新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

馬鹿者よ!

2019-07-29 12:32:30 | 論理





馬鹿者よ!では、丁寧過ぎる、
馬鹿野郎よ!と書く事にする。

このような言葉で表現された私の認識は?
以下である!

自由びとは、馬と鹿は違う、と説いている…
游士くんは、馬も鹿も同じ、動物・哺乳類と反論。

その反論を自由びとが補足したら、
以下のような~

自由びとは、「どうしようもない頭の人間…」
というコメントを寄越した。


ここでの「馬と鹿は違う」を「馬も鹿も同じ動物(哺乳類)」とする
游士くん認識が、馬鹿野郎!認識でなのある。

確かに、この「馬も鹿も動物・哺乳類」は正しい…
しかし、それでも、時には間違いにもなり得る。

同じ動物なら、馬刺の代りに鹿刺を喜んで食べるか?
長距離の移動を馬ではなく、鹿にするだろうか?
誰だって、馬か鹿かと言われれば、馬だろう。
馬も鹿も同じ哺乳類だから、俺は馬に乗る…だろうか?
もっとも…試しに乗ってみよう~なんて事もあり得るが…

なんて…例えでは、この論理は分かり難いだろうから…
以下に、今回の具体的事実を提示して、解説してみよう。


もっとも…
コメント主である馬鹿野郎!認識の
游士くんには全く理解不能だろうが…






それは、以下のコメントである。





▼ コメント ▼ コメント ────

・コメントが届いた記事
~考える~

・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/0f875080119ac9b8018cbceff982314b

・コメントを書いた人

游士

・コメント
自由びと氏

お宅の今回のコメントを読んでつくづく感じたのが「どうしようもない頭の人間は実際にいる」ということ。

人それぞれ考えが違い個性があるのは当然ですが、どういう育ち方をすればお宅のような思考になるのか皆目もって分かりませんね。

多分、義務教育の中身に大差はないと思いますし大学教育の水準もそんなタワケた頭を育むようにはなってないはずですから、突然変異なのか何なのか?


▲──── ────




游士くんが
>今回のコメントを読んでつくづく感じたのが…<
と書いている


上記の感想は以下の
自由びとコメントに対するモノ。

↓~


▼ コメント ────


・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/0f875080119ac9b8018cbceff982314b

・コメントを書いた人
自由びと

・コメント
なかなか上出来、お宅にしては…

游士君へ


今回のコメントは、お宅にしては、上出来ですね。
それは、お宅の個人的見解・経験・体験の記述ではないから?

それでも、状況・分析・判不足なので…
以下のように補足をさせて頂きます。

>筋肉を働かせて身体運動するわけですから当然に交感神経は働かされるんだと思うんですが、それが癌に良いらしい…?

己の必要性から己の頭脳を駆使して、身体的対応する場合の「交感神経」への刺激と
他人・天寿堂氏の鍼灸治療過程での、他者的・直接的な「交感神経」への刺激…
の区別と連関。


>筋肉を働かせて身体運動するわけですから当然に交感神経は働かされるんだと思うんですが、それが癌に良いらしい…?

己の頭脳・意志なら、骨も筋肉も神経も…同時一体的連動可能。

しかし…他人での鍼灸では、神経への直接的刺激ですから、
しかも、座ったり、寝たりしている状態です刺激です。

そこに、筋肉・骨への神経的刺激・命令はあっても、
身体の運動はなし、筋肉も骨も内臓も…動かす必要性なし、

これは、交感神経は、働いていて興奮…でも、
神経以外の実体・身体的な要求はなしで不動、
動かない・動かせない…状態です。


これって、どうなの?
身体的健康な人達なら、交感神経の命令・要求も、
全身・身体的不動状態でも、それなりに耐えられても…

病人、人工透析や癌患者には、非常なストレスなのでは?


それは、
身体的健康体での局部的な不具合での交感神経への刺激と、
身体的病気体での局部への交感神経への刺激
の区別と連関、です。


>…そうした身体運動というのは交感神経とかの部分的な活動でなくて個体全体のシステム稼働なんですかね?

その通りです。
人間は、外界・周囲・自分の置かれた立場・状況の感覚・判断から、
全身・一体的対応・反応の為に交感神経が働き、
急発進・急停止・激怒・号泣…なのです。


でも…鍼灸治療過程での、座ったり・寝たり状態での
鍼灸による交感神経への直接的刺激では、神経の命令はあっても、
全身・身体的反応・運動は不可能なのです。

それは、交感神経の命令実施不能的なストレスなのでしょうね。

そう~「ストレスについて」は、
ここ最近よく、想い・思い、考えたりしています。

▲──── ────


更に、
上記の自由びとコメントは以下の
游士コメントへのレスである。


▼ コメント ────

・コメントが届いた記事
~考える~

・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/0f875080119ac9b8018cbceff982314b

