ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場のヤギさんに逢いに行きました。
ヤギさん、いるかな?
ヤギパパさん、おはよう
あれ、サマーカットしたかな?
みんな換毛期だね。
奥のハウスの陰から、白いボクが顔を出してきます。
無事だったね、よかった
又来るよ、バイバイ
今日は、常広寺にお墓のお花を取り替えに行きます。
おかあさんが庭の花をカットしてくると、タバサねーちゃんが「アタチも行く」と催促です。
じゃあ、一緒に行こう。
開基・本橋院殿の供養塔、お隣の六地蔵、そして我が家のお墓、お花を取り替えます。
墓地の一角に、苔むした六地蔵幢があります。
お地蔵様のお顔もちゃんと残ってます
ご近所になりました、よろしくお願いします。
合掌
ここは、常広寺の一番奥の墓地で、山上城の縄張り図では、笹郭という場所です。
歴代住職の墓標もたくさんあります。
常広寺は、創建以来400年、無住ということがなかったのですね
和尚さんの墓標が、実にたくさんあります
タバちゃんは、笹郭の下で待機でした
おまちどおさま。
1人で待ってて心細かったね。
お天気がいいから、ドライブして帰ろう
久しぶりに、山上多重の塔に行ってみます。
何も花はありません。
説明板が新しくなりました
設置者に、文化庁、群馬県教育委員会、桐生市教育委員会の名があります。
過去の一時期に、国宝だったこともあるそうです
ちょっとボケボケの画像になってしまいました
ごめんなさい。
要するに、如法経を納めた仏塔で、塔身に3段に文字が刻まれているのです。
朝廷や衆生のため、小師道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで、無間の苦難より救われ、安楽を得て彼岸に行ける
僧・道輪(どうりん)は、天台宗の東国伝導教団との関係が言われています
また、朝廷の蝦夷征伐の兵士として、東国の若者が動員されていったことも、背景にあるとも指摘されています
何となく文字がありそうですけど、はっきりとは分かりません
クンクン、何じゃろう
タバちゃん、笑顔が戻りました
あれ、北東に見えるあの山は、お昼山です
新田の老人達が、畑にいても、お昼になるとV字形の下に影が出て、時計いらずだったという山です
足尾山地の皇海山です
あの山の麓には、かつて根利山という、足を銅山に木材を供給する集落が40年間だけ存在したということです。
お堂の東になにやら石造物があります
地元の人によると、「歯仏様(はぼとけさま)」だそうです。
子どもの抜けた乳歯をお供えして、すこやかな成長を願ったそうです。
手前は、灯籠かなにかだったかな?
文字が見える様な気もします。
新里村ですから、村誌編纂の時にも未調査でしょう。
でも、「はぼとけ様」という名称は伝わっています。
多重の塔が建立されてから1200年、それなりのパワースポットであり続けたのです
さあ、北に進路を取り、百足鳥居(むかでとりい)も、寄っていこう
ここは駐車場はなく、路上駐車です
赤城山の額も、説明板も、南からだでないと見えません
すぐ南は、大げさに言えば断崖絶壁です
百足鳥居は、赤城山へ登る東南麓の参道として、天明2年(1782)に建てられた。
赤城山への参道、赤城神社ヘの参道ではありませんね
赤城山、山自体がご神体ということでしょうか?
今日は百足がよく見えます。
元気なタバサちゃんです
鳥居の裏から、かつての参道を探します。
やっぱり、あの左の細道が、鳥居の下を通っていたのかな?
北側はこの道かな?
何となく、小沼の辺りに上って行けそうだけど
あれ、もうお昼だ
みんなが待ってるから、急いで帰りましょう