黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天保3年から無住・桜の南蔵院

2021-04-07 20:37:38 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

なにげなく庭石になっている、古墳の天井石です。

チューリップが似合います

 

ひめちゃんたちは、岩神沼に到着です。

沼は静かで、だれもいませんでした。

 

高縄の摩崖仏の裏を通って帰ります。

石造物がいっぱいです

ひめちゃんが、見上げています

視線の先には、桜にカラスでした

 

 

 

(3月28日)

龍光寺・豊川天の少し北に、地図では南蔵院(なんぞういん)というお寺があります。

寄って行きましょう

路地を曲がると、石造物がいっぱいです

桜といい感じでコラボしています

 

境内への入口らしき所があります。

失礼します

ひっそりしていますけど、多少車の出入りはあるようです。

 

入口のこの石造物が、一番大きいです。

宝暦(1751~64)の文字が見えます。

 

隣の廿二夜塔(如意輪観音)には、天明元年(1781)1月と見えます。

 

入り口東の方です。

どなたかな?

手がいっぱいです。

千手観音かな?

東は、この方だけです。

 

正面に、本堂かな?

普通の民家のようですけど、堂宇なのでしょう。

 

和尚さん達の墓石のようです。

ちょっと寂しい

でも、かたづけられていない所がすばらしい

 

あれ、道の向こうに、何かいます

ウエルカムドッグです

なぜ、ここにいるのかな?

桜満開の無住の寺に、和みの風景です

 

 

南勢多郡の廃寺かな?

例の冊子「南勢多郡の廃寺」(群馬県勢多中部仏教会 平成23)で確認です。

あれえ、ありません

 

では現役かな?

『ぐんまのお寺』シリーズ(上毛新聞社)で確認です。

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』にありました

南蔵院(なんぞういん)ー勢多郡粕川村

南蔵院の由来は『上野国郡村誌』によれば、「開基創建は不詳。天保9年(1838)2月22日に焼失する。元治元年(1864)に仮本堂を再建する。当寺は天保3年(1832)より無住となり、本地の赤城寺(せきじょうじ)の住職が兼務している。」とあり、この天保9年の火災で古記録などすべて失ってしまった。明治8年(1875)に村方が提出した「無住寺院取調御届」によると、「本堂、庫裏共に一戸 萱葺 間口八間半 奥行四間半 天保9年3月住僧初瀬へ出世に参り、帰国仕ズ。是迄無住ニ御座候」~(中略)~南蔵院は天保年間(1830ー1844)以降無住となり、本寺である宮城村の赤城寺の住職が兼務している。現堂宇は大正末期に再建された。しかし檀家の離檀が相次ぎ衰退した。 

 

無住になってから、約200年です

でも、まだお寺として、しっかり存在しています

お寺としては一応存在しても、すっかり耕されてほとんど畑になっているお寺もあります

無住になってから200年近く経っても、お寺として存在していることは、希有なすばらしいことです

 

コメント
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