最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

身罷り方

2009-02-26 21:44:24 | Weblog
「おくりびと」がアカデミー賞を獲って、
人の死について人前で話したり、公に映像にするタブーが無くなったといっていた。

今日は私自身の外来診察の日でした。
診察室に入ったら、いつもの通り、
「この1ヶ月はいかがでしたか?」
で始まりました。

私 「母が亡くなって、それはもう大変でした。」
Dr.「そういえば、先月、末期癌と言われたとかで、だいぶ大変そうでしたね。
  血圧もそれで高くなっているのですね。まあ、もう少しすれば落ち着くし、
  季候もよくなってくるので大丈夫でしょう」

そこで、母の亡くなった様子は簡単に話したら、
Dr.「それはもう、こう言っては何ですが、幸せ亡くなりかたですよね。
  おいくつでしたか?」
私 「83才でした」
Dr,「だったらもう、羨ましいくらいですね」
私 「そうなんです。区の検診とか、人間ドックとか何も受けない人でした。
  だから、癌もあそこまで末期になるまで見つからなかった。
  私も75才になったら、検診もやめてもう、好きなものを好きなように
  食べて、好きなことをして自然に生きて、本当に症状が出て苦しくなったら、
  医者にかかろうかと思っています」
Dr.「それも一つの考え方ですね。自分も医者にかからないで、コロッと死にたい
  と思っているんですが…」

でも、色々努力しても、必ずしも思ったようにならないのが身罷り方。
母も真面目に栄養のバランスを考えて食べていたし、
階段は80才になっても歩いて上って体力を維持していたので、
それ位の努力はしていた方がいいのかも…
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アゲハチョウ

2009-02-22 21:39:19 | Weblog

今朝、母が私のために育ててくれていて、

満開になったので母の葬儀にも飾った

「カランコエ」に水をあげようとしたら、

羽化したばかりのアゲハチョウが花につかまって

羽を乾かしていました。

明らかに「カランコエ」の鉢の中に

住んでいた幼虫が蛹になって

潜んでいて今朝、羽化したのです。

アゲハは普通、柑橘類の葉に卵を産み、

その葉を食べて大きくなり、蛹になって

羽化しますよね!
このアゲハは去年、他の鉢の柑橘類の植物の葉を食べ、

大きくなってこの「カランコエ」の鉢に迷い込み、

蛹で冬を越し、羽化したのでしょうか?

飛び立つために暖かい部屋の中から、ベランダに出したら、

冷たい風に当たって、ちょっと早く出て来すぎたと思っているように

ジッとしていましたが、昼過ぎに少し羽を動かしたと思ったら、

ヒラヒラと明るい日差しの中に飛んでいきました。

カメラを構えていたのに、その瞬間を写せませんでした。

<残念……>

母がアゲハになって飛んでいき、花から花へと飛び回っていく、そんな気がしました。

私は死後の世界など信じてはいませんが、何となく嬉しいできごとでした。

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日常生活

2009-02-20 16:28:02 | Weblog
皆様、本当にありがとうございました。
暖かいお言葉に感謝いっぱいです。

母が亡くなって1週間が過ぎました。
今日、久しぶりに母が入院するまで、毎日にように行っていたスーパーに買い物に行きました。
全く変わらず、
「本日の特売品はイモ豚です」
なんてアナウンスをききながら、売り場をまわりました。

この1ヶ月の嵐はいったい何だったのだろう???
夢だったような気もします。
でもやっぱり………

やらなければならないことは山ほどあります。
一人暮らしだったあの家をどうやってかたづければいいのか…
キチンと整理されていましたが、見れば思い出の品ばかりだし
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静かなお別れ

2009-02-16 21:59:43 | 医療と健康


ガーデニングの好きだった母は、
たくさんの花と母を大事に思ってくれていた方々に見送られ、
しずかに旅立っていきました。
祭壇前の台に乗せられている、左右一対のピンクの花は、
母が私にと育てていたカランコエが、入院時はまだ蕾でしたが、
1ヶ月で満開になったので、母に見てもらいたくて飾りました。
器用だった母の作った人形や刺繍のバッグ、母が祖父のことを書いたエッセイの載った本、句集など(もっともっといろいろあるのですが…)、
ほんの一部を会葬の方々に観ていただきました。
人間って、亡くなったら、あっという間にお骨になってはかないものですね!

