黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

10年も前に盗まれちゃってねえ(江田山最勝寺)

2021-08-15 15:38:25 | 群馬県・東毛

今日も冷たい雨です

みんな貧乏カッパでお散歩です。

 

獅子丸が実家に帰ってから、2年と2ヶ月あまり経ちました。

たいしたトラブルもなく、実家に溶け込んでます。

でも、順位はどうなのかな?

赤ちゃんの頃の、ひめちゃんと獅子丸です。

下にいるのが獅子丸です。

琥珀丸と獅子丸です。

こちらも下が獅子丸です。

きょうだいで、獅子丸だけが白足袋をはいていました(足の先が白かったのです)。

獅子丸は、おっとりした優しい子だったようです。

7年間の養子生活でも、その気質は消えなかったようです

 

ケンくんや小太郎などのよその雄犬に対しては、「僕の方が強いんだぞ」とやるので、要注意ですけど。

雄犬同士は順位が付けばやらなくなると言いますけど、まさか戦わせる訳にはいかず、要注意です

小次郎パパにたいしては、先住犬として、対決を避けています。

 

実家に帰った時、生みの母・七海ママがいたことも実家に馴染むのにとても好かったことです。

高齢ではあっても、群れのリーダーはママでしたから。

獅子くん、帰る実家があってよかったね

 

 

 

矢抜神社から東に走ります。

お寺があります。

ちょっと寄って行きましょう

天台宗江田山最勝寺(太田市新田下江田町)です。

 

まず大きなお地蔵様です。

こんにちは

 

水桶の数からすると、檀家は少ないかな?

 

石造物も整理されています。

個性的な青面金剛です。

腰の辺りに2鶏がいます。

 

本堂で参拝です。

ちょっと近づきがたい感じです。

少し離れた所で、合掌

 

 

『群馬のお寺 天台宗Ⅰ』(平成11年 上毛新聞社)によれば、

(『木崎町郷土史』に)最勝寺の前身は南北朝時代、南朝の天皇であった長慶天皇の乳母が、天皇の崩御を聞いて当地に草庵を結んだのが「西勝印」であるとし、天文年中(1532~1555)に慶尊法印が開山した寺であるという。ただし、慶尊については不詳としている。

長慶天皇の悲運な逸話や伝説は各地にあるが、最勝寺の西方にある矢抜神社を祀る前方後円墳や下江田集落のまん中辺にある下江田御門と呼ばれる墓地の凝灰岩製層塔が長慶天皇の墓といわれている。~(中略)~

最勝寺には、乳母が天皇追善供養の為に造立したと伝えられる地蔵堂がある。これは光珠院と称する御堂で、中に地蔵菩薩が安置されている。

 

 

おや、軽トラックでおじさんがやって来ます

髪の毛があるので、和尚さんではなさそう。

でも、ここの人みたい

 

「こんにちは あのう、地蔵堂にすばらしい仏様があるとかいうことですよね。」

「それは、盗まれちゃったんだよ もう10年も前さね。扉を開けたら無かったんだ それから盗難届を出したんだ。墨書で最勝寺とあるから、出てくれば分かるんだけどね。」

「そうなんですか。いったい誰が持って行ったんでしょうね 本堂のお隣はご住職さんのお住まいですか?」

「倅のさね。」

息子さんが住職みたいです

「御朱印やってますか?」

「うちはやってないよ。」

「ぜひ始めて下さい。そのうちにまた御朱印いただきに来ます

おじさんは、新しい家屋の方に消えて行きました。

 

 

主のいない地蔵堂に参拝です

あの厨子の中にあったのかな?

天井絵があったかな?

 

境内の整備など新しい時代が、始まっているようです。

またそのうちに、御朱印をいただきにうかがってみましょう

 

 

 

 

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