黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

将門の故郷に行ってきました・総集篇 (将門終焉の地?国王神社)

2019-06-21 16:44:34 | 下総國
ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方によくお散歩に行きます。
ヤギさんは、いつもより道近くいました。





獅子丸は、もうやたら吠えることもなくなりました。
でも、相手の実力を推し量るように、じっと見つめます。
ヤギさんも、しかりです。
ヤギさん、大きくなりました







国王神社をナビに入れて、板東郷土館ミューズ(さしまミューズ)にお別れです。
この次の将門関連企画展の時には、また来まーす

さて、まったく地理感覚がないのでナビのいう通りに進みます。




国王神社と大きな表示があります。
駐車場に隣接して地域の集会所があります。

駐車場から、超クラシックな社殿がみえますけど、鳥居から入り直します。
鳥居前に説明板がありました。



祭神は平将門である。
天慶三年(940)二月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八才の若さで戦死したと伝えられる。
本社に秘蔵されている将門の木造は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが(中略)本殿と友に茨城県重要文化財に指定されている。


地理不案内なので、北山がどこだかわかりませんけど、この付近らしいです。

国王神社HPによると、

『神社分限帳』には、“平将門が討たれた所にその霊を祀った”と記述があります。
天慶3年2月14日、藤原秀郷・平貞盛連合軍との戦いの最中、流れ矢に当たって落命した将門公の「終焉の地」が、この境内であると伝えられているのです。


不思議な鳥居です




奥に、超クラシックな社殿が見えます。
木漏れ日の道を進みます。



悠久の時間の中にいる雰囲気です
今まで詣でたことのない、超クラシックで荘厳な拝殿です



木漏れ日が、独特の雰囲気を作ってます。
例の木像は、ここにはないようです。

境内に、耐火建築かなと思うお堂が、ありました。
もしかしたら、そちらに鎮座しているのかも知れません。
ちょうど、桐生の崇禅寺(そうぜんじ)で、800年もののご本尊は本堂裏の耐火建築のお堂に鎮座しているように


横に回ってみてびっくりです



本殿も拝殿と同じように、超クラシックです

HPによると、

拝殿は古代から中世期の建築様式を表してしていますが、江戸中期・延宝3年(1675)の建立です。また、本殿は文化14年(1813)の再建といわれています。

拝殿が変わっているのは、古代から中世にかけての様式だからなのですね



境内に青面金剛が、ぽつんとありました。




お正月は、こういう風に飾るのですか
左から「言わざる、見ざる、聞かざる」ですね
右足を挙げて邪鬼を踏みつけています。
右足だけこんなにあげているのも、珍しいです


不思議な感覚で境内を散策しました




HPには、

祭神に将門公を戴く国王神社の歴史は決して平坦なものではありませんでした。

とあります。

まとめると、
朝敵の認識が解かれたのは江戸時代であるが、明治政府が再び問題視、評価が回復したのは第二次大戦後の昭和末年を待たなければならなかった
ということです

我々の世代では朝敵云々という感覚はまったくありませんけど、そうだったんですか


さようなら、またいつか伺います

自宅をナビに入れて帰ります。
すぐに国道354号線に出ました
神社の後ろを国道354号線バイパスが走っていたのです 。
将門さん、ありがとう
354に乗れば帰れます


コメント
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