ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、南に回り込みます。
あれ、ケンくんだ
ケンくんも気づいて、道ばたに避難してくれました。
獅子くんは戦闘モードです
バイバイ、そのうちにひめちゃんだけで行くよ
常広寺の外墓地そばには、桜の花です
暑いよ
おりこうに、ガードレールの影を歩きます。
鹿島山宝性寺の隣、鹿島神社にも寄ってみます。
駐車場は閉ざされていますけど、根小屋町信号脇のわずかのスペースに失礼します
鬱蒼とした参道を進みます。
あ、電車の通過です
目立たなく線路です。
電車が去って行きます。
隣の鹿島山宝性寺の境内を通過して行きます。
幣束が新しいです。
8月7日に一応祭礼があったかな?
桜の木もかなりの古木です。
苔むした階段を登り、拝殿で参拝です
脇の社殿のこの方はどなたかな?
隣のお寺が鹿島山宝性寺(かしまさんほうしょうじ)、山号に神社名が使われているということは、神社がかなり古くからこの地に存在するということです
境内には一切説明板はありませんでした
いろいろ検索していると、南八幡の案内人さんのブログに、高崎自然歩道・山名城趾から根古屋城趾に向かう途中の案内板「鹿島神社と防人」がありました
引用させて頂きます
飛鳥時代この国の若者は、碓氷の嶺を越え、遠く筑紫の国の防人として召されていった。
日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は
夫なのが袖もさやに振らしつ
上代、東国の防人は国を立つとき、鹿島の神を祀ったという。鹿島立ちである。この尾根道の東の麓に鹿島神社がある。その昔この地から筑紫へ召された若者がいた。残されたものが鹿島立ちを祝った場所に、鹿島明神の洞を建てて若者の無事を祈った。その若者は再び故郷の土を踏むことができたのか・・・その址に鹿島神社が残った。いつの頃からか神社では毎年8月7日に七日火という万燈花火を打ち上げて、祖霊を慰める様になった。
防人として旅立つ夫は、残る妻に「いつまでも愛してるよ」と思いっきり袖を振って、去って行ったのでしょう
もしかしたら山ノ上地蔵尊のそばにあったあの案内板の近くに説明板があったのかな?
茨城県鹿嶋市の鹿島市郷土かるたにも、
日本を護る防人赴く鹿島立ち(にほんをさきもりおもむくかしまだち)
防人に選ばれた人たちは旅の安全と無事に故郷へ帰れることを祈って出発しました。これが鹿島立ちの起源です。
現在も旅の安全を祈って好い旅であるように願いをこめて旅に出発することを鹿島立ちと言われています。
「日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は夫なのが袖もさやに振らしつ(ひのくれに うすいのやまを こゆるひは せなのがそでを さやにふらしつ)」の『万葉集』の歌は知っていました
「鹿島立ち」の言葉と由来、初めて知りました