下は母の亡くなる4日前の血液検査の結果です。
白血球は21620/MCL、ALPが1461U/Lというのは肝機能が完全に不能になっているということだそうです。
黄疸でまっ黄色になっていました。
でもまだこの時は、医師との応答もしっかり出来ていました。

1月13日の入院まで、全く人手を借りずに完全な一人暮らし、
2月3日に自宅に帰ってからも、トイレや食事は立ち上がってそこに歩いていって、用を足し、
たった5日間だけ、お襁褓の世話になり、
少しだけ娘達に介護の気分をさせてくれ、2月の通夜葬式なのに土日の暖かい日に行えるように
すべてに気遣いしてくれて83才11ヶ月で旅立った本当に『満点ママ』でした。

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あの世

2009-02-13 21:38:06 | 医療と健康

母は、今朝3時半に旅立ちました。

昨日の昼過ぎ、もう、意識がかなり混濁していましたが、

「間もなく………」
「間もなく、なあに?お母ちゃん!」
「間もなく、あの世に参ろうか………」

とはっきりと言いました。

その後、夕方ひどい痛みが来て、ドクターに電話しました。
瞳孔も開いてきているし、血圧も70-40位でもういつ何があってもおかしくない。
と言われましたが、その後かなり持ち直しました。
でも、ついに力尽き旅立ってしまいました。

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模範的患者

2009-02-10 21:19:39 | 医療と健康
母は今朝方、自分でシルバーカーにつかまって歩いてトイレに行って排便し、
帰りは車椅子でベッドに戻ったそうです。
でも、その後は、もう無理だと自分で思ったようで、
私が朝、行ってからは、
「ベッドの上でさせてもらっていい?」
って自分で言いました。
姉は姑(5年姉が介護し、去年4月に要介護5で特養に入ってもらいました)
の介護ですっかり手慣れていますから、それは上手に全く汚さずに素早く処理できました。
母も、娘にしてもらうので安心して、姉の指示に従い模範的な患者です。

まだ手伝えば、寝返りも出来るので、辱創も大丈夫。
ほとんど寝ているのに、目が覚めれば、
「昼は、Mちゃん(私)の買ってきてくれた麩(一昨日買ってきた)を食べようかしら?」とか
「ご飯にシラスをかけてちょうだい」
なんて、はっきりと言って食べました。
でも食べられるのは、ほんの少しです。
今朝、エンシュアを少しだけ飲んだそうです。

トイレとご飯以外はほとんど寝ていました。
オキノームを飲む回数はとても少なかったです。



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訪問診察

2009-02-09 21:39:12 | 医療と健康
母はついに立てなくなってしまいました。
黄疸がはっきり表れていて、寝ている時間も長くなりました。
手足の浮腫みもひどくなってきて、
発音も少しはっきりしなくなってきてしまいました。

今日は、久我山病院から紹介された訪問クリニックの医師が来て、診察を受けました。
様子を聞いて、診察して、オキノーム、オキシコンチンは痛みにはよく効くが、便秘になるので
水分を沢山摂ること、緩下剤や座薬を使って排便を促すようにと言われました。
食べられていないので、高栄養のドリンクを処方してくれて、
美味しくはないが薬だと思って少しでも飲むようにいわれました。
私が入院した時、脳腫瘍の手術をして嚥下障害の後遺症が残った人が、
そのドリンクを飲んでいて、一度私にのませてくれましたが、ものすごく不味いものでした。
少しでも飲めるといいのですが…
その他、吐き気止めの座薬や、オキノーム、オキシコンチンとの痛みに対する
相乗効果があるとかでボルタレンが出ました。

今日はもうベッドに寝たきりだったので、かえって脳貧血を起こして気持ち悪くなることもなく、
気分は昨日より、良さそうでした。

ドクターはまた、土曜日に来てくれるそうです。
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食べられない

2009-02-07 23:06:27 | 医療と健康
ふじさん、ビールママさん、かちゃまたさんコメントありがとう!

食べたい気持があっても、何も食べられない。
消化器癌って、まわりもすごく苦しいものだと初めてわかりました。
母は手伝ってあげれば、立ち上がりシルバーカーにつかまって何とか歩けます。
でも、どんなに努力しても、スープに5~6スジのソーメンを
やっと吐かずに収めることがなんとかできる、そんな感じです。
弱っていくのは当たり前です。
本人も点滴でもしてもらわないと食べる元気が出ないといいます。

でも、日本消化器病学会のホームページの
「癌末期の人が求めるもの」(トップ>一般のみなさまへ>緩和ケア)
を読むと、
私(平野博医師:松阪市民病院 緩和ケア病棟担当)がこれまで30年近く病院勤務をしてきて、
ふと、思いついた言葉を紹介します。
『点滴で栄養を入れると身体が痩せにくい。苦しみも痩せにくい。』、
『点滴で栄養を入れないと、点滴しない時よりも身体が早く痩せる。
身体が痩せると、それにつれて苦しみも痩せる。』、
『点滴しない方が楽そうに見える。』

