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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

金色の阿弥陀仏(中江田・安養山来迎寺)

2020-09-18 21:36:28 | 群馬県・東毛

早朝の光景です。

ひめちゃんちの桂(かつら)の木に住んでる白鷺(しらさぎ)だと思います。

電柱の上から、餌場や天敵の様子を伺っているのでしょう。

高齢の七海ママは、5時台に朝一番にそこらまでのお散歩に出ます。

早朝ならではの光景に出会えました

 

 

矢抜神社から県道312号線に戻ります。

そういえば、この道はその昔日光例幣使街道でした

 

東に向かってまもなく、お寺があります

天台宗来迎寺(らいごうじ)です。

真新しい山門です。

 

山門脇に、古い石造物と「来迎寺仏頭」の説明板があります。

表情豊かなお地蔵様と如意輪観音があります。

来迎寺は明治元年火災に遭い、ここに移転したのです。

その火災の時、阿弥陀如来の仏頭だけが引き抜かれて、難を逃れたのです。

それは、鎌倉時代末期の作なのです。

 

山門をくぐります。

真っ赤な新しい本堂です。

 

左手に聖観音と金色(こんじき)の阿弥陀如来坐像があります。

阿弥陀如来には説明板があります。

あの焼け残った仏頭をもとに再現された阿弥陀如来の姿なのです。

あらためて合掌です

30年が経過して、落ち着いた金色になってます

 

本堂の右手前に、目立つ木と説明板があります。

来迎寺の移転前から、ここにあったのです。

 

庫裏を尋ねます。

「あのう、御朱印出ますか?」

「時間がかかりますけど、どうぞ。」

大黒さんが応対してくれました

しばらくまっていただいた御朱印です。

仏頭は、特別の時だけ、ご開帳するそうです。

本堂の額は、もう亡くなったけれど、中江田在住だった高名な書家の書だそうです。

「ぜひ、ご覧になって行ってください

「はい、ありがとうございます

 

本堂の額です。

 

金色の阿弥陀如来坐像にも、もう一度合掌です

 

旧来迎寺跡には、太田市指定重要文化財の宝篋印塔が有ります。

ちょと南と言うことなので、足をのばしてみましょう

 

 

 

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高遠石工の常夜灯(新田中江田・矢抜神社)

2020-09-17 20:31:51 | 群馬県・東毛

昨日の朝、ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに東の牧場の方に行きました。

ヤギさん、元気かな?

あれ、ヤギパパが鏑木川のこっちにいます

でも、妻子との間にはフエンスが有ります

ひめちゃんも獅子丸も、何故か無関心を装っています。

獅子君くんは向きを変えて、ヤギさんの方へ行きます。

でも、無関心を装ってます。

ヤギママとボク(この春生まれた息子)は、興味津々です。

ひめちゃんはまったく興味なしです

獅子くんだけちょっとご挨拶して、バイバイです。

サマンサ坂を上って帰りました

ひめちゃんが、なぜヤギさんに無関心なのかわかりません。

 

 

 

新里の南・旧佐波郡赤堀村には、『念仏往生伝』の主人公たちがいました。

そして、少しだけその記憶を尋ねてみました。

ところで、新田郡生まれのひめちゃんちのおかあさんが幼い頃から知っている赤堀は、ここではありません。

もっと南、旧新田町の赤堀です。

新田町の赤堀(太田市新田赤堀町)を尋ねてみよう

とりあえず、赤堀八幡宮をメインの訪問地に、その廻りも廻ってこよう

 

お隣の大間々町からまっすぐの県道69号線で、新田に下ります。

ひたすら南下して、新田中江田町(なかえだちょう)の信号で左折です。

まもなく、左手に鳥居が見えます。

この鳥居脇を入ります。

 

真っ赤な目立つ鳥居があります。

矢抜神社です。

 

地域の集会所と舞台があります。

 

まずは、拝殿で参拝です。

どっしりとした落ち着いた社殿です。

向拝の龍と鳳凰も元気です。

2礼2拍1礼で参拝です。

 

新田町誌基礎資料第8号『村々の沿革と絵図』には、

鎮守矢抜神社は神亀五年(728)創建と伝承する(「郡村誌」)~中略~境内に文化六年(1809)の常夜灯がある。信濃国高遠村の石工・北原九郎兵衞信行の銘があり、町内三基あるうちの一つで東毛でも数少ない貴重なものである。

 

