ひめちゃん姉妹と両親は、シャンプーやさんに行ってきました
さっぱりして、見目麗しい美犬です
七海ママの面影を持ってます
やっぱ、ママの子です
ママが赤ちゃんの時から、ずーと同じシャンプーやさんに行ってます。
ひめちゃんは生まれる前から行ってます。
柴犬は、赤ちゃんの時から来てないとダメということで、獅子丸は自宅待機です
あとで、ドライシャンプーしようね
『桐生老談記』という本があります。
その中に、里見兄弟の悲劇の物語があります。
兄弟の父は、甲州の人で、武田信玄に領地を奪われ浪人して桐生にやって来ます。
そして、桐生領西部の仁田山城を任されるのです。
浪人が城主になったのです
普通では考えられないことですけど、実は浪人で城主になった人物がいます。
名胡桃城のすぐ近く、小川城の城主になった小川可遊斉(おがわかゆうさい)です。
もしかしたら、彼が里見パパのモデルではないか?
そうだ、雪が降る前に小川城に行こう
赤城南面から国道17号線にでて、ひたすら進みます。
どこかで休憩したいなあ
月夜野大橋(つきよのおおはし)で利根川を渡ります。
そうだ、名胡桃城(なぐるみじょう)でちょっと一休みしていこう
お久しぶりの名胡桃城です
前回は大河ドラマとの関連で、おおいに注目されているころでした。
今回、向こうにみえる山の事を初めて意識しました。
この名胡桃城に大いに関係ある山だったのです。
この派手な自販機も健在でした。
案内所にちょっと寄ります。
こんにちは
いっぱいの資料があります。
名胡桃城についてのビデオも見せてもらいました。
天正17年(1589)10月下旬、北条家家臣の沼田城代猪俣邦憲が名胡桃城を不法に攻略した名胡桃事件が、戦国時代を終わらせるきっかけになった。
名胡桃城は戦国時代を終わらせるきっかけになった城だと強調されていました。
展示資料も有ります。
やはりこれが目立ちます。
城趾にある徳富蘇峰書という碑の拓本です。
その石は、さっき見たあの山から、たくさんの人が力を合わせて、2日がかりで運んだそうです
ホラ貝もありました
この前はあったっけ?
ちょっとの休憩の予定でしたけど、やはり城内を散策して行きましょう
元気に旗めいてます
説明板があります。
左の赤図で、赤く囲まれた大きいところが名胡桃城で、右上に小さく囲まれたところが富士浅間砦です。
巨大な碑の石は、あの山から運んできたのです
『和名類聚抄』には、この付近は「呉桃郡(くるみのこおり)」といわれたとあります。
それが名胡桃城の名前の由来だとあります。
全体の復元想像図です。
現在地は、丸馬出の上、三の郭(くるわ)です。
虎口を通って、二の郭に向かいます。
む、おじさん邪魔
でも、土塁の高さとか、虎口の大きさとかがわかります。
向こうに見える山は、三峰山です。
二の郭出口虎口から振り返って、三の郭を望みます。
虎口の木橋を渡って、本郭です。
名胡桃城趾の大きな碑があります
大きい
右の彼方に、赤城山が見えます
左には、はるか彼方に、雪を頂いた山が見えます
この石が、隣の山から2日がかりで運ばれたという石なのです
さらに進みます。
ささ郭の説明板です。
付近の城趾の案内もあります。
小川城、すぐそこです
三峰山の向こうに赤城山が見えています
上杉謙信は、赤城山の裏側を通って、佐野とか桐生にやって来たといいます。
ここから見ると、赤城山の裏側はを通るのは、自然な事のようにも思えます
では、小川城へ行きまーす