寒い寒い夜が明けました。
雪の朝になっているかも
窓を開けると、雨上がりの朝でした
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
あれえ、赤城山が真っ白だ
むこうから、ちょうどミーナちゃんがやって来ます。
ワンワン、あたちのほうが強いんだぞ
何言ってんのよ
ひととおり吠え合って、バイバイ
新沼の少し下まで来ました。
真っ白な赤城山です
かなり降ったようです。
ここでハンターの獅子くんは、キジを見付けました。
声を上げながら横切っていきます。
後を追って、今朝はここから戻ります。
いつもより赤城山が近くに感じられます。
青い部分は雲の影です。
浅間山も、もちろん雪化粧しています。
茂左衛門地蔵尊で参拝を済ませて、境内を散策です。
どうしても確認しておきたい碑がありました。
それは、千日堂の正面から駐車場を隔てた所に、ひっそりとありました
うーん、判読は難しそうです
でも、歌碑の「真面目」と、説明板の「石田マツ」はわかります
みやま文庫『緑陰史話』によれば、ここの地元の人々によって建てられた歌碑には、
どこにいても真面目に働けば青空と人の情けはわれに美し
と刻まれているはずです。
前掲書には、彼女は「若くして命を絶った 農民歌人 石田マツ」と紹介されています。
二反五畝で七十四枚の我が家の田山坂越えて八ヶ所にあり
ああ我も電気とラジオのある家で十日でいいから生活してみたい
土にいき土に死にゆくと心きめ今日もはげめと地下足袋をはく
百姓人夫女中季節労務者とこれが吾二十三年の歴史
歌を詠み本読み日記書いたとて何になろう百姓の吾に
碑の歌と合わせて5首紹介されています。
彼女は昭和32年9月5日夜、23歳の若さで高崎の観音山で自らその命を絶ったという事です
今年の2月、ラオスの少数民族の村を訪ねる機会がありました。
その時に思い浮かんだのが、
ああ我も電気とラジオのある家で十日でいいから生活してみたい
という歌でした。
昭和32年でも群馬の山奥には、電気のない生活があったのです
ラオスの少数民族の村には、どこも電気がありました
なかには、TVもありました
なかには、スマホも見ました
マツの生家は大峰山の奥だそうです。
嶽林寺の山号は大峰山です。
嶽林寺後方の山奥でしょうか?
静かに手を合わせます
大きな義人杉木茂左衛門之碑です。
茂左衛門の名字は杉木なのです。
さて、千日堂の隣に見えるお堂に行ってみます。
二十三夜様、「勢至」の文字が見えるので、月待ち講ですね。
千日堂の裏に回ってみます。
石造物がいっぱいです
最初はどこに2猿がいるか分かりませんでした。
包容力のありそうな青面金剛です
地蔵菩薩です。
長い間お疲れ様。
聖観音おがけをした聖観音、初めておめにかかりました
おがけをした如意輪観音、初めておめにかかりました
皆さんに静かに手を合わせます、合掌