黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの女渕観音堂参拝記

2021-04-01 17:26:48 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

アブラナも花が咲いてしまうと、さすがの獅子くんも食い付きません。

 

久しぶりに山上の薬師の道を歩きます。

春だねえ

赤城山は霞んで、その姿を見せません。

 

アブラナとナズナの花に囲まれた薬師さんたちです。

でも、アブラナがちょっと変

もう一ヶ所確認です。

もう少ししたら、花盛りのアブラナに囲まれるといいね。

菜の花に囲まれた薬師さんたちに逢いたいね

 

 

 

(3月24日)御霊神社から南に散策をして、女渕城(おなぶちじょう)の駐車場に戻りました

(『群馬県の中世城館跡』1988)

縄張り図の五霊神社の北が現在地です。

 

少し女渕城を歩いてみましょう

水の城に桜がいい雰囲気です

 

タバサねーちゃん、本丸跡に到着です。

伝説口碑に、高野辺家成、南淵秋郷、足利直義、荒井図書允、沼田平八郎等の名と共にこの城は古文書戦記に登場する城である。

荒井図書允は新井氏で、さっき訪問した龍光寺を龍光寺曲輪に移したという人で、新井白石のご先祖でしょうか?

女渕城のすぐ裏に、高野辺家成(たかのべのいえなり)の姫が沈められたという、史跡・魔住田ヶ淵(まずみだがふち)があります

沼田氏最後の人・沼田平八郎もここにいたのですか

 

いつもは適当に北の方に行って、西に廻ります。

この日は、タバちゃんがどうしても東に行くと主張します。

じゃあ、行ってみよう

 

あれえ、鳥居がある

お堂もあります。

史跡のポールは劣化しすぎて読めません

 

なんとも不思議な額です

「帰命観自在大慈徳林」?

 

粕川村時代のスタンプラリーの名残があります。

お寺の雰囲気だけどなあ

 

桜の木の下に、説明板があります。

群馬県指定の重要文化財・木造十一面観音があるのですか

60年に一度のご開帳ですか

所有者は応昌寺、管理者は女渕観音堂世話人会ですか

応昌寺って、大胡のお寺でしたよね。

 

ここは、観音堂なのですね

タバちゃんと一緒に、階段の下で合掌

 

左の方にもお堂があります。

子安観音堂とあります。

合掌

 

あれ、古い説明板があります

重さの都合で2枚でアップです。

かつては大いに賑わっていたのですね。

観音堂の別当多福寺が近年廃寺になって、観音様は応昌寺の持ち物になってしまったですね。

それを女渕村が管理という形で取り戻したんですね

いつまでもここに居て下さいね

 

改めて合掌

 

鳥居を出てふと見ると、道標です

南・深津伊勢崎、西・大胡大前田

観音堂前の道は、かつては幹線道路だったのです

 

ふと見上げると、天台宗の門柱があります

ええッ、多福寺跡

観音堂の隣は、多福寺だったのです

そういえば、女渕城の縄張り図、右上に卍が二つあります。

地元の人には、二つの寺なのです

 

 

南勢多郡の廃寺・多福寺といきたいところですけど、「南勢多郡の廃寺」(勢多中部仏教会)にはありません

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)の応昌寺の所に、ちょっとだけ観音堂と多福寺がありました

当寺の寺宝としている秘仏聖観音(木造立像)は行基の作の伝承があるが平安時代後期の作と推定されている。この観音は、当寺境外仏堂の粕川村大字女渕の観音堂に安置されている(粕川村重要文化財)。観音堂には大般若経六百巻も収蔵されている。この観音堂は昭和43年に応昌寺に合併し廃寺となった女渕の多福寺にあった。多福寺は赤城南麓の古刹の一つであった。観音の縁日は1月18日と8月28日で、8月には六百巻の大般若経の読誦がある。

 

 

 

あたちの言うとおり来てよかったでしょ

 

南廻りで、御霊神社裏の駐車場に戻ります。

 

川を渡ります。

川は桂川(かつらがわ)、橋は殿原橋(とのはらはし)です。

 

あたちの史跡巡りの勘、冴えてるでしょう

タバちゃんの勘に脱帽

 

 

 

 

コメント
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