黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

新田荘高島郷の生品神社(利根川の南にも生品神社)

2020-10-08 15:13:44 | 埼玉県

寒い雨の朝でした。

ひめちゃんたちの小屋には、毛布が入りました

ちょっと早いかな?

雨なので、今日の写真はなしです。

 

昨日の朝、ひめちゃんたちは、岩神沼から高縄の摩崖仏の裏手を通ってのお散歩です。

岩神沼で、獅子くん、いつものポーズです。

逆さ赤城も映っていました。

ひめちゃんは、物思いにふけってる?

後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来ます。

先日、満開の曼珠沙華の中で、摩崖仏には寄りました。

昨日はパスです。

摩崖仏の後ろを通って帰ります。

赤い柱の下が、高縄の摩崖仏です。

曼珠沙華の似合う風景です

こんなにみごとに曼珠沙華が咲いているところを通るのは、初めてです

 

 

新田義貞が挙兵したのは、生品神社(群馬県の旧新田郡新田町)だといいます。

ところが、利根川の南、深谷市にも生品神社がありました。

これは、新田の生まれの人間は、確認しておかなければなりません。

 

先日やっと訪問できました。

国道17号線(上武道路)の新上武大橋を渡って、まもなく左折して又左折して、新上武大橋をくぐり到着です。

前小屋天神とは、橋を挟んで反対側になります

鳥居です。

灯籠の背がずいぶん高い

本殿前には狛犬が鎮座です。

よく見ると、狛犬も高い位置に鎮座です

まるで打ち寄せる波に耐えて、岸壁でお仕事をしているようです

社殿の入り口は、堅く閉ざされています

とりあえず、門前で参拝です。

隙間から見えるのは、拝殿ですね。

本殿はまだ先です。

 

社殿の前には、由緒(?)です。

生品神社の創建は昭和初期ですって

そんあはずはありません。

古い社殿が昭和初期の建立だったのでしょう。

 

こちらも、よく読み取れません。

 

あちこち、この生品神社について検索しましたけど、わかりにくい表現が多いです。

由緒としてすっきりしているのは、

当地は、古くは上野国新田荘に属し、元久二年(1205)の源実朝下文案に、新田義兼の所領と記載されている。新田荘の総鎮守は、古代から崇敬された群馬県新田町の旧県社生品神社で、これは『上野国神名帳』に「従三位生階明神」と載せられている。当社は、この神社の分社で、おそらく新田荘の地頭であった新田一族により、新田荘高島郷の鎮守として勧請されたのであろう。

 

ここは、上野国新田荘だったのです

新田荘高島郷だったのです

 

天保2年(1831)10月29日、渡辺崋山は、前小屋天神の書画会に出席します。

そしてその夜は、島村の画家金井烏洲の案内で、高島という所の豪農で西洋医学の医者でもある、伊丹新左衛門宅に泊まります。

ここが、その高島だったのです

 

社殿の周りを、時計回りに一回りです。

こちらの古い灯籠は普通の仕様です。

背高のっぽの灯籠は、やはり洪水対策かな?

 

石造物もあります。

高島の文字がはっきり見えます

 

本殿も、堅く閉ざされています。

 

一回りして来ました。

まるで伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩のような情景です

まさか

 

新田荘は、利根川の南にも広がっていたのです

 

 

 

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