黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・椋神社に行ってきました

2019-12-14 21:26:41 | 秩父紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、諏訪神社西の田んぼ道にまわりこみました。

ふと西の空を見ると、有明の月です

昨日七海ママの夕方のお散歩時に、東の空に赤い大きな月が昇り始めました。

帰ってから、カメラを持って月を見ると、雲が懸かりゆがんでしまってました

また、逢えるてよかった

 

 

 

山犬の狛犬に魅せられて、たくさんの写真を撮りました

椋神社の御由緒があります。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が道に迷ったときに、持っていた矛の先から一条の光がさして、その先に大きな椋(むく)の木があった。

そこには猿田彦大神が立ち、その導きで大勝を得た。

そこで、矛をご神体として、猿田彦大神を祀ったのが、創建である。


それで、椋神社なのですね

永禄12年(1569)、侵入した武田勢に焼き払われたとは

天正3年(1575)、鉢形城主北条氏邦が再建したのですか、よかった

 

 

さあ、本殿に参拝です。

赤い鮮やかな社(やしろ)です

狛犬も、さっきの山犬さまほどではありませんけど、ちょっとはクラシックです

 

木鼻の彫刻も見事です

 

拝殿で、2礼2拍1例礼で参拝です。

 

脇にまわって、本殿を確認です。

さっき、御由緒に、脚元の細い蟇股(かえるまた)とありました。

確かに細い

 

 

隣の覆屋の中に八幡宮があります。

かなり古そうです。

でも、よく見ると見事な彫刻です。

扉や壁には、かつては絵が存在したようです。

秩父平氏が館の鎮守に勧請したものと、説明板にはありました。

 

 

秩父氏が畠山に進出したときに、この椋神社を勧請したのが、畠山(深谷市畠山)の井椋(いぐら)神社だったのです

1年経ってしまいましたけど、やっと訪問できました

 

いただいた御朱印です。

竜勢の絵と山犬の絵があります

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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