、西郷隆盛の著作が多く展示されていました。





文学館を後にして、すぐそばにある島津忠義像を見て、
月遅れの七五三参りをしている子どもたちがいる
照國神社にお参りしました。

昼食は簡単にかごしま近代文学館の
レストランで食べました。


(つづく)

コメント (2)
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鹿児島に行ってきました

2017-12-05 11:57:15 | Weblog

姉と母の弟(叔父)夫婦と一緒に、鹿児島に行ってきました。
両親の墓参とかごしま近代文学館で開催されていた
祖父の企画展、「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」を見学が目的でした。


福応寺納骨堂
富士山を雲の上に眺めながら、2時間弱。
鹿児島空港には義兄(鹿児島の人)の従妹のYさんが車で迎えに来てくれていました。

両親の墓に向かう途中、龍門滝の看板が出ていましたが、
姉が
「S義叔母さん(父の弟の連れあい)が入っている老人ホームはここあたりよ。
ちょっと会っていきましょう!」
と、突然言いました。

Yさんは鹿児島の人ですから、すぐにそのホームにたどり着けました。
何年も会っていない義叔母が、すぐに私たちのことが分かるかとちょっと心配。
ところが、その心配は全く無用でした。
受付で名前を告げて、義叔母の部屋に行くとシルバーカーにつかまった義叔母が、
「まぁ~!Sちゃん、Mちゃん、良く来てくれたわ~!夢かと思っちゃう!」
と言って、部屋の外に立っていました。

それから、義叔母の部屋で色々話しましたが、
その頭脳明晰さ!ビックリ仰天!私たちが出てこない親戚の名前も次々に出て、話すこと話すこと!!!!
生活も食事は食堂でするけど、ヘルパーさんを週2回頼んで買い物をしてもらって、洗濯は自分でして、
すぐ隣の温泉病院のデイサービスに通っているとか。
「義叔母さん、おいくつになられたのでしたっけ?」と聞くと、
「90歳よ」ですって!

叔父との待ち合わせがあるので、別れを告げると、
正座から、立ち上がり、
「お茶も淹れられなくてごめんなさいね」と言って、
ロビーにあった自動販売機でお茶を買って、渡してくれました。
義叔母さんも、別れ惜しげに手を振ってくれましたが、本当に会えて良かったです。

その後、父の郷里、姶良市蒲生の福応寺で、先に着いて祖父の郷里、伊佐市大口に行っていた叔父夫婦と会い、
父と母の墓参りをしました。
鹿児島にはなかなか行けないので、急に思い立っての墓参でしたが、できて良かったと思います。

先付け

あらだき

塩レモンづくし

光り物づくし

地魚づくし

岬にぎり
夜は天文館近くの「喜鶴寿司」でお寿司を食べました。
お醤油も何もかも甘めで、薩摩の味のお寿司でした。          (2日目につづく)
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