さて、常夜灯は左右2基あります。

右の常夜灯です。

いくら見ても、高遠の文字はありません。

左の常夜灯です。

ためつすがめつ、高遠の文字を探します。

ありました

石工 信州高遠北原村 北原九兵衞信行

あれ、町誌資料は九郎兵衞になってます

でも高遠の文字が確認できました

高遠石工は、新田にも来ていたんですね

 

本殿は、堅くガードされていてうかがえません

 

本殿の後ろは古墳の雰囲気です

墳丘上に石宮があります。

町誌資料にも、「なお、字宿通の矢抜神社は古墳である。」とあります。

 

社殿の西側は、中江田公園になってます。

この日は誰にも会いませんでしたけど、人を受け入れる雰囲気です

中江田の鎮守矢抜神社ですね

 

 

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白鷺が桂の木に住んでます

2020-09-15 21:39:15 | 日記

ひめちゃんと獅子丸は、高縄の集会所を廻って帰ります。

ここは花いっぱい運動の花が咲いてます。

借景で獅子くん、はいポーズです

 

 

 

先日歯医者の帰りに、堀之内付近で、目の前を大きな白い鳥が飛び去りました

白鷺(しらさぎ)です。

慌ててカメラを取り出し、後を追います。

 

道向こうの田んぼの畦に着地です。

また飛び立ちます。

まるで、ペリカンです。

かっこよく飛んで行きます。

また田んぼに着地です。

また飛び立ちます。

また、目の前を横切って、道の反対側に着地です。

しつこくカメラを向けていましたけど、やがてどこかえ飛び去っていきました。

 

その後、実は白鷺は2羽いてカップルで、なんとひめちゃんちの桂(かつら)の木に巣があるらしとの報がもたらされました

その後も、桂の木の付近の目撃情報がありました。

白鷺は沼地に住んでいると思ってましたけど、実は高い木に巣を作るそうです

 

今日の夕方、ついに目撃しました

白鷺が戻ってきて、桂の木に入っていくのを

残念ながら、カメラを出したときには、白鷺は帰宅してしまいました。

あの桂の木の、上から三分の一位の所に、巣があるようです

 

少し待っていましたけど、もう出てきません。

諦めて、お散歩を始めると、ひめちゃんが振り向きました。

います

この白鷺はひめちゃんちの桂の木に住んでいます

 

この桂の木は、いつ植えたか記憶がありません。

もう10m以上はあるでしょう。

かなり安全な場所なのでしょう。

 

この期の木陰はとても涼しいです

桂の木は、月の桂というように、葉が黄色くなります。

条件が悪いのか、余りきれいに黄葉してくれませんけど、一応毎年、月の桂を楽しんでます

去年11月の写真です。

このころ、まだ七海ママも足腰がまだしっかりしていて、末っ子のひめちゃん&獅子丸と、そこらまでのちい散歩を楽しんでました

 

 

 

 

 

 

 

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高橋守行の記録「林中に小社あり」が創始・今泉諏訪神社

2020-09-14 16:08:51 | 群馬県・旧桐生市

今朝は小雨でした。

「さあお散歩に行きましょう」と、お部屋のドアを開けてもらうと、ひめちゃんは隙をついてミニドッグランに突進です

しばらく、草を食べてから御用となり、ランのフエンスで獅子丸を待ちます

獅子丸と北の方に行くと、後ろからだれかやって来ます。

ひめちゃんは、鉛のように重くなり動きません。

小次郎パパとタバサねーちゃんが、おとうさんを連れて追い越して行きます。

 

 

日限地蔵尊と道を挟んで斜め西北に、神社があります。

行って見ましょう

鳥居をくぐると、不思議な勧誘です。

諏訪神社奉賛会ですか?

いまこの神社を維持しているのは、氏子ではなく、奉賛会なのですか

 

本殿に進みます。

右の狛犬です。

左の狛犬です。

四角い顔が特徴です。

拝殿には龍と鳳凰です。

龍もさることながら、鳳凰が実に生き生きしています。

 

拝殿前に説明板です。

今泉村の生んだ史家高橋守行の「今泉古事談」の記述中、天文年中(1532~1554)に岩崎大六所有の林中に小社有りと記されるのが創立と思われる。

ええッ、あの『桐生老談記』の作者・高橋守行さんの記録にあるのですか

『桐生老談記』は、約1年をかけてFC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で、なんとか読み終わりました

 

不思議な事に、山上の山上氏は一度も出てきませんでした

膳城の膳氏は何度か出てきました。

そういえば、膳氏が山上の諏訪神社に集結して、桐生氏との戦いに出て行った事もありました。

不思議なつながりですね。

 

今では両社とも、桐生市の諏訪神社です。

『桐生老談記』にしかのってないという細川内膳の物語(『桐生老談記』にみる細川内膳)には、たくさんのご訪問ありがとうございます。

その作者が、ちょっと顔を見せました

ここは、彼のホームグラウンドだったのです

今泉村はなくなってしまいましたけど、ここは今泉村だったのです。

 

心を込めて、2礼2拍1礼で参拝です

 

本殿(奥の院)も覗かせていただきます。

 

 

境内社にも参拝です。

 

機神社です。

 

能書稲荷神社です。

字が上手な事が商売繁盛につながるのかな?

