黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

権八地蔵に行ってきました・総集篇 (絹屋弥市の石灯籠)

2019-06-12 22:10:18 | 権八地蔵

権八地蔵関連の記事が5件yahooブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅡ」にあります。
消えてしまう前に再編集して、「権八地蔵に行ってきました・総集篇」として残したいと思います。
まずは、殺された「絹屋弥市の石灯籠」からです。
黒柴家族の話題は、懐かしい小次郎パパの子供の頃なので、ほぼそのままです。


小次郎パパも、もうすぐ13歳になります。
来てまもなくの、生後3ヶ月の写真が残ってます。
たぶん使い捨てカメラでとったのかな、少しボケボケですけど。
三四郎・サマンサそして七海という、先住犬がいるところに養子に来たので、だいぶ神経を使っていたようです。





ちょっと神経を使ってます。
隣でグウスカ寝ているのは七海です。



だんだん七海ねーさんとも打ち解けて、やがて「ななちゃん大好き」になります




さて、(みどり市大間々町)桐原から帰ります。(この日は昨年の12月2日です。)
史跡地図に「でんぐり薬師」というのがありました。
どんな薬師様だろう、探しながら路地を入ると、石造物がいっぱいの場所がありました。



おじさん、邪魔
でも、石灯籠の大きさがわかりますね。

奥に赤い屋根の小さなお堂があります。



観世音菩薩とあります。
ハードロックではなかったので、ちょっと失礼して、直接拝ませてもらいました。



長い年月人々を見守り続けたのですね、合掌
静かに扉を閉めます。

でんぐり薬師ではなさそうです。
結局でんぐり薬師は見つかりませんでした

大間々町は町史を編集するとき、町内の石造物を細かく調査して、『大間々町誌別巻7石造物編』をまとめました。
ここの石造物、もしかしたらあるかな?

ありました
「絹屋弥市(きぬややいち)の石灯籠」です。

この人は江戸を往復し絹の商売をしていたが、あるとき熊谷の久下(くげ)の土堤にさしかかったとき、賊に襲われて三百両の金を奪われ殺されてしまった。この賊こそ歌舞伎「鈴ヶ森」で知られる白井権八であった。観音様の墓地と称する墓地に、竿(さお)が長く、火袋は火を入れるところが少し空いている石灯籠がたっている。この石灯籠は絹屋弥市を供養するために造立したもので、熊谷方面を向いているという。銘は為一法夢心禅定門菩提造立者也、施主糟川又右衛門、于時万治元年戌天四月二十三日敬白とある。

ええ、白井権八(しらいごんぱち)に殺されたんですか
鈴ヶ森は処刑場として有名でした。
ここで、権八が幡随院(ばんずいいん)長兵衛に、「お若けえの、待たっせやし」とよびとめられるのです。
この出会いの場面が、歌舞伎「鈴ヶ森」だそうです。
白井権八は本名は平井権八といい、因幡藩でもめ事の末同輩を斬って江戸に逃げてきて、江戸の町で辻斬りを繰り返し、最後は鈴ヶ森で処刑されたといいます。

さらに石造物編には、
この久下上分の堤の端に今も権八地蔵と呼ばれる地蔵があり、人々から「ものいい地蔵」と呼ばれている。これは白井権八が路銀に困り、この堤で上州の絹商人を殺害し三百両という大金を奪ったとき、フト見ると傍らに石地蔵があったので良心がとがめ、思わず「このことは黙っていてくれ」と祈ったところ石地蔵が、「我は言わぬが汝言うな」と口を開いたというのである。
とあります。

今でもあるのかな?
奥の観音様については、資料は見あたりません。

それにしても、三百両もの大金を懐に、江戸と大間々を行き来する絹商人がいたなんて

コメント
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