最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

久しぶりのテニス

2006-01-31 17:41:02 | テニス
1月は本当に長かった。
2日の新年会が遙か昔のことのような気がする。
あの時は、「2006年もいよいよ始まりだなあ、今年は色々あるぞ!」
とは思ったが1ヶ月の間にこんなに色々あるとは思わなかった。

何となく、身体だけでなく精神的に疲れていたが、
今日は、2週間ぶりにテニスをした。
東京は昼から雨だったが、12月、1月初めの寒さは少し和らいでいる。
スクールはインドアで今日はレギュラーメンバーに振替の方が一人で8人。
コーチは2人。
久しぶりだったせいか、1時間半のレッスンでちょっと疲れたが、
やはり体を動かすとリフレッシュできる。
よしっ!また頑張ろう!
東レパンパシフィックが始まり、シャラポアもヒンギスも来日しているそうだが、
ちょっと今週は行けない。ざんね~ん!
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差額ベッド室料金

2006-01-27 15:16:09 | 医療と健康
義父の通夜、葬儀は本人の希望通り、身内だけでこぢんまりと行いました。
天寿を全うして91才で亡くなったし、
誰も看病疲れでげっそりしている人がいなかったので、
「いまわのしおり」にも書いてあったが、くつろいだ雰囲気で陽気なものになりました。

さて、義父は救急車で最初S病院に運ばれ、すぐにICUに入り6日間過ごしました。
次に我が家の近くのY病院に転院して13日間過ごし、亡くなりました。
転院する時、Y病院の医師に
「大部屋が空いていなければ個室でいいですか?」
と聞かれた。家の近くが便利で是非転院したかったので
「もちろん、結構です」
と答えた。(最初から個室を希望したわけではない)
転院して4日目から、間質性肺炎のステロイドを多量に使う治療を始めた。
この治療をすると免疫力がひじょうに落ちるとの説明があり、
病室の入口に面会は2名までと書かれ、
入室の際、手を消毒してマスクをかけることになった。

S病院は転院の際、精算をすませていたが、ICUに入っていたので
もちろん差額ベッド料金はなかった。
昨日、Y病院から入院費の請求書が届いていたので支払いに行った。
請求書には13日分の個室差額ベッド料金が請求されていた。

ネットで調べたところによると

差額ベッド室(特別療養環境室)について

この中の

料金を求めてはならない場合があります。
2.患者さん本人の「治療上の必要」により差額ベッド室に入院した場合

○免疫力が低下し、感染症に罹患するおそれのある患者。

この条件に当てはまるのではないかと思って、
病院に行ってきいてみた。
最初は、こちらの希望で個室に入ったのでダメだと言われたが、
希望した事実はないこと、免疫力が低下すると言うことを医師から告げられていたこと
を言うと、病棟まで確かめに行って、ステロイドの治療をしていた期間は
差額ベッド料金はとらないことにしてくれた。
230,700円が90,700万円になった。
言ってみるものだ。

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センター2日目と義父の旅立ち

2006-01-23 10:56:38 | 脳梗塞

昨日は、あまりに色々忙しくブログどころではなかった。

1昨日、センター1日目を終えて帰宅した息子は
「あー!もうダメだ!英語で失敗しちゃった」
ともう半泣き。必死になってなだめて、
「もう今日のことは忘れてお風呂に入って寝なさい。明日また頑張れば大丈夫」
とこちらも、何とかなだめるのに必死だった。
そして、
「どうか今晩保ちますように!」
と義父の命があることを願った。

昨日朝、無事に息子を送り出してホッとしたところに病院より電話があった。
病院の入口に着くと息子から
「無事、会場到着」
のメールがあった。病室に着くと医師より
「呼吸数、心拍も落ちていてチアノーゼも出ているので、もう…」
という話、義母と夫が
「お父さん、来たからね!大丈夫だよ!」
と大声で言うと声が出た。
「あー、まだ大丈夫だ」
と言ったがその後すぐに心電図の波形が平らになって瞳孔も開いて臨終となった。

それからは、バタバタバタっともう、色々な連絡、決め事、
本当に目の回る忙しさだった。
すぐに霊安室から自宅に戻ったが、
日曜日であったので、お見舞いに来たら義父の死に目だった孫達、
子ども達に囲まれ、安らかな死に顔であった。

