晴れて暖かい朝です
ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出ます。
獅子くんは、道ばたのアブラナに上手に食い付きました
ほんとうにアブラナが好きなんだね
ひめちゃんちにも、牡丹の花が咲き始めています。
数年前、新田の大慶寺・牡丹祭りで購入してきた牡丹です。
今年も元気に咲いてくれます
白井宿、南に歩き続けます。
今回は薬師の湯から日光・江戸道の道しるべまでです
薬師の湯です。
江戸初期である寛永元年(1624)頃、岡上代官の命により掘られ、涸れたことがないと言われ、町並みの多くの家で使用している。
まだ現役なんですね
岡上代官ですか
でも、あの有名な代官岡上景能は、寛政6年(1629)ころの生まれのようです。
誰だろう?
養父の代官かな?
完成間際、底に光るものがある。目もまばゆいような虎にまたがっている薬師如来像である。こんなことは百年に一度とないおめでたいことだと虎薬師と名付けてお堂を建てた。
そうだったんですか
格子の隙間から失礼します。
合掌
左手の石塔は、蚕神の供養塔です。
木立の影のこの方は、どなたかな?
まあ、とにかく合掌
虎薬師を過ぎると、交差点です。
北遺構、東遺構の文字があります。
そのうちのに、交差する通りも歩いてみましょう
力石です
白井の力石です
力自慢を競うもので、昭和12から3年頃まで使われていた。
この石を持ち上げられるのは、当寺でも10人中2、3人程度で、力だけでなく技術も必要であった。
力石って、けっこうあちこちにあるんですね
「力だけでなく技術も必要」なんですね
灯籠の向こう、桜の木の下に力石はあります。
八軒町の井戸です。
八軒での管理ですか
付近の案内図です。
現在地は、上にのぼる2番目の坂・観音坂の付近です。
坂を過ごすと、堯恵の歌碑があります。
京都の修験僧堯恵法師は、北国紀行の道すがら、越後から三国峠を越えて関東に入り、文明18年(1486)年9月9日、菊の節句の日に白井城に入った。時に白井城に駐留していたのは関東管領上杉顕定支援のため、越後の軍兵を率いて越山していた上杉定昌である。~(中略)~9月13日夜に、風流な歌の会催され、列席した堯恵は「月と共に神を詠む」と題した歌を詠んだ。
堯恵法師は、修験僧だったんですか
歌が詠めるって、大切な才能で、外交手段だったんですね
道の東側には、土蔵造りの町並みです。
上之町の井戸です。
八重桜がきれいです
咲き始めだけど、いい感じです
向こうに見える土蔵は、数年前に寄った事があります。
たしか桐生出身の女性が、喫茶店をやっていたように記憶しています。
時節柄声を掛けずに、通過です。
少し行くと、道の西側には、草津道ですって
この坂を上ってずーっと行くと、草津に行くんだ
ここは、交通の要衝です。
土蔵造りの家並み、堯恵の歌碑、上之町の井戸、通ってきました
あれ、日光・江戸道ですって
南が日光・江戸道なのです。
南に行って何処で日光方面にに曲がるんだろう?
意外なところで、日光道がありました
(つづく)