黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

前方後円墳に鎮座・矢抜神社(新田下江田町)

2021-08-14 20:55:23 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、は、今日も貧乏カッパでお散歩です

最近は、ピンクの水玉ビニール風呂敷を売ってません

ひめちゃんは、朝顔柄の貧乏カッパでお散歩です。

 

稲穂がおおきくなった田んぼには、案山子(かかし)が出現です。

 

おや、野菜畑にも、何やら防鳥グッズのようなものがみえます。

かなり手の込んだ造りです

効果あるといいね

 

 

 

先日、お盆には少し早めに、実家の墓参に出かけました。

実家も既になく、墓参だけのお盆です。

国道17号線(上武道路)の信号・尾島工業団地で左折、石田川の北から回り込みます。

おや、赤い大きな鳥居です。

村社矢抜神社です。

村社の文字だけ朱がありません

 

桜の古木が目立ちます。

桜の季節に再訪できるといいな

拝殿で参拝です。

 

右手に矢抜神社傳導板があります。

万治一年(1658年)中江田、下江田に分社され、太田市新田下江田町本郷甲500番地に鎮座する。

 

そういえば、すぐ北の中江田にも矢抜神社がありました。

ここは下江田の矢抜神社です。

たくさんの神様が祀られています

 

社殿の後ろには、矢抜神社の山椿の説明板です。

神社が祀られているところは、二ツ塚古墳と呼ばれる前方後円墳で、すでに原形は失われていますが、周濠を思わせる痕跡もあり、埴輪片や土器も出土しています。

このあたりは中世新田氏の一族江田氏の所領で、江田郷と称した地でした。その後、南北朝の争乱で新田氏が敗れたため足利氏の支配に移り江田郷も分割され、当寺中江田森下にまつられていた矢抜神社を分社し、中江田と下江田の現在地へ勧請してまつったと伝えられています。

 

ここは前方後円墳だったのですか

今、前方後円墳の上にいます

中江田森下にあった矢抜神社は分社して移転、中江田の矢抜神社と下江田の矢抜神社になったのですね

 

それにしても、前方後円墳ですって

古代には、この近くにかなりの実力者がいたと言うことです

 

墳丘上に、たくさんの神様がおいでです。

 

お手長様、さっき火伏せの神とありました。

どんなお姿なのでしょう

 

伊佐須美様、稲作の神です。

 

椿の丘に、みなさま鎮守です

種から新しい子が生まれています

 

おしら様、養蚕の神様です。

昔、養蚕農家では蚕のことをこう呼んだとか。

 

秋葉様(あきばさま)、防火・火難よけの神様です。

 

諏訪様(すわさま)、さっき当地開拓の神とありました。

お諏訪様は、軍神の面だけでなく、開拓の神様の面もあったのですね

 

みなさんに2礼2拍1礼です

 

 

桜の古木に心惹かれながら、さようならです。

桜の季節に再訪しましょう

むこうに青い赤城山が見えます

コメント
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