ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。
岩神沼(いわがみぬま)には、誰もいません。
今朝は、高縄の摩崖仏(たかなわのまがいぶつ)にも寄っていきます。
おはようございます
阿弥陀三尊の下にも、石像が彫られていたのですね。
今朝ははっきりと見えます
合掌
昨日の午前中、おかあさんはいろいろな用足しやお使いがありました。
車のエンジンを掛けると、タバサねーちゃんが立ち上がって、「お出掛けしようよ」
「今日はダメ、又今度ね。」
タバサねーちゃんは、お留守番です。
お母さんが用事を済ませて、車のエンジンをつけたまま、玄関に色々運び込んでいると、白い影がウロウロです
「タバちゃん、どうしたの?」
血相を変えて家族が探しに来ました
道に飛び出しでもしたら大変です
獅子丸の二の舞は、絶対に避けなければなりません
みんなの心配をよそに、タバサねーちゃんは、開いていた車のドアから後部座席に飛び込みました
おかあさんの車のエンジン音をちゃんと聞き分けて、チャンスを見てやって来たようです
サークルのドアを開けた人は、ミニドッグラン出遊ばせるつもりだったと言います。
おかあさんの車のエンジン音を聞きつけていたタバサねーちゃんは、別のことを思いついていたのです
タバちゃん、お出掛けだね
ちょっとドライブしてこよう
行った先は、ひめちゃんちの少し北にある関(せき)の瀧興寺(りゅうこうじ)です。
近年は無住になっていますけど、兼務しているお寺で色々手を入れているようです。
駐車場の側に、本堂です。
おや、見慣れないニューフエイスです。
こんにちは
合掌
とりあえず、滝沢不動尊への最後の丁杭を目指します
クラシックな鐘楼堂を通過します。
ここらへんには、あんまりお散歩犬は来てないみたいだよ
タバサねーちゃん、あまりしつこく情報収集しません。
鐘楼堂の隣には、りっぱな念仏供養塔です
こちらも念仏供養塔ですけど、お顔がありません
滝沢道・最終の丁杭に到着です
ロウバイとのコラボいいですね
でも、ロウバイはこの一本だけかも。
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成13)によれば、
瀧興寺の石門前に瀧沢不動尊参道の丁杭(石の道標)が立っている。「七十六番目滝沢道」とあり終点の丁杭である。この丁杭は瀧興寺から粕川の上流、赤城山中にある滝沢不動尊(粕川邑大字室沢)まで一町ごとに立てられたもので七六本目が最後、これに瀧興寺持ちの関の前不動堂から滝沢道の合流天までの二本と合わせ七八本の丁杭が立てられた。
滝沢不動尊の管理に大きな役割をしていた時代があったのです
そしてその頃がこのお寺が一番栄えていた時代とか。
さて、石門から入り直しです。
左手に大きなカヤの木と、りっぱな石造物です。
慶応3年(1867)の火災で、焼け残った中門をくぐります。
この門が、今の瀧興寺で一番古い建物だそうです。
本堂前にもニューフエイスです
こんな形の六地蔵もあるんですね。
そのうちに、ゆっくりお願いします
裏の方も覗いてみましょう。
あれ、お稲荷さんあったっけ?
観音様の向こうに、国道353号線の板橋の交差点が見えます。
裏山の皆さんにも合掌
西の道の向こうに墓地が見えます。
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』によれば、
瀧興寺の北西、道を挟んで歴代住職の墓地にある開山尊光上人の銘には「当地開山之古廟也。此代従高縄爰寺引く。」とある。勢多中部仏教会の寺院要覧の瀧興寺の由緒の項には「元和三年中興開山安養坊尊光上人高縄より当所へ移転し建立」とある。~(中略)~高縄は新里村大字山上にある地名で瀧興寺からは南の方にある。この高縄には村指定の重要文化財の摩崖仏がある。
瀧興寺は元々は高縄にあったお寺ですか
摩崖仏の廻りにもたくさんの石造物があります。
何か関係あるかな?
西の歴代住職墓地、そのうちに行ってみましょう
さて、帰りましょう。
あたち、上手に降りられるよ
本堂前に、もう一名様ニューフエイスです。
こんにちは
合掌
本堂東の駐車場に戻ります。
以前訪問した時より、大分明るくいい雰囲気になってます
そのうちに、もっともっと明るい境内になっていることでしょう。
そうそう、書き置きでいいから、御朱印もあったりするといいですね
タバサねーちゃんは、大満足でお部屋に帰りました
ひめちゃんは、複雑な表情です。
同じ両親から生まれても、色だけでなく、性格も全く異なる姉妹です
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