朝、ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内の北の方を歩いてきました。
菜の花が満開です
菜の花パパです
ひめちゃんは、菜の花に近寄ってくれません。
ちょっと離れた、菜の花ひめちゃんです
新光太平山妙珠院善昌寺は、現在は桐生市新里町新川にあります。
長楽寺文書の中に、「沙彌道羸寄進状案(しゃみどうるいきしんじょうあん)」があります。
「沙彌道羸寄進状案(しゃみどうるいきしんじょうあん)」に上野国山上保窪井村とあります。
中世、善昌寺は山上にあったのです。
そして少し時代は遡りますけど、あの『念仏往生伝』の著者・行仙上人が住んでいた、窪井の本坊も近くだと思われます。
上野国山上保窪井村の善昌寺に、『念仏往生伝』の記憶を訪ねて、タバサちゃんと久しぶりに行ってみよう
あれ、門柱の付近が華やかになっています
階段下に駐車です。
タバサねーちゃんも、階段を登ります
階段脇に、お地蔵様と六地蔵幢です。
あったっけ?
反対側にも、六地蔵幢です。
あったっけ?
後ろの方が気になります。
赤ちゃんを抱いているような感じを受けます
早くいこうよ
真っ赤な山門があります
こんなに真っ赤な山門だったっけ?
タバちゃんは、軽くジャンプして通過です
「新田義貞公墓、新田義宗公墓」ですって
新田郡出身の、ひめちゃんちのおかあさんには、どうして新田義貞の墓がここにあるのか、全く理解できません
でも、新里のお年寄りは、「新田義貞は善昌寺にいかってるんだ(埋葬されているんだ)。」と普通に言います
息子の義宗の墓もあるんですか
知りませんでした
まずは、本堂で参拝です。
合掌
脇に古い石造物が積まれています。
りっぱな墓石や僧形の墓石も無造作に積まれています。
でも、赤い帽子やオガケで、みなさん少し元気になったみたい
中央の大きな方はどなたでしょう?
蓮華座の上に座って、往生印を結んでます。
合掌
さあ、奥の新田義貞の首塚へ行きましょう
タバサねーちゃんは、階段を一段一段踏みしめて登ります。
覆い屋の下が、新田義貞の首塚です。
おや、左に大きな碑があります。
あったっけ?
ちょっと読みにくい
なんとか読み取ってみましょう。
・大同元年に伝教大師の天台宗伝道教団がやって来た時に開山
・新田義貞公とも縁が深い・・・内室の父は舟田善昌
・義貞は、鎌倉攻めの時に武運長久を祈って、阿閼井皇水を汲んで軍神を祀った
・新田義貞が討ち死にした後、舟田善昌は、京都に人を派遣し勾当の内侍の侍女を使って首を手に入れ、善昌寺に埋葬する
・その他家臣団の墓も建立した
よく見えませんけど、こんな所かな?
そうだったんですか
知りませんでした
あれ、そばにある新里村指定重要文化財のポールは、「善昌寺の五輪塔群」です
「新田義貞の首塚」ではありません
五輪塔群の覆い屋の脇に、ひっそりと「阿閼井皇水」とあります。
新田義貞は、ここの水を軍神に捧げたのですか
知りませんでした
こんにちは
中央の一番大きいのが、新田義貞の墓ということでしょう。
合掌
一応完全な形は、これ1基だけかな?
みなさん、かなり古いですね
なんとなく鎌倉時代の雰囲気です
タバちゃんと、大きさくらべです。
タバちゃんは、標準的な柴犬の大きさだと思います。
新田義宗の墓はわかりません
でも、この付近なんとなく鎌倉時代に書かれた唯一の往生伝、『念仏往生伝』時代の雰囲気です
更に奥の墓地や石宮群も歩いてきました
お出掛け、楽しいです
階段を前向きに降りて帰ります。
タバサねーちゃん、この夏お誕生日がきたら、13歳になります。
タバサねーちゃん、まだまだ若いもんに負けません
善昌寺の由来が舟田善昌の善昌でないとすると、善昌ってだれだ?
『念仏往生伝』には禅勝上人(ぜんしょうしょうにん)の往生伝があり、浄土宗関係の書籍にも禅勝上人はよく出てくるようです。
善昌(ぜんしょう)と禅勝(ぜんしょう)、まあ関係ないでしょうけど、ウーン気になります