今朝、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩に出ました。
道沿いの竹藪に、ヤブツバキがきれいに咲いています
ひめちゃんとコラボで「椿ひめ」を撮りたいけど、ひめちゃんは興味なしです。
仕方なく、パパと椿のコラボです。
ボクもあんまし興味ないよ
パパはどうも、ひめちゃんに興味があるようです
ひめちゃん、もしかしたら恋の季節が来ているかな?
パパに気を付けながら、堀之内を北にでて、歩いてきました。
サクラソウのマンホールの蓋も踏みしめながら
サクラソウは、旧新里村の村の花でしたね
(伊勢崎市)下植木赤城神社からの帰り、上植木の建長石仏(けんちょうせきぶつ)に寄ります。
建長とは、鎌倉時代の年号で1249年~1256年です。
改元が激しい時代に、ちょっとだけ長い年号です。
そして、上野国山上で記された『念仏往生伝』に、何人かの人が念仏往生している年号です。
これは、絶対に寄らなければなりません
住所・上植木本町996-5をナビに入れて出発です。
個人のお宅のような門柱に、「上植木建長石仏」の文字があります。
入っていいのかな?
ためらいながら車を乗り入れて、到着です。
振り返って門柱です。
駐車スペースもしっかりあります
こんにちは
説明板も、ちゃんとあります。
右側の背面に建長三年(1251)の銘があるのですね
700年以上の歳月、人々を見守ってきたのですね
合掌です
隣に馬頭観音とお馬の親子です。
この親子に起こった出来事の碑があります。
かなりの要約です。
けがをした子馬を置いて、ママさん馬はご主人とお仕事に行きました。
子馬にお乳をあげたいママが綱をかみ切っておうちに戻ろうとしました。
その時、運悪く電車がやって来て、ママは電車にひかれてしまいました。
同行のおじさん、ウルウルです
歌があるのですね。
おじさん、さらにウルウルです
佐韋の花園(佐位郡の語源)です。
百合は古くは早由里ともいわれ、もっと昔はただ「佐韋」とも呼ばれた。粕川はかつて佐位川とも呼んで白百合が多く乱れ咲いていた。明治29年迄は、広瀬川より東は佐位郡と呼ばれその語源は佐位からとったもので、百合の郷であった。
そうだったんですか
上植木廃寺跡の礎石もあります。
そういえば、上植木廃寺跡も近くです。
上植木廃寺には、新里の雷電山付近にあった瓦工房の瓦が、使われたといいます。
雷電山には、『念仏往生伝』の編者・行仙上人が居たかも知れないのです