ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
なにげなく庭石になっている、古墳の天井石です。
チューリップが似合います
ひめちゃんたちは、岩神沼に到着です。
沼は静かで、だれもいませんでした。
高縄の摩崖仏の裏を通って帰ります。
石造物がいっぱいです
ひめちゃんが、見上げています
視線の先には、桜にカラスでした
(3月28日)
龍光寺・豊川天の少し北に、地図では南蔵院(なんぞういん)というお寺があります。
寄って行きましょう
路地を曲がると、石造物がいっぱいです
桜といい感じでコラボしています
境内への入口らしき所があります。
失礼します
ひっそりしていますけど、多少車の出入りはあるようです。
入口のこの石造物が、一番大きいです。
宝暦(1751~64)の文字が見えます。
隣の廿二夜塔(如意輪観音)には、天明元年(1781)1月と見えます。
入り口東の方です。
どなたかな?
手がいっぱいです。
千手観音かな?
東は、この方だけです。
正面に、本堂かな?
普通の民家のようですけど、堂宇なのでしょう。
和尚さん達の墓石のようです。
ちょっと寂しい
でも、かたづけられていない所がすばらしい
あれ、道の向こうに、何かいます
ウエルカムドッグです
なぜ、ここにいるのかな?
桜満開の無住の寺に、和みの風景です
南勢多郡の廃寺かな?
例の冊子「南勢多郡の廃寺」(群馬県勢多中部仏教会 平成23)で確認です。
あれえ、ありません
では現役かな?
『ぐんまのお寺』シリーズ(上毛新聞社)で確認です。
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』にありました
南蔵院(なんぞういん)ー勢多郡粕川村
南蔵院の由来は『上野国郡村誌』によれば、「開基創建は不詳。天保9年(1838)2月22日に焼失する。元治元年(1864)に仮本堂を再建する。当寺は天保3年(1832)より無住となり、本地の赤城寺(せきじょうじ)の住職が兼務している。」とあり、この天保9年の火災で古記録などすべて失ってしまった。明治8年(1875)に村方が提出した「無住寺院取調御届」によると、「本堂、庫裏共に一戸 萱葺 間口八間半 奥行四間半 天保9年3月住僧初瀬へ出世に参り、帰国仕ズ。是迄無住ニ御座候」~(中略)~南蔵院は天保年間(1830ー1844)以降無住となり、本寺である宮城村の赤城寺の住職が兼務している。現堂宇は大正末期に再建された。しかし檀家の離檀が相次ぎ衰退した。
無住になってから、約200年です
でも、まだお寺として、しっかり存在しています
お寺としては一応存在しても、すっかり耕されてほとんど畑になっているお寺もあります
無住になってから200年近く経っても、お寺として存在していることは、希有なすばらしいことです