・コメントを書いた人
游士

・コメント
自由びと氏

私の投稿の一部を故意に非公開にしているのは残念に思います。

私は天寿堂さんの発言にも余り説得力というものが感じられないなとは思うわけですが実際の患者さんの回復や悪化は術者の発言の説得力とは別のところで成立したりもすると思いますから天寿堂さんの施術が明確にダメだなんて言えないような気持ちなんですね。
言うならばヒトラーの演説の説得力に騙されてドイツが大変な事態に向かっていったように…。

さっき欧州臨床腫瘍学会なんてものの記事を見つけましてね、「すべてのガン患者は1日60分の運動をすると改善に向かう」なんてことが書かれていました。
食事と運動と睡眠なんて健康のための三原則として小学生でも知っていることですが、それは癌患者にも当てはまる、みたいな記事ですよ。
筋肉を働かせて身体運動するわけですから当然に交感神経は働かされるんだと思うんですが、それが癌に良いらしい…?
東洋医学なんかでも古くから導引といって運動療法は推奨されてきたみたいですが、そうした身体運動というのは交感神経とかの部分的な活動でなくて個体全体のシステム稼働なんですかね?
治療の世界にももしかしたなら「1+1=2にならない」なんて現実があるのかも知れませんね。


▲──── ────

では~
馬鹿野郎!認識を「馬と鹿」からの解説でなく…
上記のコメント内容から解説してみる事にする。


元々は、記事「~考える~」は、
癌とは? 交感神経とは?を
~考えて~みたモノである。


それを、上記のコメントでは、
交感神経と癌の関係性について敷衍させている。


確かに、「交感神経の活性化・刺激」としては、
全力疾走も鍼灸治療も同じモノ・刺激である。

でも、その手段は「間接的と直接的」と違っている。

ここでの交感神経とは人体内の生きた神経である。
その交感神経の役割は、全力疾走なら、
その事を可能・持続する為の全身への神経伝達・命令である。
そこには、その刺激に対応した身体・内臓…活動があり得る。

一方、鍼灸治療ではどうか?
先ずは、治療を受ける人物の全身の状態・様子である。
健康体or病気体? 持病のあるなし…
治療目的の相違―内臓疾患、腰痛、肩こり…

個々の違いはあっても、座った状態か横になった状態での鍼灸であろう。
まさか、走りながらの鍼灸は有り得ない。


そんな状態での鍼灸による、
直接的な交感神経の刺激・活性化は、非常に不自然である。
そんな不自然な刺激が身体によい訳がない。


>さっき欧州臨床腫瘍学会なんてものの記事を見つけましてね、「すべてのガン患者は1日60分の運動をすると改善に向かう」なんてことが書かれていました。

この游士コメントから察して、彼の馬鹿野郎!認識は以下だろう。
運動が癌によい!
運動すると交感神経が活性化する!
交感神経の活性化は癌によい!


そう~
ここに、「交感神経の活性化の方法・手段」考察がない。
これを短絡的思考と言うのだろう。

そもそも、その「運動」にしても、
その癌患者の体力・状態に合わせた強度だろうし…

癌患者に「全力疾走」なんてさせたら…
とんでもない医療過誤で訴訟モノであろう。


普通の人が、「昔とった杵柄」なんて認識で、
現在の自己の体力・状態を考慮・視もせず
準備体操なしで、全力疾走したら…
そく、転倒・大怪我・心臓麻痺…
なんて日常茶飯事的にあり得る事でょう。


このような自分の現状・能力…を
知ろう・視よう、しない游士くんだから…

と言うか…
己を、視ようにも…知ろうにも…
游士くんには、無理無理なのは、明白な事実であろうが…

己の馬鹿野郎!認識か見えず…
自由びとを……


そう~
そんな己を知らない游士くんだから、
自由びとを
「どうしようもない頭の人間は実際にいる」
なんて公言できる。

しかし、これは、
游士馬鹿野郎!認識が、自由びとコメントに投影されたモノ。
游士くんは、自由びと言説に游士自身の認識を感じ取っている。のだろう。


もっとも…
自由びとが、
自由びとの馬鹿者!認識を游士コメントに投影しているかもしれないが…


上記のこのような~
「相手⇒自分⇔自分⇒相手」が、
「対立物の統一」⇔「対立物の相互浸透」であろう。

もっとも…私の場合の、
こごての「統一」と「浸透」の「対立物」は
「南郷理論」であり、弁証法・認識論・学問・哲学…である。

端的には、
游士くんの相手をしているのは手段。
私の目的達成の為の手段である。

それでも…
結果的に、
私のソクラテス化も避け難い事実であろうが…

そう、
全体的な前進・進化の為には、
局部的な後退・退化の犠牲もあり得るモノ。






















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