ひめちゃんちのニューフエイスを紹介します。
シローくんです
この春閉園になる常広寺学園・城山幼稚園から、やって来ました
とりあえず、おとうさんのメダカ桶の番をしてもらってます。
小次郎パパがクンクン、情報収集しました。
ほかのみんなは、関心が無いようです
ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の西の高台をめざしてお散歩です。
諏訪神社の鳥居前からは、妙義山も見えます。
真っ白な浅間山も見えます。
榛名山もうっすらと白いような感じです。
赤城山には、重い雲が垂れ込めています。
ひめちゃんと獅子君は情報収集です。
だれが通ったのかな?
高台の中央で右折し、道なりに戻ります。
畑の自生しているロウバイの向こうに赤城山です。
神社前に戻りました。
この間お散歩の途中に、2礼2拍1礼をして、鳥居前でちゃんとお参りしている人がいました
ひめちゃん・獅子くん、お参りしよう
ひめちゃんたちは、関心がありません
右手にカメラ、左手に2本のリード、両手が塞がっているので2礼2拍1礼したつもりで、会釈をして通り過ぎます
橋のたもとの百番供養塔、少ししつこくみたいなあ
獅子丸が、供養塔と馬頭観音の間をすり抜けていきます
しかたなく、ひめちゃんとおかあさんもついて行きます。
あれ、後ろに文字があります
後ろには、やわらかい草があったのです。
ひめちゃんもお相伴です。
「安永3年甲午(きのえねうま)星次 卯月吉祥日」、きれいな文字です
まさか裏に文字があるとは、思ってもみませんでした。
そして、安永3年(1774)ですって
安永3年は、世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した年です
毛呂権蔵は、常広寺の「竜骨伝記」を『上野国志』の中に遺してくれたのです。
「竜骨伝記」は焼けてしまったけれど、『上野国志』の記述によって再現されたのです。
奇遇です
さっそく諏訪大明神の御利益かな?
江戸時代の後期には、他国に行くのは難しいけれど、国の中では比較的楽に移動できたといいます。
そんな中で、毛呂権蔵がやって来たのです。
そんな中で、百ヶ所の霊場巡りを成し遂げ、記念に百番供養塔を建てた人々がいたのです
気のせいか、隣の馬頭観音さんの足下の馬たちも、元気に見えます
ひめちゃんたちのお散歩記事が、長くなりました。
南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(後編)は、明日にしましょう