ひめちゃんと獅子丸は、新ルートで堀之内を出ます。
おや、小次郎パパとタバサねーちゃんも、やって来ます
待ってたけど、ハイシニアの2人は脇道に入ってしまいました。
若いもんの2人は、新ルートで岩神沼に到着です。
赤城山は、その姿を現していません。
小雨が降り出しました。
でも、カモさん出現です
ひめちゃんたちは、もっと上の沼まで行きたそうです。
でも、降ってきたから帰りましょう
岩神様(摩崖仏摩崖仏)の裏を通って帰ります。
おかあさん、転ばないように気を付けてね
山名八幡宮から山上碑(やまのうえひ)まで歩くと、結構時間がかかりそうです。
ひめちゃんたちのこともあるし、車で行きまーす。
ナビを入れても堂々廻り、到着できません
ナビさん、このあたり苦手のようです。
スマホナビに従って、山上碑を目指します。
しばらく行くと、あれ見たことある
たしか形名さんのブログだったと思います。
ここだったんだ
阿弥陀来迎画像板碑が、あの扉の向こうにあるのですね。
登って覗くわけにも行かず、カメラのレンズを差し込みました。
映っていたのは、放射状の光だけでした。
でも、出会えたことに感謝、合掌
ほどなく右手に、山上碑が出現です。
どうも階段を登るらしいです
駐車場は少し先に整備されていました。
戻って、板階段を登ります。
途中で石の階段になります。
石の階段の登り口に、竹の杖です
ちょっと意味不明の説明板もあります
この国指定の山の上の古墳の中に馬頭観音が祀られ、窟堂と呼ばれる観音堂が建てられ、石段が積まれたのは何時の頃か、明和六年(1769)には多胡郡、緑野郡、北甘楽郡内の板東卅三所遷しの四番札所に選ばれたが、時は流れ、お堂は失せ、札所の伝えも忘れられて、あたかも史跡への階段であるような、錯覚のみ残っている。
みやま文庫『上州の観音札所』(内山信次・平成3年)に、三郡板東卅三所(多野郡吉井町、藤岡市、高崎市、甘楽郡甘楽町)のレポートがあります
三郡板東卅三所とは、今日の甘楽・多野と高崎の一部にまたがる地域、当寺の緑野・多胡・北館等の三郡に、板東卅三所の観音様の分霊を遷した札所という意味である。~(中略)~その成立は十二番千手寺の大悲閣に残る御詠歌の献額の裏画面により、明和元年(1769)と推定される。
参考までに、
一番 黒熊 延命寺 子安観音 (多野郡吉井町黒熊甲328)
二番 白石 般若寺 馬頭観音 (藤岡市白石2の2)
三番 白石 龍泉寺 十一面観音 (藤岡市白石1931)
四番 山名 宝積寺窟堂 馬頭観音 (高崎市山名町山ノ上)
五番 木部 辻ノ堂 正観音 (高崎市木部町464)
六番 中 光明寺 十一面観音 (藤岡市中1503)
七番 篠塚 西宝院 正観音 (藤岡市篠塚)
八番 上栗栖 高木山浄雲寺 如意輪観音 (藤岡市上栗栖261)
九番 中栗栖 源水寺 (藤岡市中栗栖)
十番 藤岡 一行寺動堂(ゆるぎどう) 身代わり正観音 (藤岡市藤岡甲231)
ごめんなさい、以下省略です
十番動堂の観音様については、ちょっと気になる話がつづられています
動堂の観音さま、もと鮎川沿いの本動堂にあった、木曽義仲の思い者巴御前の持仏であったという。隣接する吉井の多胡庄は義仲の父先生義賢の所領で、一時義仲が兵をここにあつめたことがある。ありそうな話である。
木曽義仲の恋人・巴御前(ともえごぜん)の持仏だった動堂の観音さま、ぜひお参りしたいものです
さて、宝積寺窟堂(くつどう)への石段を登って、山上碑にご対面です
(つづく)