ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ようとしました。
あいにく小学生の黄色い帽子の集団に遭遇してしまいました
急遽、脇道に避難して、天神田を歩きます
ひめちゃんは、突然道ばたのアブラナに飛び込みます。
ムシャムシャ、真剣に食べてます
獅子丸も以下同文です
アブラナに花芽が上がってきています
赤城山も穏やかな朝でした
タバサねーちゃんは、元気にどこに向かったのでしょう?
野の六地蔵幢から、車で10分足らずで、次の目的地です。
家形埴輪のレプリカが、はめ込まれています。
ここは、この家形埴輪が出土した赤堀です。
(伊勢崎市)赤堀支所にちょっと駐車です。
この交差点を向こうから渡りました。
信号の真下に、目指すそれはありました
佐波郡赤堀村道路元標(さわぐんあかぼりむらどうろがんぴょう)です
かつては、この道路元標までが赤堀までの距離、赤堀からの距離は道標元標からの距離だったのです。
元はこの元標はここから9m北にあったのですね。
ちょうど役場の入り口辺りかな?
町の中心というか、にぎわったところだったのでしょう。
伊勢崎、前橋の文字が見えます。
高崎、東京(?)の文字が見えます。
仲良く並んで、新旧の道標元標です。
暖かくいいお天気で、気持ちいいね
今、FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で「念仏往生伝」を解読中です。
「念仏往生伝」は、鎌倉時代唯一の現存する往生伝で、しかも上野国山上という辺境の地で著された往生伝なのです
その中に、上野国赤堀で念仏往生伝した人の話があります。
はて、彼らは赤堀の何処に住んでいたのか?
たぶん人の集まるにぎやかな所の一角ではなかったか
時代は下がるけれども、その候補として、道標元標の辺りも確認してみました
これから、もう一ヶ所、「念仏往生伝」の記憶を求めて、(赤堀市場町)三界萬霊に向かいます
(追伸)
これだけでは、ちょっと物足りないので、本日、旧大間々町と旧新里村の道路元標も確認してきました
お隣・大間々町の道路元標は、大間々博物館(コノドント館)そばの信号脇にあります。
大間々からの距離は、この道標元標からの距離だったのです
ひめちゃんちのある、新里村の道路元標です。
役場前(新里支所前)に、なんと山上多重の塔のレプリカ隣にありました
ミニミニの神橋もあって、新しいパワースポットの創作かな?
後ろに、昭和13年1月とあります。
新里からの距離は、この道標元標からの距離だったのです。
村民になって久しいですけど、初めてここを訪れました
山上多重の塔のレプリカは、文字も再現されているんですね