黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

花は盛りにのみ見るものかは 3 (八重桜の白井宿3)

2021-04-23 15:34:45 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに岩神沼に到着です

だあれもいません。

住んでいた黒いカモさんもいません。

沼の水面は、鏡のようです

赤城山はその姿を隠していたので、逆さ赤城はありません。

でも、付近の風景をしっかり逆さに映していました

 

ひめちゃんたちは、高縄の摩崖仏の裏を通って帰ります。

藤の花が見事でした

 

 

 

白井宿(しろいじゅく)散策、続けます

 

日光・江戸道ですって

思わぬところで、日光道の文字に遭遇です。

ここは、子持村指定の史跡「白井町の道しるべ」だったのです。

この道しるべを起点にみると、北は沼田街道西通りで沼田城下へ、西には「中の坂」を上り草津道に、南は日光・江戸道と通じていく。途中には利根川を渡る「渡屋の渡し」がある。

日光にも通じているんですね

 

 

道の東側には、江戸情緒たっぷりの古い町並みもあります。

 

 

延命水の井戸です。

現在も使用中とあります。

 

 

コロンとしたかわいい八重桜です

振り返ると、桜の向こうに、雪の皇海山(すかいざん)、いい風景です

 

 

北向地蔵尊石堂です。

このお堂が、願いを叶えてくれるお地蔵様なのですね。

合掌

北向地蔵尊石堂の南は、交通の要衝です。

後日、ここから下の坂を上って、白井城趾に行きました

 

 

大井戸です。

その名のごとく町並みの井戸の中で、一番大きいとあります。

 

ここからも雪の皇海山(すかいざん)が見えます

 

 

少し行くと、ここにも白井城→の表示があります。

ここからだと、白井城跡の神明宮に行くようです。

 

白井の万葉歌碑ですって

利根川の 川瀬も知らず 直渡り 波に逢ふのす 逢える君かも

 

この歌は、白井付近の利根川が舞台だったんですか

石にこの歌が刻まれています。

もちろん利根川の川瀬にあった石でしょう

 

黄色い八重桜の咲き始めています

 

 

羅漢水の井戸です。

町並み中3番目に古いとあります。

羅漢水供養塔、確認してきませんでした

でも、井戸の向こうに見えるあの塔ですね。

「羅漢水」の文字と、「施主下之町」の文字があります。

 

 

もう少しで、白井宿の南端のようです。

でも、同行者が帰ろうと主張します。

やむなく、ここからUターンです

 

行きには気づかなかった「白井宿のマンホールの蓋」があります

 

この日光江戸道の道しるべも、帰り道に気づきました

日光・江戸に通じていたという事に、こだわりがありそうです。

でも、日光方面はどこから東に向かうのだろう?

もしかして、これから帰る道?

赤城南面を通って、日光裏街道(大胡道)の板橋宿の付近を通ります

 

咲き始めの八重桜でしたけど、大満足の白井宿(しろいじゅく)でした

花は盛りにのみ見るものかは(桜の花は満開の時だけを見るものだろうか?いや、そんなことはない。それ以外の時でも、なかなかいいもんだ。)

 

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白柴タバサちゃんの新里ミニパワースポット巡り

2021-04-22 16:23:47 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場のヤギさんに逢いに行きました。

ヤギさん、いるかな?

ヤギパパさん、おはよう

あれ、サマーカットしたかな?

みんな換毛期だね。

奥のハウスの陰から、白いボクが顔を出してきます。

無事だったね、よかった

又来るよ、バイバイ

 

 

 

今日は、常広寺にお墓のお花を取り替えに行きます。

おかあさんが庭の花をカットしてくると、タバサねーちゃんが「アタチも行く」と催促です。

じゃあ、一緒に行こう。

開基・本橋院殿の供養塔、お隣の六地蔵、そして我が家のお墓、お花を取り替えます。

 

墓地の一角に、苔むした六地蔵幢があります。

お地蔵様のお顔もちゃんと残ってます

ご近所になりました、よろしくお願いします。

合掌

 

ここは、常広寺の一番奥の墓地で、山上城の縄張り図では、笹郭という場所です。

歴代住職の墓標もたくさんあります。

常広寺は、創建以来400年、無住ということがなかったのですね

和尚さんの墓標が、実にたくさんあります

 

