ひめちゃんたちは、午前中お留守番でした。
獅子丸とタバサねーちゃんは、ぬいぐるみをくわえてウェルカムダンスでお迎えです
獅子丸は実家に帰ってから、買ってもらった丸いぬいぐるみを大切にしています。
ウェルカムダンスのときや、時にはお散歩に持って行こうともします。
ひめちゃんも、シッポをふってお出迎えです
お昼に帰ってきたおかあさんは、白菜を買ってきてくれました。
実は、獅子丸は白菜が大好きなのです。
ご近所で出荷した白菜の切れっ端が落ちていると、おいしそうに平らげます。
みんな、ちぎって少しずつ分けてもらいました。
晩ご飯にも、白菜が付きました
妙義紀行第二弾で、中之嶽神社を目指します。
国道50号線の小島田の信号から、ひたすら高崎安中方面に下ります。
国道18号線の妙義近くで、ビュースポットがありました
わー、妙義だ、妙義だ
あの形、忘れられません。
振り返ると、はるかかなたに赤城山が見えます
裾野は長し赤城山です。
国道18号線を進みます。
途中、北条家の重臣・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の墓があるという、大泉山補陀寺(ほだじ)に寄ります。
常広寺と同じ曹洞宗です
境内の駐車場に車を止めて、道路の向こうにあった双体道祖神に逢いに行きます。
奥の高架の道路が国道18号線です。
双体道祖神が2基あります。
左のはかなり古いもののようです。
右は安永の年号が見えます。
世良田の毛呂権蔵が『上野国志』の取材をしていた頃です
後ろには墓地が広がっていました。
さて、趣のある境内へ戻ります。
正面に見える鐘楼堂は、これから数分後誰もいないのに時の鐘として鳴り響きました。
自動で鐘をつくようにセットしてあるようです。
この風景に、鐘の音はとっても趣深いものです
けれど、自動という所に、ちょっぴり情趣のなさも感じました
奥に進むと、あれ、こっちが本来の山門かな?
どうも、そのようです。
いろいろ石造物があるらしいけれど、とりあえず目指すは大道寺政繁の墓です。
また、帰りに寄ります
本堂ですね。
大道寺政繁の墓は、本堂の左奥ということです。
そちらへ行くと、案内の→があります。
石造物の修理をしている、おじさんとおばさんがいます。
「こんにちは。」
「首がちょうど合うのが見つからなくて」
「でも、ないよりあった方がいいですよ」
奥に進むと、ありました
天正十八年三月、豊臣秀吉の小田原攻めに際し、前田利家、上杉景勝、真田等の北国勢三万五千を三千余名で引き受け、奮戦したが、同年四月二十日降伏した。その後、前田軍の先駆として働いたが、同年七月五日、小田原北条氏が降伏となった際、秀吉より北条氏政、氏照、松田憲秀と共に切腹を命ぜられ、同年七月十九日川越常楽寺で自刃、五十八才であった。
何故なのでしょう?
使い捨てとはひどい
合掌。
実は獅子丸が養子に行っていた家のご先祖も、北条の家臣だったそうです。
もしかしたら、お世話になったかもしれませんね。
さっきの説明板に、子孫の手によってたびたび改修が加えられているとありました。
台石の側面に、子孫のこだわりが刻まれているようです。
子孫には忘れられない場所なのですね。
脇に文字のいっぱい刻まれた石柱があります。
うーん、何だろう?
大道寺家の由緒?
大道寺政繁墓所の向こうは、歴代住職の墓所のようです。
妙義山が見えます
(つづく)