息子は、何も知らずにセンター試験を受け、
終わると、メールの知らせを見て慌てて帰ってきた。
義父が守ってくれたのか、
「今日の出来は最高だったよ、お祖父ちゃん!2次試験頑張るからね」
と線香をあげながら言っていた。

それにしても、義父は、もともと周りに気を遣う人だったが、
最後まで見事に一切人の世話にならずに旅立った。
しかも、「いまわのしおり」なるものをしたためてあり、
葬儀は子、孫、曾孫(持つことはできなかったので、娘と姪が謝っていた)、
自分とお連れ合いの兄弟などの近親者のみで行うように書いてあった。
辞世の歌までついていた。
★★★★★★★★★★★★
義父の辞世の歌

風雪も起伏も多き我が道に
     
      運と善意の光満ちたり

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センター1日目 大雪

2006-01-21 13:26:01 | 脳梗塞

    
今日はセンター試験1日目。
東京は大雪です。
今冬、雪が本格的に降ったのは今日が初めて。
今まで降らなかったのに、何故試験の日を狙ったように降るのかしら?
息子は用意していたトレッキングシューズを履いて、ホカロンをおなかに貼って
会場である八王子の中央大学に出かけた。
「会場に無事着いたら、メールしてね」
と言ってあったのに、なかなか来なかったので、インターネットで調べたら、
多摩都市モノレールがかなり遅れている情報があった。心配していたら、
「無事会場到着」のメールが入った。<ホッ>
あとは、死力を尽くしてがんばってもらうのみ!
リスニングテストが終わるのが18:40の予定。
帰宅はきっと混み合って8時半過ぎだろう。

義父の状態は最悪で、昨日医師より、
「もう、いつ呼吸が停止するかわからない状態です」と言われている。
先ほど、夫が病院の義父に会いに行ってきたが、昨日と変わらない様子だったそうだ。
どうか、もう少しがんばってくれますように!

義父の病気、大雪、全く色々なことがある。

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最悪!

2006-01-18 21:44:29 | 脳梗塞
昨日、夕方また、義父に病室に行った。
5時少し前に義母は
「また明日来ますからね」
と義父に言って帰った。一人で病室にいると、担当医が入ってきて
「ちょっとお話が…」
と言って、病棟のラウンジに行った。
そこで私は一人で大変な話を聞いた。
「つい今し方、胸水の最後の検査項目の結果が出たのですが、
 やはり、ガン細胞があって、ガン性胸膜炎を起こしていると思います」
さらにもうこの段階になると肺ガンに対する治療はなく、
溜まってきた胸水を抜くことで、多少楽にはなるが、
またすぐに溜まってくるのでもうあとは苦しくなってきた時に緩和処置を行うだけだそうだ。
間質性肺炎と脳梗塞の治療は一応続け、薬が効けば少し楽な時が持てるかも…とのこと。

そうか、やはりそうだったのか…
胸水を抜いた時、血液が混ざって濁っていた話をした時、
ちょっと、そんな疑い的なことを言っていたが…

さらに、今はまだ、こちらの言うこともハッキリわかっているが、
間もなく、苦しくなって緩和処置に入ると寝てしまうことが多くなりわからなくなるので
会わせておいた方がよいと思われる人には、連絡して見舞った方がよいとも言われた。
「息子の受験が終わる2月26日頃まで保つでしょうか?」
と質問すると
「う~~ん、どうでしょう。難しいかも…」
と言われた。

義父の弱り方があまりにも急激だったので
もしやそんなことも…
いやそんなことはないだろう等と思ってきたが、やはりそうだったのか…

家に帰って、義母にその話をした。
義母はひじょうにショックを受けた様子で
「え~っ、そんなに早く…」
と言って暗い顔になってしまった。
その後、病室によって帰ってきた夫が義母としばらく話していた。
何とか乗り切って欲しい。

★★★★★★★★★★★★

今朝、義母は
「夕べは眠れなくて」言ったが、大丈夫そうだ。<ホッ>

今日は午後、娘が仕事の休みの日なので見舞いにやってきた。
もっと早く来る予定が、娘自身が風邪を引いて寝込んでいたため、今日になった。
病室に入ると、今日は調子が悪そうで、
義母が「Yちゃんが来ましたよ」と言って
娘が「お祖父ちゃん!大丈夫?」と言うと
わかったようではあったが、またすぐ目を閉じてしまった。
しかし、帰り頃になったら、少し気分もよくなったようで、
帰り際には、娘が「バイバイ!また来るからね」というと手を振り返していた。

あ~あ、なんていうことだ!