タバちゃんは、笹郭の下で待機でした

おまちどおさま。

1人で待ってて心細かったね。

お天気がいいから、ドライブして帰ろう

 

 

久しぶりに、山上多重の塔に行ってみます。

何も花はありません。

説明板が新しくなりました

設置者に、文化庁、群馬県教育委員会、桐生市教育委員会の名があります。

過去の一時期に、国宝だったこともあるそうです

ちょっとボケボケの画像になってしまいました

ごめんなさい。

要するに、如法経を納めた仏塔で、塔身に3段に文字が刻まれているのです。

朝廷や衆生のため、小師道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで、無間の苦難より救われ、安楽を得て彼岸に行ける

 

僧・道輪(どうりん)は、天台宗の東国伝導教団との関係が言われています

また、朝廷の蝦夷征伐の兵士として、東国の若者が動員されていったことも、背景にあるとも指摘されています

 

何となく文字がありそうですけど、はっきりとは分かりません

 

クンクン、何じゃろう

タバちゃん、笑顔が戻りました

 

あれ、北東に見えるあの山は、お昼山です

新田の老人達が、畑にいても、お昼になるとV字形の下に影が出て、時計いらずだったという山です

足尾山地の皇海山です

あの山の麓には、かつて根利山という、足を銅山に木材を供給する集落が40年間だけ存在したということです。

 

お堂の東になにやら石造物があります

地元の人によると、「歯仏様(はぼとけさま)」だそうです。

子どもの抜けた乳歯をお供えして、すこやかな成長を願ったそうです。

手前は、灯籠かなにかだったかな?

文字が見える様な気もします。

新里村ですから、村誌編纂の時にも未調査でしょう。

でも、「はぼとけ様」という名称は伝わっています。

多重の塔が建立されてから1200年、それなりのパワースポットであり続けたのです

 

 

さあ、北に進路を取り、百足鳥居(むかでとりい)も、寄っていこう

 

 

ここは駐車場はなく、路上駐車です

赤城山の額も、説明板も、南からだでないと見えません

すぐ南は、大げさに言えば断崖絶壁です

百足鳥居は、赤城山へ登る東南麓の参道として、天明2年(1782)に建てられた。

 

赤城山への参道、赤城神社ヘの参道ではありませんね

赤城山、山自体がご神体ということでしょうか?

今日は百足がよく見えます。

 

元気なタバサちゃんです

 

鳥居の裏から、かつての参道を探します。

やっぱり、あの左の細道が、鳥居の下を通っていたのかな?

 

北側はこの道かな?

何となく、小沼の辺りに上って行けそうだけど

 

あれ、もうお昼だ

みんなが待ってるから、急いで帰りましょう

 

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花は盛りにのみ見るものかは 2(八重桜の白井宿・その2)

2021-04-21 21:40:31 | 北毛紀行

晴れて暖かい朝です

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出ます。

獅子くんは、道ばたのアブラナに上手に食い付きました

ほんとうにアブラナが好きなんだね

 

ひめちゃんちにも、牡丹の花が咲き始めています。

数年前、新田の大慶寺・牡丹祭りで購入してきた牡丹です。

今年も元気に咲いてくれます

 

 

白井宿、南に歩き続けます。

今回は薬師の湯から日光・江戸道の道しるべまでです

 

薬師の湯です。

江戸初期である寛永元年(1624)頃、岡上代官の命により掘られ、涸れたことがないと言われ、町並みの多くの家で使用している。

まだ現役なんですね

岡上代官ですか

でも、あの有名な代官岡上景能は、寛政6年(1629)ころの生まれのようです。

誰だろう?

養父の代官かな?

 

完成間際、底に光るものがある。目もまばゆいような虎にまたがっている薬師如来像である。こんなことは百年に一度とないおめでたいことだと虎薬師と名付けてお堂を建てた。

そうだったんですか

 

格子の隙間から失礼します。

合掌

 

左手の石塔は、蚕神の供養塔です。

木立の影のこの方は、どなたかな?

