高校生のとき、部活の先輩から説教をされたことがある。
「ちょっと、何もしないで、いつまでしゃべっているのよ」
「ごめんなさい。これから始めます」
「目上の人間に『ごめんなさい』? 『申し訳ありません』でしょう」
「はあ……」
1年先に生まれたからといって、ずいぶん高飛車なものの言い方である。
少々しゃくにさわり、「申し訳あります」と言ってやりたくなった。
謝罪の言葉にも、バリエーションがある。
「申し訳ありません」は深く謝るとき。もっと丁寧に「申し訳ございません」などと言う人もいる。
「失礼しました」は軽くお詫びするとき。肩が触れた、食事中に音を出したなどの場面で役立つ。
何といっても、一番出番が多いのは「すみません」だろう。道を聞くとき、人にぶつかったときなど、パッと口から飛び出してくる。謝るだけでなく、感謝の気持ちを伝える場面でも活用できて、非常に便利だ。
だが、「すみません」ではなく「すいません」だと思っている人も少なくない。勤務先の高校で、生徒が悪さをした場合は反省文を書かせるのだが、ほとんどの者が「迷惑をかけて、すいませんでした」と書いてくる。
教員だって負けていない。
「オアシス運動とは挨拶の頭文字をとって、おはようございます、ありがとうございます、失礼します、すいません、を日ごろから言えるように心がける活動のことで……」
50代のベテラン、某先生のこんな文章を読み、私は椅子からズリ落ちそうになった。ここでも「すいません」がまかり通っている。日本人は一体どうなってしまったのか?
急に、自分に自信がなくなってきた。
もしかして、私が間違っているの!?
非常に気になり、パソコンで検索してみた。
すると、「すいません」は「すみません」の口語体で、誤りではないらしい。ただし、文章に表すときは、「すみません」としなければならないと書いてあった。
よかった、間違っていなくて。
認識不足で、「申し訳ありません」!
↑
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
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「目上の人間に『ごめんなさい』? 『申し訳ありません』でしょう」
「はあ……」
1年先に生まれたからといって、ずいぶん高飛車なものの言い方である。
少々しゃくにさわり、「申し訳あります」と言ってやりたくなった。
謝罪の言葉にも、バリエーションがある。
「申し訳ありません」は深く謝るとき。もっと丁寧に「申し訳ございません」などと言う人もいる。
「失礼しました」は軽くお詫びするとき。肩が触れた、食事中に音を出したなどの場面で役立つ。
何といっても、一番出番が多いのは「すみません」だろう。道を聞くとき、人にぶつかったときなど、パッと口から飛び出してくる。謝るだけでなく、感謝の気持ちを伝える場面でも活用できて、非常に便利だ。
だが、「すみません」ではなく「すいません」だと思っている人も少なくない。勤務先の高校で、生徒が悪さをした場合は反省文を書かせるのだが、ほとんどの者が「迷惑をかけて、すいませんでした」と書いてくる。
教員だって負けていない。
「オアシス運動とは挨拶の頭文字をとって、おはようございます、ありがとうございます、失礼します、すいません、を日ごろから言えるように心がける活動のことで……」
50代のベテラン、某先生のこんな文章を読み、私は椅子からズリ落ちそうになった。ここでも「すいません」がまかり通っている。日本人は一体どうなってしまったのか?
急に、自分に自信がなくなってきた。
もしかして、私が間違っているの!?
非常に気になり、パソコンで検索してみた。
すると、「すいません」は「すみません」の口語体で、誤りではないらしい。ただし、文章に表すときは、「すみません」としなければならないと書いてあった。
よかった、間違っていなくて。
認識不足で、「申し訳ありません」!
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「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
でも基本的には「すみません」という言葉はあまり好きではありません。
自分自身を考えると、心からごめんなさいと思っていないときに、「すみません」と言っている気がする。
まあ、言っておけばいいかという感じ。
だから「ごめんなさい」の方がいいかな。
教師は専門分野があるとはいえ、50代の先生が「すいません」と「すみません」の違いの認識がなかったというのは意外だね。戦中・戦後で十分に義務教育を受けられなかった70代以上の人でも、そういうのはしっかりしている人は多いから、やはり個人の問題かと思った。
東京に出て行った秋田の青年が普段は完璧な標準語を話しているのに、ある日電車で隣の男の足を踏んでしまい咄嗟に
「いでがたべ!」(痛かったでしょう)。隣の男は「なも!」(大したことなかったです)と答えたとか。
偶然どちらも同県人だったということです。(*^^*)ポッ
龍には触れてはいけない逆鱗が一枚だけあるそうですが、
女房には触れていい鱗が一枚しかありません。探すのが大変・・・(_ _;)…パタリ
なるほど、本当に悪いと思っていないとき、ね。
私もそうかも。
丸く収まるんだから、とりあえず言っとけみたいな感じで(笑)
融通を利かせてくれたときなどは、相手の手間を労って言いますが。
「すまぬ」のほうが申し訳ない気持ちになります。
偉そうだけど。
仕事はできなくてもいいから、きちんと挨拶ができて、愛想よくしゃべれる若者が重宝されているね。
やはり、言葉は大事。
教員といっても、力の差は大きいよ。
中には「よく受かったな!」なんて人もいるくらい。
あとは、難しいことができる割に、簡単なことを知らなかったり。
教えてあげると逆切れされそう(笑)
亡き祖父が岩手出身でした。
言葉が半分ほどしかわからず、てきとうに受け答えしていました。
私への評価は「ハッキリしない子だな」(笑)
まあ、祖父との会話なんて、どうでもよかったんですよ。
「なも」というのは、「なんもない」の意味なんでしょうか。
名古屋弁は、語尾につくんじゃなかったかな…。
私もついついすいませんって言ってしまってるかも。これからはすみませんって言うようにしよう。
横浜市民の私に、日常、いでがたべとは言いませんが、
秋田県の県境を超えた途端に、なぜか車内は秋田弁が幅を利かせます。
単語はどれでもいいから、口をちゃんと開けてしゃべりなさい!といつも思います。
さて。
すいません、では謝られた気がしませんね。
ごめんなさいも、親しい間のプライベートな問題だけ。
この言語感覚が伝えられないと、日本語の豊かさがすたれるような危機感を覚えます。
先日、若者と話をしていたら、
「全然大丈夫です!」(おいおい、全然は否定語と呼応するのだ!)
「あんまり、嫌い!」(あんまりも否定語と呼応するのだ!)
同席していた同年代と、日本語の未来につて嘆きまくったのでした。
仕事以外、申し訳ありませんの出番がないのは、こちらも同じです。
身内には使いませんもの(笑)
やはり、どうしても「すみません」になりますよね。
せめて美しく言いたいですね。
片割れ月さんは、よく地元ネタをご披露します。
さらに面白いことが見つかるかも。
女性の訪問は大歓迎ですから、お時間のあるときにお出かけくださいませ。
若者の言葉は「すいません」どころの騒ぎじゃありませんよね。
「くっそ寒い」「だいじょばない(大丈夫じゃない)」「(電車の遅れに対して)○○線死ねよ!」など、品がなかったり攻撃的だったり、意味不明だったり。
まあ、世の中も変わっていますからね。
「あんまりキライ」も、彼らの中では通じてしまうのでしょう。
たまに、高校生同士でも意味の分からない語を話す子がいるようですが(笑)