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会話不能

2006-01-16 21:08:57 | 脳梗塞
義父はついに会話不能になってしまった。
口か喉の筋肉が麻痺しているのか、
こちらの言うことはわかるのに言葉をしゃべろうとすると
全く発音不明瞭で何を言っているのかわからない。
その上、肺が悪いせいで呼吸が常に荒く、
「フガフガ、ハアハア」といっているために
一生懸命話そうとする姿が痛々しい。

午後病院に行くと、病室に義母がいた。
義父が酸素マスクを無意識にはずしてしまうため、
手を拘束する許可書にサインさせられたと話した。
義父を見るとひじょうに苦しそうな顔をしている。
義母「何か言ってるんだけど、わからないのよね」
私 「お義父さん!どこか苦しいの?」
首を振る。
私 「どこか痛いの?」
うなずく。
私 「足?」
首を振る
義父「ふれ
私 「ふれ?ああ、腕?」
うなずく。
私 「縛っている手が痛いのね、わかった、わかった」
縛ってあった紐をほどくと、ホッとした顔をした。
私 「私たちがいる間は、酸素マスクをはずしちゃったら私たちがはめられるから、
   はずしておいても大丈夫ですよ」
義母「そう?」
真面目な義母は拘束許可書にサインしてしまったため、
触っては行けないと思ったようだ。
義父は、無理な格好で拘束されていたため、肘の関節を痛めてしまったようで
肘を触るとひどく痛がっていた。
拘束もやむを得ないとは思うが、話せない義父は意志が伝えられず可哀想だ。

看護師さんが点滴を変えに来ると、盛んに気にするので
私 「お義父さんのお薬の点滴ですよ」というと
義父「▼◇☆▲●□」(明らかに「そんなに悪いのか?」と言っていた)
私 「大丈夫、大丈夫。お薬を入れれば治りますよ」
義父… ちょっと安心した顔

肘を痛めた右手はすっかり動かさなくなってしまったので、
左手だけ緩く拘束して、看護師さんに話して帰ってきた。
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季節はずれの大雨

2006-01-14 21:30:51 | 脳梗塞
寒中だというのに今日は、東京は激しい雨が降りました。
午後3時頃、買い物に出ると途中で急に雨足が強くなり土砂降り。
傘を差しても全身濡れて、予報ではもっと暖かくなるはずが、
冷たくて、身体がすっかり冷え切ってしまいました。
神田川も一気に水かさが増し、昨年の大雨の日を思い出してしまいました。

買い物から帰って、夕方病院に行ってみると
義父は一昨日、昨日に比べ、ずっと調子がいいようで、
ハッキリと目が覚めていました。
一生懸命話そうとするのですが、上手く話せず、
なかなかわからない。
でも、「心配かけたね」と言っているのと
孫のことを心配して「帰っていいよ」と言っているのはわかった。
酸素マスクが鬱陶しいらしく、すぐはずしてしまう。
麻痺を懸念されている左手も自由に動かしている。
マスクをはずしたり点滴をはずさない様に、手袋をはめられていた。

ステロイドを使うと、免疫力が低下すると言われていたが、
昨日から、病室に入る時は、マスクをして手を消毒してはいるようになっている。
面会も2人までとドアに貼ってある。

でも昨日よりずっと容態がいいのでホッとした。
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義父の容態

2006-01-12 20:57:37 | 脳梗塞
昨日、今日と義父の容態はよくない。
病室に入って声をかけると一応わかるようではあるが
目を開けることさえ、疲れてできない。
呼吸はひどく荒く、苦しそうに見えた。
しかし、「苦しいの?」と聞いても首を振る。

医師の説明では、肺の状態は思ったより悪く、
水が溜まってしまっているということだ。
脳梗塞の治療以外に明日から、ステロイドを使った肺の治療も始めるそうだ。
効果は?と聞いたが、かなりよくなって治ることもある。
「こともある」とは???
副作用について聞いたが、免疫力が落ちたり、太ったりすることはあるが、
苦しかったり、痛かったりすることはないということなのでよかった。
義父はもう91才という高齢であるから、痛かったり苦しかったりするような治療をして、
多少寿命が延びるなんて治療はもうしない方がいいと思うのだ。
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無事転院