まあ、とにかく合掌

 

虎薬師を過ぎると、交差点です。

北遺構、東遺構の文字があります。

そのうちのに、交差する通りも歩いてみましょう

 

力石です

白井の力石です

力自慢を競うもので、昭和12から3年頃まで使われていた。

この石を持ち上げられるのは、当寺でも10人中2、3人程度で、力だけでなく技術も必要であった。

 

力石って、けっこうあちこちにあるんですね

「力だけでなく技術も必要」なんですね

灯籠の向こう、桜の木の下に力石はあります。

 

八軒町の井戸です。

八軒での管理ですか

 

付近の案内図です。

現在地は、上にのぼる2番目の坂・観音坂の付近です。

 

坂を過ごすと、堯恵の歌碑があります。

京都の修験僧堯恵法師は、北国紀行の道すがら、越後から三国峠を越えて関東に入り、文明18年(1486)年9月9日、菊の節句の日に白井城に入った。時に白井城に駐留していたのは関東管領上杉顕定支援のため、越後の軍兵を率いて越山していた上杉定昌である。~(中略)~9月13日夜に、風流な歌の会催され、列席した堯恵は「月と共に神を詠む」と題した歌を詠んだ。

堯恵法師は、修験僧だったんですか

歌が詠めるって、大切な才能で、外交手段だったんですね

 

道の東側には、土蔵造りの町並みです。

 

上之町の井戸です。

 

八重桜がきれいです

咲き始めだけど、いい感じです

向こうに見える土蔵は、数年前に寄った事があります。

たしか桐生出身の女性が、喫茶店をやっていたように記憶しています。

時節柄声を掛けずに、通過です。

 

少し行くと、道の西側には、草津道ですって

この坂を上ってずーっと行くと、草津に行くんだ

ここは、交通の要衝です。

土蔵造りの家並み、堯恵の歌碑、上之町の井戸、通ってきました

あれ、日光・江戸道ですって

南が日光・江戸道なのです。

南に行って何処で日光方面にに曲がるんだろう?

 

意外なところで、日光道がありました

 

(つづく)

 

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花は盛りにのみ見るものかは 1(八重桜の白井宿・その1)

2021-04-20 17:42:33 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうを歩いてきました。

影がきれいに出る、よいお天気です

諏訪神社は、オレンジのツツジが満開です。

獅子くん、突然道ばたのアブラナに食い付きました

ひめちゃんは、無関心です。

獅子くん、今朝は張り切ってます

山上の薬師の道を通って帰ります。

菜の花に囲まれた薬師様には会えませんでした

一番奥の石仏は、凝灰岩石仏のようにも見えます。

凝灰岩の阿弥陀仏にも見えます

 

 

 

4月6日、桐生市川内町の東禅寺の八重桜は満開でした。

白井宿の八重桜も、もう咲いているかな?

翌日、気になって出かけてみました。

 

国道353号線・赤城南面道路を西に走ります。

たぶん、旧富士見村の辺りからだと思います。

榛名山の向こうに、雪を頂いた上越の山々です。

 

国道17号線に出て、白井宿の近くです。

雪の皇海山(すかいざん)です。

 

「道の駅こもち」に駐車して歩きます

 

道の駅の一角が公園になってます。

説明板があります。(長いので一部のみです。)

白井宿は 鎌倉時代中期に築かれた白井城の城下町として形成され 廃城後は宿場町市場町としての形態を整えて 沼田街道の終点草津街道の起点という地の利から往来も多く繁栄が続いた

 

水芭蕉が咲いています

 

ちょっと古いですけど、これから歩くところの案内図もあります。

まあ、行ける所まで行ってみましょう

 

白井宿入り口です。

 

振り返って「道の駅こもち」は右側です。

北木戸口です

石宮があって、中に仏様がおいでです。

散策の安全を祈って合掌

 

大きなお地蔵様も、おいでです。

清水下の地蔵尊です。

町に入る通行の人たちの安全を自費の眼で見守ってくれると共に、子育て地蔵として人びとの崇敬を受けた。

合掌

 

道の反対側にも石造物です。

地神(じしん)ですか

春分・秋分に最も近い戊の日を社日というが、この日が田の神と山の神の交代の日で、地神の祭りの日とされていて、土仕事はしない風習があった。白井の新田町でも地神信仰が盛んであったのがわかる。

合掌

 

まだ咲き始めだけれど、でも心和む八重桜です

 

さっそく井戸があります。

新田町の井戸です。

八重桜とのコラボ、いいですね

 

昔々、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは(桜の花は満開だけを、月は満月だけを見るものだろうか?桜は満開でなくとも、月は満月でなくとも、それなりにいいもんだ)」と言った人がいましたね。

