黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひめちゃんと獅子丸の陽春の山上城散歩(羽生衆の旅の目的地)

2021-03-26 20:23:07 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内をでて、諏訪神社前を下ります。

久しぶりに山上城に寄って行こう

本当に久しぶりだね

この前は何時だったっけ?

 

この向こうあたりが本丸だったよね。

 

山上城は、南北に細長い城で、本丸は北の方にあります。

縄張り図を、確認しましょう。

(『日本城郭体系4』より)

東隣の常広寺の開基・本橋院殿の供養塔から入って南側が本丸です。

桜が咲いています

その昔、常広寺で、たくさんの苗木を植えたという話です。

桜が咲いているうちに、本丸も登城したいものです。

 

ひめちゃんたちが来た道を振り返ります。

突き当たりの右上あたりが、寺名の由来、僧・常広がいた坊があったという丘です

右の高い所は、帯郭のようです。

前掲書によれば、

北から北郭・本丸・二の丸・三の丸の順に並び、周囲に腰郭・帯郭を配し、西に空堀を隔てて帯郭が付く。この空堀は長さ400mの堀内道であって、赤城南麓の城の慣例を示す。

赤城南麓の城の慣例ですか、知りませんでした

 

さて、南に向かって、下ります。

 

西の風景です。

向こうに見える建物は龍源寺、その向こうの森は膳城です。

 

さて、二の丸前に入る道があります。

左折すると、空堀です。

北の空堀です。

南の空堀です。

ここは紫陽花の小道になってます。

この空堀は長さ400mですか

赤城南麓の城の慣例を示すって、ほかにもあるんだ

 

獅子くん、かゆいんだね。

でも、シャンプーはもう少し温かくなってからね

 

南側の三の丸跡が、一般的には城跡公園と認識されているようです。

ここで「山上道及のいたお城でーす」と感激して帰ってしまう人もいます。

余計なことですけど、山上道及は、最近では実在が否定されていますね。

こちらは犬の散歩歓迎されないので、ちょっと覗くだけです

 

天正2年(1574)閏11月、羽生城を捨てた羽生衆千余人が山上にやって来ました。

そして、山上城・葛塚城・膳城に別れて暮らしたと言います。

当時の人口から考えると、民族大移動のようです。

元々の山上の住人はどうしたのかな?

 

道の北側は、二の丸です。

数年前まで、毎朝、常広寺学園・城山幼稚園の子供達の姿がありました。

 

東にぬけると、常広寺の山門です。

本堂前の桜も満開のようです。

今朝は寄らないで帰りましょう。

桜が散らないうちに、こちらから本丸跡に登城したいなあ

 

本丸跡の桜を眺めながら帰ります

赤城山は、霞んでいました。

 

またまた、道草です。

獅子くん、器用に茎をちぎって、アブラナに食い付きます。

ひめちゃんも、しっかり食い付きます。

 

庚申塚古墳を通って帰ります。

今朝も手を握り合っている双体道祖神です

そのお隣の小さな馬頭観音、しっかり手を合わせています

ここにはたくさんの石造物があります。

石はよそから運んでこないでしょうね。

だとすると、ここの石造物は、元は古墳の石だったことになります

じゃあ、古墳は元はどんな形をしていたんだろう?

 

さあ、早く帰ってご飯にしましょう

 

コメント
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