2006-01-10 17:51:49 | 脳梗塞
12時に病院に来るように言われていたので
少し早めに病院に着くと、義父は今日は、
とても気分良さそうにハッキリと覚醒していた。
担当医師も麻痺のある左手もかなりよく動いていますと言った。
左手で酸素マスクを動かしたり、義母が大胆に左手を指して
「お父さんこっちの手でジャンケンポン!」
というと、不完全ながらチョキを出した。
あの、脳のMRI画像を見せられた時には、
「これじゃ、片麻痺はひどくなってしまうのだろう」
と思ったが、かなり軽くて済みそう。〈これはいい!〉

その後、病院が救急車を呼んで救急隊員に優しく
「新しい病院に移りますよ!」といわれ、
またもや、ピーポー、ピーポーと運ばれていった。
今日の救急隊員は女性が一人混ざっていた。
大柄な女性で、始めは長髪の男性かと思ったが声を聞いたら、女性だった。
最近は、どんな職種にも女性がいるのだと思った。

浴風会病院に着くと、もうICUでなく、普通の病室が用意されていた。
医師は呼吸器にはかなり詳しい内科医で
義父の肺炎は、間質性肺炎だと言った。
しかし、肺炎の治療をするとなるとステロイドを多量に使うので、
今の梗塞のある状態では無理だと言われた。
肺のX線画像はひどく悪いが、まだ、左肺はすっかり侵されているワケではない。
またこの肺炎は外側から侵されるので、CTを撮ってみれば、
肺の中の方は案外まだ大丈夫かも知れない。
脳梗塞のリハビリは早いほうがいいが、肺炎がこのままだとはじめられない。
なかなか難しい状態だそうだ。

マア、でもとにかく、我が家の離れのような浴風会病院に転院できてよかった。

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簡単にはいかない!

2006-01-08 22:04:38 | 脳梗塞
今日も午後、義母と義姉と夫と私で父を見舞った。
昨日の父の様子でつい、もうどんどん良くなっていくような気がしたが、
やはり、脳梗塞はそう簡単でないことを痛感してしまった。

義父のベッドに行くと、最初、またほぼ一昨日の状態に戻ってしまったようだった。
言っていることがわからない。
「あ~、やはりダメか!」
と思ったが、話しているうちにだんだん元気が出て、ほぼ昨日の状態までにはなった。
しかし、昨日より良い状態にはならなかった。
左手も動かすことはできるものの、ものを握ることができないし、
少し、話の内容もおかしいところがある。
マア、91才だし、多少の老化現象的なことは前からあったかな?

でも、会話は成立していたし、夫のことも私のことも、義姉のこともわかっていた。
焦らず、回復を見守らなければ…
まだ、3日目ですもの。
Myホームページの掲示板には、「焦らず頑張って!」なんて書いてしまっていたけど、
いざ自分の家族のこととなると、つい、一喜一憂してしまうものだとつくづく思う。
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驚異的回復

2006-01-07 17:45:27 | 脳梗塞
昨日は、夫と2人で午前中、義父が受診する予定だった浴風会病院に行った。
緊急入院した至誠会第2病院の医師が
「肺の状態が悪いので、脳梗塞の発作を起こす前の肺の状態を知りたい。
至誠会病院には呼吸器科の医師がおらず、
脳梗塞に関しては外科的治療は必要なく、
浴風会病院は老人専門病院で脳梗塞についても十分な治療はできるし、
リハビリも専門的にできる。しかも自宅に近いので、
状態が許せば浴風会病院に転院して治療した方がよいのでは」
と言ったので至誠会病院の医師の手紙を持って行ったのだ。

浴風会病院の医師の話では、6日に来院して精密検査の結果と
義父の様子で、肺の治療をはじめなければいけないかなと思っていたとのこと。
そして、肺炎は普通の抗生物質の効く肺炎でなく、
肺胞が固くなってしまう、間質性肺炎だと思うと言われた。
転院に関しては、義父の状態が良ければ、
火曜日(10日)にOKということになった。
浴風会病院に転院できれば、いつでも誰もが行けるのでよかった。〈ホッ〉