そのへそ曲がりのおじさん・兼好法師、若い頃は嫌いでした。

でも最近は、ちょっと親しみを感じるようになりました

彼は「念仏往生には懐疑的であった」と、どこかにありました。

上野国山上の行仙上人とは、異なる思想の持ち主であったようです。

そのうち、『徒然草』も読み返してみましょう

 

満開ではないけれど、十分過ぎるほどきれいな、白井宿の八重桜です

 

 

(つづく)

 

 

 

 

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桜の大間々神明宮・岡登用水の記憶

2021-04-18 18:23:08 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

ひめちゃんの背中に、数日前から毛の薄いところが目立ちました。

昨日辺りから、毛が生え始まったのか、あまり目立たなくなってきました。

もう少して気候が安定したら、動物病院に狂犬病の注射をしに行きます。

様子を見ましょう

2人とも、アブラナを見付けてパクつきます

特に、獅子くん、器用に両手でアブラナを食べます

 

アブラナの後は、岩神沼に到着です。

西風が吹いて、さざ波も立ってます。

 

ひめちゃんたちは、高縄の摩崖仏裏を廻って帰りました。

 

ひめちゃんちに、早くも、ジャーマンアイリスの開花です。

今年第1号です

草むしり、頑張ります

 

 

(4月6日)東禅寺からの帰り、渡良瀬川を渡り、大間々神明宮を通ります。

桜がきれいに咲いています。

何度か見過ごしていますけど、やっぱり寄って行きましょう

せめて陽春のはねたき橋を確認しましょう。

 

駐車場から、鳥居を出て、入りなおします

「境内に犬を連れての散歩はご遠慮ください」ですって

タバサねーちゃんは、お断りだって

でも、初っぱなからあるって、犬づれが多かったのかな?

社号標石は、「惣鎮守皇太神宮」です。

後ろには、「天保15年(1844)甲辰正月吉日 講元小林武兵衛」とあります。

 

桜が花盛りでした。

参道を拝殿に向かいます。

コロナ対応を求めています。

手水社の水槽も塞がれています。

あれ、社務所も閉まってます

御朱印は又の機会ですね。

 

神明宮の由緒があります。

境内地は、伊勢神宮の御厨か大蔵保ですか

「境内末社には、大間々絹市の神、八坂神社がまつられている」んですか

それで大間々祇園(おおままぎおん)が盛んだったのですね

 

拝殿で参拝です。

 

拝殿脇から、鬱蒼とした遊歩道に出ます。

個性的な狛犬です

何様か分かりませんけど、2礼2拍1礼です。

 

岡登用水堀再興の碑です。

このての碑は余り好きではないので、いままでは見過ごしていました。

「岡登用水」って、あの岡登景能が関わっていたのかな

碑文を拡大です。

岡登用水は代官岡上治郎兵衞景能の創設によるものである

この地勢極めて狭く高き自然環境のなかで水田の引水に苦慮する村民の宿望をにない 1669年〈寛文9〉景能は幕府の許可をえて現高津戸橋川下に渡良瀬川より流水の引き入れ口を設け 笠懸村大字鹿に至る一里十二町及び薮塚村に至三十二町におよぶ水路の開鑿工事に着手し 同十二年に竣工したのであるが 水路の開通後種々の支障をきたし廃渠のやむなきにいたったのである。

 

その170年後と明治になってから、旧渠が改修再興されて、役立っているのですね

初めて、真面目に碑文を読みました。

岡上さんごめんなさい

新田生まれの人間には、郷土の偉人にたいするアレルギーがあって、最近まで避けていました。

今は素直に、代官岡上影能の事跡に向き合えるようになりました。

 

裏面も盛りだくさんです。

渡辺崋山筆の鮎も描かれています。

かつては、鮎もいたんですね。

 

はねたき橋が見えてきました

若葉に囲まれたはねたき橋です

今日はここまで、盛りだくさんの一日でした。

またそのうちにゆっくり来ましょう。

 

駐車場に戻って、付近の地図を確認です。

鳥居の向こう側を入ると、はねたき駐車場があるのですね。

こんどは、そちらに駐車してみようかな?

 

あれ、八坂神社は何処だったかな?

今度はちゃんとお参りしましょう

 

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