いいお天気です
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。
岩神沼に到着です。
気持ちがいいね
獅子くん、なぜか見返り獅子くんです。
あれ、沼の向こう岸に、アオサギです。
まもなく、北の方に飛び去っていきました。
高縄の摩崖仏、桜がほころんできています。
でも、ちょっと寄りずらいね。
村指定文化財の看板がむなしい
お天気がいいから、上の沼にまで足を延ばそうか
あちゃあ、小学生の黄色い帽子の集団だ
ひめちゃん、及び腰です
なんとか道ばたに除けて、やり過ごします。
上の新沼にも、アオサギです。
さっきの子かな?
菜の花の咲く田舎道を帰ります。
小松神社からの帰り、東の国道122号線で帰ります。
途中のコンビニで一休み
そうだ、ついでだから、一本西の道、日光脇往還に出てから、「道の駅はにゅう」に寄りましょう
進路を西に取り、愛宕神社で右折、日光脇往還に入ります。
「ムジナもん」ってご当地キャラクター?
少し北上すると、勘兵衛松(かんべいまつ)と大きな碑があります。
松並木が続きます。
「徳川家光の日光社参のおりに、風景をよくするため、忍藩主が家臣の勘兵衛に命じて植えさせたもの」だそうですね。
その時植えた松が、一本だけ生き残っているという話です。
これかな?
一本だけ特別に太い
包帯の跡?
でも、りっぱに青松をしています
おつかれさま、末永く生き残って下さいね
少し行くと、道が大きく右カーブになります。
まもなく、少しだけ駐車スペースがあります
菜の花の黄色、いいですね
あの橋、昭和橋を渡って帰ります。
「新郷ふるさと歩道案内図」があります。
新郷地区は江戸時代忍藩に属していました。羽生領との境になっていたのは利根川の旧河川道であった会の川でした。日光脇往還に設けられた宿場として栄え、多くの文化財が残されています。
そうだったんですか
真ん中の地図を拡大してみます。
わあ、訪問したい所がいっぱいです。
ここは日光脇往還の宿場町だったのです
川俣関所跡を確認です
慶長年間(1596~1615)に設けられ、明治二年(1869)に廃止されるまでの約二百六十年間続いた
関所が設けられたと言うことは、人びとはそれ以前にも、ここで利根川を渡っていたんですよね
天正2年(1573)に閏11月、羽生衆千余人は羽生城を捨てて、上野国山上を目指して利根川を渡りました。
どこで利根川を渡ったのでしょう?
利根川を渡ったら、早川沿いに北上すれば山上に到達できます。
てっきり渡河地点は、早川が利根川に合流する辺り(旧群馬県尾島町堀口あたり)と思い込んでいました。
合流地点にまで、利根川南岸を行くのも大変そう
天正2年(1573)に閏11月、羽生衆千余人は、上野国山上を目指して、どこで利根川を渡ったのでしょう?
厳しく取り締まったんですね。
本来の関所跡は、今は川の底になってしまったんですね
あの青い表示の所から群馬県かな?
向こう岸にも菜の花が咲いています
この道は、日光脇往還・館林道です
「街道を歩く・日光への脇往還」(群馬県教育委員会発行)によれば、
日光脇往還は、中仙道と日光例幣使街道を経由して日光に至る道である。中仙道を鴻巣で別れ、忍(行田)城下から新郷村、川俣関所を経て利根川を渡し、上野国へ入り邑楽郡川俣村へ至る。さらにここから館林城下を抜け、下早川田村で渡良瀬川を渡り、下野国佐野の天明宿で日光例幣使街道に合流する道筋である。