午後は至誠会病院に行って義父を見舞った。
こちらの言うことはわかっているようだが、何を言っているかわからない。
私のこともわかっているかつかめなかった。
字を書きたいという様子を見せるので、ボールペンを持たせたが
動く方の右手も震えてかけなかった。
何か言いたい様子なので、あいうえお表とマジックペンとレポート用紙を買ったが
病院に戻ると疲れて寝てしまっていた。

午前中にとったMRIの画像を元に医師の説明があった。
頭の画像では右中大脳動脈の先の方の閉塞が血管が途中で消えていて
素人でもはっきり確認できた。
脳も「ここが脳の病変」と言われるとハッキリわかった。
肺も右肺は真っ白、左肺も白い部分が広がって正常なのは半分位だ。
肺が上手く機能していないので酸素不足で梗塞部分が広がる可能性もあり、
状態は決して良くない。火曜日までICUで治療を続け、
状態が良ければ救急車で転院可能だが、ダメになることもあるといった説明だった。

家に帰っても、夫と2人で
「お父さんは、もう元通りにはなれないね」
とちょっと暗くなって話し合った。

ところがところが、ビックリ !!!
今日の午後病院に行ってICUに入ってベッドに行くと起きている様子。
「お父さん、来ましたよ!」
と義母が言うと
「ちょっと、チリ紙とって」
とハッキリいう。ティッシュをとって
「何したいの?」
と聞くと
「洟をかみたい」
と言うではないか!
「洟なんかでてませんよ!」
と義母が言う。看護師さんがそばに来て
「奥さんが見えましたよ。奥さんのお名前は言えますか?」
「〇〇〇〇〇」
ちょっと聞き取りずらかったがちゃんと言えた。
看護師さんが
「いつもはなんて呼んでいらっしゃるんですか?」と聞くと
「名前なんて呼んだことないよ!」と答える。
すかさず義母が
「そうよ。『おいっ』とかいうんですもの」
看護師さんが行ってしまうと
「至誠会病院は、家族がみんな世話になっていい病院だし、
看護師さんも隣の人には優しんだけど、
自分には乱暴に洟をほじったり、口の中をかき回したりするから、
もっと優しくやってっていうのに、隣の人と同じにやっているって言うんだ」
と文句を言う。
「痰が詰まったりすると大変だから、仕方がないのよ」
「浴風会病院でもらった薬(痰を切る薬を暮れにもらって飲んでいた)
を使って欲しいのに」
「ダメなのよ!この病院のやり方があるんだし、薬は飲めないの!」
その後はもう、いつもの夫婦の会話。
この冬の寒さと雪のこと、姉歯物件のこと、果ては日本の国連常任理事国入りの話まで。
「じゃあ、明日また来ますから」
「うん!」
もうビックリシャックリ。一体あの昨日の脳梗塞部分はどうなったのだろう?
手も足も昨日とは違って多少不自由はあるようだが動いている。

でも、ほんとうによかった。こんなに早く元の義父に戻れるなんて!
バンザーイ !\(*^o^*)/バンザーイ!

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脳梗塞&肺炎

2006-01-06 17:46:44 | 脳梗塞
昨夜、夕食の後かたづけをしていると階下の親世帯からのインターフォンが鳴った。
受話器を取り上げると
義母 「H(夫)いる?」
というので
私  「今お風呂に入っているんですけど…」
義母 「お父さんがベッドから落ちて持ち上げられないので手伝ってもらえないかしら?」
案外落ち着いた声、
私  「えっ!今行きます!」
義母 「ダメよ!mayakoさんじゃ、重くて持ち上げられないわよ」
何だかわからないけど、不吉な予感がして風呂に入っている夫に
私  「お父さんがベッドから落ちて持ち上げられないって言うんだけど…」
夫  「えっ!」

夫は慌てて途中で出てきて、私と階下に行った。
義父はベッドから落ちてそのままの格好で倒れている。
夫  「お父さん!どうしたの?わかる?」
義父 「★▽▲●◎」
何を言っているのかわからない。
義母 「何か、呆けちゃったみたいなのよね」
とっさに、脳梗塞だと直感した。
私  「救急車呼ぼう!」
義母 「救急車いるかしら?」
義父 「▽◇◆★近所●▲迷惑《▽いらん」
夫  「ダメ!すぐ電話して!」
私  「動かさないで、毛布を掛けてあげて!」

