黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

月夜野嶽林寺(白子屋事件のお駒堂)

2019-12-19 20:18:44 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

今朝は、ひめちゃんが南回りを主張します。

あれえ、怖い

ひめちゃんは、集団登校する小学生の列を見付けたのです。

大丈夫よ、行っちゃうの待ちましょう

少し待って山上城の方に向かいます。

左上の森が山上城です。

上野第四の碑「山上の多重塔」の案内があります。

左下には道標があります。

東・鶴谷大間々、南・膳田面。

今では細い道だけど、かつては幹線道路だったのです

 

 

 

小川城の後、嶽林寺(がくりんじ)に向かいます。

小川城が城跡として残ったのは、地元の人々の努力と共に嶽林寺の協力も大きいとありました。

嶽林寺は、開基家を忘れなかったのです

開基家没落後、新たな開基家を探したり創作したりしなかったのです


上毛高原駅を回り込んで、細道をゆきます。

あ、駐車場だ

赤城山が見える

裏側から見る赤城山は、見慣れた姿とは全く異なります。


むむ、よく見ると「上毛高原駅駐車場」とあります

確かに駅がよく見えます。


すぐ近くには墓地が広がり、歳月を刻んだ石造物があります。


もう少し奥に駐車場がありそうです。

車を移動させて、境内の駐車場に入れます。

赤城山がよく見えます。


坂道を山門目指して登ります。

途中にお堂があります。

お駒堂です。

新上州観音霊場三十三ヶ所とあります。

大間々の光栄寺を第一番とする、新上州観音霊場の霊場第二十七番のご本尊があるのですね

目をこらして覗きましたけど、霊場ご本尊のお姿は見えません

でも、心を込めて合掌

説明板があります。

小川出身の市兵衞が娘お駒(熊)の供養の為に建てたものである


白子屋騒動って?

肝心な事件が分かりません

ウィキペディアによると

享保11年10月17日の早朝、就寝中であった新材木町の材木問屋「白子屋」の娘・くまの夫である又四郎が、白子屋の下女・きく(当寺16歳)に頸部を剃刀で切りかかられて抵抗したところ、頭部に傷を負った。又四郎の傷は浅く、きくを取り押さえた後助けを呼んだため、大事には至らなかった。

白子屋側は、婿養子である又四郎の実家に示談を持ちかけたが、又四郎の実家は、又四郎・くま夫婦の不仲が噂になっていること、きくの犯行動機が不明であることから、白子屋を怪しみ、10月20日に、町奉行所に事件の調査を訴え出た。奉行所が下手人であるきくを取り調べたところ、きくは店主・庄三郎の妻でくまの母であるつねに犯行を教唆されたことを自白した。きくの証言を得た奉行所が、つね・くま母子を問い詰めると、又四郎の殺害計画を自供した。

そもそもくまと又四郎の婚約は、当時資金繰りに苦しんでいた白子屋が、大伝馬町の資産家の息子であった又四郎の結納金目当てで取り決めたことであった。くまは夫を嫌い、結婚後も古参の下女・ひさに手引きをさせて手代の忠八と関係を持っており、母のつねも娘の密通を知りながらこれを容認していた。くまは離縁を望んでいたが、又四郎と離縁すれば金を返さなければならず、「又四郎を病死に見せかけて殺せば、金を返さず忠八と血痕できる」と考え、共に殺害計画を練るようになった。

 

そんな事件があったのですか

そして、父・庄三郎は江戸所払い、きくは死罪、ひさは市中引きまわしの上死罪、母・つねは遠島、忠八は市中引きまわしの上獄門、くまは市中引きまわしの上獄門と大岡裁きがくだったといいます

父・庄三郎は、小川(月夜野)に帰ってきたのですね。


お堂の階段下にあった鬼瓦が、気になりました。

階段の反対側にもあります。

強い魔を除ける必要があるのでしょう。

「報徳観世音」の文字があります。

霊場ご本尊はどんな方なのでしょう?



 (つづく)

 

 


 




 

 

 

コメント
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