 

 

その隣は社務所と神楽殿かな?

 

 

本殿前にも石宮が集まってます。

写真がボケボケになってしまいましたけど、薬神社のようです。

 

 

このあたりは、『桐生老談記』の作者・高橋守行さんのホームグラウンドだったんですね

 

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弥勒寺音八の龍(桐生日限地蔵尊・観音院)

2020-09-12 16:04:19 | 群馬県・旧桐生市

妹の恋路の邪魔をする犬です

今朝、ひめちゃんは久しぶりにケンくんと会いました。

でも、獅子丸が戦闘モード全開

ひめちゃんはケンくんと、楽しいひとときを過ごせませんでした

せっかく、逢えたのに

 

ひめちゃんと獅子丸は、字天神の田んぼを廻って返ります。

 

獅子丸の排泄物をかたづけていると、甲斐犬を連れたおばさんがやって来ます

このおばさんは挨拶をしない人です。

獅子丸は戦闘モード全開です

脇道もあるのに避けずにやって来て、平気で通り過ぎます。

 

「人生いろいろ、犬生もいろいろ」ですけど、最近は挨拶しない人が増えました

挨拶しても、シカトされる事がしばしばです

願わくは、犬を連れた者同士、明るく挨拶したいものです

 

今朝の赤城山は、なにやら心配な雰囲気です。

小次郎パパとタバサねーちゃん、元気に帰ってきました

 

 

 

前小屋天神の書画会に参加した、渡辺崋山の妹の墓は、桐生の観音院(日限地蔵尊)にあるという事です。

桐生の観音院本堂向拝には、淵名の名工・弥勒寺音八(みろくじおとはち)の龍がいます。

本堂の欄間3枚も弥勒寺音八の作品だという事です。

いつか訪れたときは、法事が始まる直前で、写真もボケボケでした。

 

ちょっと気になって出掛けてみました。

仁王門と仁王様です。

金網越しでないのはいいですね

 

仁王門をくぐると、もう見所いっぱいです

 

右手には、四国八十八ヵ所霊場お砂踏みです。

「南無大師遍照金剛」唱えながら、廻りました

 

左手には石造物がいっぱいです。

踏まれている邪鬼がなんともかわいい、青面金剛です

 

境内の案内図があります。

 

左手の鳥居は弁財天です。

なんとなく水路があります。

水が流れているともっとよかったかな。

 

右手を見ると、「靴を脱いで歩くと足腰の健康と長寿が得られます。」

もちろん、靴を脱いで歩きました

 

左手には六地蔵です。

こういう形の六地蔵もいいですね。

合掌

 

六地蔵の後ろの建物、御朱印を受け付けています。

御朱印をお願いして、その間に本堂に参拝です。

 

まずは向拝の龍です。

生き生きした躍動的な龍です

さすが弥勒寺音八の作品です

 

本堂内に失礼します。

ご本尊の前でまずは合掌

 

欄間の彫刻です。

このときは、しっかり失念していたのですけど、天井絵もあったのです。

少しだけ映ってます。

こんど行ったら天井絵も忘れずに、カメラに収めましょう。

 

そろそろ御朱印できてるかな?

 

今回いただいた御朱印です。

月替わりの御朱印もありますけど、今月分は終了だそうです

来月の分は受付中だそうです。

まあ、予約というのもちょっと。

予約はしてきませんでした。

 

あれ、肝心の日限地蔵尊の写真がありません

 

 

前回の写真で探してみましたけど日限地蔵尊は映ってません

前回の御朱印です。

 

3度目は、日限地蔵尊にしっかりお会いして、本堂の天井絵も確認してこなくては

 

昔、この地域にあった大きな機屋の主人の夢枕にお地蔵様が現れ、「世の人々を守護するため、何日なりと日を限って願かけすれば必ず願望を叶えよう」とお告げがあったそうです。

それで、日限地蔵尊なのです。

その日は毎日24日だそうです。

いつか24日に出掛けてみたいものです

 

 

 

 

 

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