ひめちゃんは小次郎パパと、北の方にお散歩です。
久しぶりにパパと岩神沼です
いつものカモさんいますね
右の道を上ります。
おや、黒い物体が飛び立ちます
もう1羽いたのです
ひとり寂しくここに住んでいるのではなく、もしかしたらカップル?
「南勢多郡の廃寺」に青龍寺があります。
青龍寺(宗派不明)
深津字三ヶ尻郷994番地に所在した。基壇は地中に埋没し宝塔(赤城塔)や石造物片が多く見受けられる。詳細な資料は残っていないが鎌倉時代の創建と伝わっているが、江戸時代前期までに廃寺になったようである。
三ヶ尻で宝塔
そうだ、三ヶ尻の宝塔、高野辺家成夫人の宝塔の所だ
宝塔メインでは何度も行ってます。
確かにお寺があった雰囲気でした。
青龍寺の面影を尋ねて、お使いがてら行ってみましょう
県道3号線を西に行き、(前橋市粕川町)女渕西の信号を南に下ります。
ちょっと次の信号を左折、ちょっと路地に入ります。
迷わずに到着です。
こんにちは、お久しぶりです
粕川村時代のスタンプラリーのボックスが、ちょっと寂しい
説明板を確認です。
三ヶ尻赤城塔は県内でも数少ない鎌倉時代の宝塔で、世良田長楽寺、宮城村忠治温泉庭のものとならぶ上野国初期の宝塔である。
そうなんですか
最後がちょっと気になります
宝塔の造立は天台宗と深い係わりがあり、赤城塔の分布が粕川流域に特に多いことなど、赤城南麓地域における中世天台宗の発展を探る上からも注目されている。
世良田長楽寺は、中世には臨済宗のお寺でした。
江戸時代初期に、天海によって強引に天台宗に改宗されたといいます。
そうすると、赤城南面の宝塔の分布は、臨済宗というか禅宗の広がりと深い係わりがあったという方が、妥当のような気がします
模様が刻まれているようですね。
今までは気がつきませんでした。
格狭間です
基礎に刻まれた蓮弁、ウーン何かあるようにも見えますけどよくわかりません。
さて、寺院跡の石造物にご挨拶です
享保、天保の年号が見えます。
秀青法師、覚心沙弥、お坊さんではないのかな?
前掲書には、江戸時代前期には廃寺になっていたとありますけど、江戸時代中期から後期の年号の墓標があります
あれ、塔婆が上がってます
西福寺住職とあります。
ここから少し東の方に、西福寺はあります。
何年か前に行ったことがあります。
宝塔の後ろ姿です。
向こうの赤い屋根の小さなお堂に行ってみましょう
御眷属守護のお札があります。
前回来た時もありました。
おや、写真を見て気づきました。
神社名があります。
残念ながら、わかりません
さっきの塔婆に西福寺住職とありました。
西福寺の隣には、八坂神社があります。
もしかしたら八坂神社と関係があるかな?
高野辺家成の3人の娘は、赤城姫・淵名姫・伊香保姫でしたね
家族みんな、そして従者達も神になったのでしたね
ここはゴミ捨て場に隣接していますけど、人が来ることによって、パワースポットとしてのパワーを持ち続けられているのでしょう
追伸
2月5日、お使いついでにお札を確認してきました
この日はよく見えました
「郷社城峯神社」ですって
どこにあるのだろう