ある熟練の外科医は私に、こう教えてくれました。
『癌末期で食べられなくなった時に点滴するのは、
病人のリュックサックに食べ物や飲み物を一杯詰め込んで山登りをさせるようなものです。』

と書いてあります。

本当にそうなのでしょうか?
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母退院

2009-02-05 22:52:36 | 医療と健康
今日、母は退院しました。
一泊で病院に帰る予定でしたが、どうせ退院するなら、
もうこのまま家にいる方が体力も使わずにゆっくり出来るので、
そうできないかと病院にききにいったら、ちょうど担当の先生かいらして、
一日外出を延長して、家族が今日正式に退院手続をすれば、かまわない、
自分ももう、今しか退院の機会はないと思っていたので、と言って下さいました。

でも、退院すると後は外来診察になりますが、母はもう、外来診察を受けに来る体力はないので、
訪問診療を紹介していただきました。紹介して下さったクリニックは、
ちょうど、母の住まいのすぐそばで、医師は以前久我山病院に勤務されていたそうで、
相談室のカウンセラーの方が、すぐに連絡を取って下さり、
担当の医師が紹介状を書いて下さったので、もう月曜日には母の自宅に診察に来て下さるそうです。
母がまた病院に入るような状態になったり、私たちが看護しきれない状態になったら、
すぐにまた病院に戻ってこられるそうです。
家で、看護するのは本人も私たちもちょっと心配でしたが、
こんな体制が出来ていて、本当に嬉しいことです。

明日は介護認定の認定員の人が母のところに来ます。
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一泊帰宅

2009-02-04 13:20:40 | 医療と健康

母は、日帰りではかえって疲れるから一泊泊まりで帰宅したいというので、昨日帰ってきました。
もう着替えるのもしんどいというので、
「どうせ、病院なんだからいいじゃない」といって、寝間着のまま
8階の病室から車までも、シルバーカーにつかまって歩くのもしんどそうなので車椅子で行きました。
でも、おかげで車の中も調子良さそうで、着いて3階までシルバーカーで行きましたが、
かなり、元気に帰宅できました。
素麺が食べたいというので、大根おろしをかけて食べたけど、やはり、少ししか食べられませんでした。
痛み止めの効く時間も、だんだん短くなってきてしまいました。
夜は姉が泊まってくれましたが、朝行くと気分は悪くなさそうでした。
「寝られた?」と聞くと
「やっぱり家は閑かでいいわ」と言いました。
今日は病院に帰るけど、早速退院させてもらおうと思います。

しばらく大変になるとは思いますが、姉と二人で協力して、少しでも母が快適に過ごせるように頑張りたいと思います。

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生野菜

2009-02-01 22:03:47 | 医療と健康
昨日はデイサービスの日だったが、夫がいないので朝、義母を送っていき、
買い物をしてから、病院に行くと、母は見舞いに来ている名古屋の姪っ子たちとラウンジにいたが、
明らかに黄疸が出ていて、眼がまっ黄色でひどくだるそうだった。
その後、病室に入っても気分が悪く、他の見舞客とはほとんど話せなかった。

でも、朝食に出たトマトがとても美味しかった、生野菜とじゃがいもの塩ゆでが食べたいと言うので、
家に帰って義母のデイサービスのお迎えに行ってから、
トマトとキュウリ、じゃがいもの塩ゆでとキャベツの茹でたものを持ってまた病院に行った。

夕食の時に食べると言ったので、置いて帰ったが、
どうだったか気になって、今朝10時半頃、病院に行くと寝ていた。
しばらくそばにいると、目を覚ました途端、
「昨日の野菜美味しかった!キャベツはダメだったけど、あとはすごくよかった、ホントにありがとう」
と言った。<よかった>かなり調子良さそうだった。
しばらく話して、昼用の野菜を置いていったん家に帰った。

夜用の野菜を作って(作ると言うほどではないが)また病院に行くと姉が来ていた。
今日は、黄疸も出ず、かなり調子良さそうだったが、
見舞客が来ても、決して起きあがらず、横になったまましゃべっていた。

母が日帰りは慌ただしすぎるから、一泊で帰宅しようかなと言うので、
早速、明後日(2月3日)にまた帰ってみることにした。

考えてみるともう今日から2月。
元日にひどく痛くなったと言っていたので、ちょうど1ヶ月経ったということだ。
悪くなってきてはいるが、きっとまだ大丈夫。
頭もしっかりしているし、歩いてトイレに行っているし、食事もベッドから下りて椅子にかけて食べている。
あ~~、このままでいてほしい!

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