119にTEL。数分後に救急車到着。
私はすぐにmyホスピタル杏林に運んでくれるよう頼んだけれど
救急車で入っても1時間以上は待たされるということでダメ。
N中央病院は当直医に脳外科がいなくてダメ。
H記念病院はベッド満床でダメ。
そこで最後にOKが出たのは、
私が卵巣膿腫の手術をして、息子を産んだ、
くも膜下では病院に着いてから断られた
そして、娘がヘルニアの手術をした、
S第2病院、TJ医大の同窓会病院だ。何故か不思議と縁がある。

病院に着くと、様子を見てすぐ検査。
結果、脳梗塞、(CTにはまだ現れていないが症状から~そういうものらしい~)と
重症肺炎(右肺がほとんど機能していない、左肺もかなりの機能不全)。
すぐにICUに入院。

義父は12月はじめに家の前の老人病院で検診を受け、
肺に影があるので、再検査を受け今日(6日)、結果を訊きに行く予定だった。
暮れのうちに気になって受診したが、まだ結果が出ていないので
6日に来院すればよいと言われていた。
急速に悪化したのか?

午前1時半頃帰宅した。    (つづく)
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やっぱりダメ!

2006-01-03 22:25:27 | Weblog
昨日新年会も無事に終わり、今日は娘と2人吉祥寺に
バーゲンセールに行ってきました。
カーディガンとセーター、つい買ってあげてしまいました。
一人暮らし(勝手に好きで家を出て行ったのだけど…)だと
何かとお金がかかって、「私ってホント貧乏!」っていうものだから。
さっさと結婚すればいいのに、モーッ!

で、さっき「じゃ、帰るから」といって、
夫に車で送ってもらって、帰っちゃいました。
何か淋しいなっ
子どもって幾つになっても何となく心配。
ちなみに娘は三十路に突入してます。あーぁ、〈嘆息〉

それに頭に来たこと。
せっかく、直ったと思った洗濯機、やっぱりダメで
今日、ヤマダ電機で新しいのを買いました。
6日まで届かないそうです。

コンピューターがプログラムを全く認識できなくなったみたい。
また、途中でerrorになって止まってしまったので、
すすぎをしようとしたら、なみなみ溢れるほど注水して
何も動かず排水してまた止まってしまった。
今度は脱水にしてみるとまた、注水が始まって
残り時間はどんどん増えていってしまう。
もう、こちらの言うことを全く聞かず、
勝手なことをやってしまう。
誰かさんみたい!
「何なの、この洗濯機!」と怒鳴りつけて蹴飛ばしてみたけど、
結局ダメで、修理するなら、初売りのバーゲンで買った方が安い位だと言われて
新品を買うハメになってしまいました。トホホ…
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謹賀新年

2006-01-01 15:57:39 | Weblog
 
明けまして
 おめでとうございます

             2006.1.1

新しい年を迎え、また、楽しく
語り合っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

新年早々、とても困ったことが
起きてしまいました。
今日は、何が何でも湯島天神に
初詣に行って、息子の合格祈願を
してこようと思い、早起きして、
元旦そうそう、洗濯をしました。
 そろそろ終わったかなと思って、洗濯機を覗くと脱水の前で
 errorの表示で止まってしまっている。
 昨日も脱水だけしようと放り込んでちゃんとセットしたのに
 errorになって止まっていたが、やり直すとちゃんと動いた。
 変だと思いながら、もう一度脱水だけセットしてみた。
 ところがうんともすんとも言わない。
 もう一度やってみると、今度は脱水なのにジャーっと
 水が溜まってきた。
 何遍やってみてもダメっ!
 「キャーッ、洗濯機こわれちゃった!」

 しばらくは、正月休暇で修理も来てくれないだろう。
 あ~ぁ、どうすればいいんだろう?
 今日は、何とか下の(親世帯の)洗濯機を借りて
 脱水したけど、明日からどうしよう!

 湯島天神は早く行ったので、意外と空いていて
 午前中にお参りをすますことができました。
 絵馬をかけて、お守りを買って出てくると
 もう長い列ができていたので、早く行ってよかった。

 あ~ぁ~でも、洗濯機どうしよう!



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