~これからここで始まる「自由びと物語」~
「これからここで」と「ここでこれから」の違いは?
「このブログ場所が重要か?」or「今この時が重要か?」
「先に書いた方が重要か?」or「後に書いた方が重要か?」
結局は~
~「これからここで・ここでこれから」「始める・始まる」わたし・自由びとの物語~
因みに、
ドラマと物語の違いは、
ドラマは「フィクション」。
物語は、ノンフィクションもある…そうである…
↑
前回の検索だと↑だったのに…再度検索したら、
「ドラマと物語の違いは、ドラマは、ドラマならではの要素や設定、演出が採用されている。
これは、ある事実に対して「要素・設定・演出」が入るなら、
「それは、元は事実でも、ドラマ化されたらフィクション」。
真実の物語に、要素・設定・演出…がないなら「ノンフィクション」。と言う訳だろう。
真実の物語でも、要素・設定・演出に拘ったなら「フィクション」。
まあ~
上記のような「自由びと事・わたし事」を書きつつ、
その変化・運動性を自覚・認識する事で、
それらを「わたし自由びと学問」に仕立てられたらラッキー♪♪♪
さて~何故に「わたし学」なのか?
それは、家内が「五ヶ月ではない半年」の医者からの余命宣告を受けた時…
彼女が始めた「終活」ノートを少し読んだからである。
今から再度丁寧に読みここに書くなら、
以下のような記述~を読んだから~
↓↓↓
しゅうかつ を 考えなくてはいけなくなった。
こんなに唐突に
なんかだか魂が浮遊している~
何がいけなかったと
考えるのはよそう
免疫機能は強い方
つとめて笑顔で
カラオケやマッサージ、グルメで
ストレスもなし…
ま、よそう
心残りはいろいろあるけど
あきらめ きれないものはない
いろいろ先のばしにしてきたことが
今となっては くやまれる
8、22
この前の数ページには、
過去の生育・成長…過程が箇条書きに書かれている。
それらの次のページ、上記の「8、22」の前ページには、
皆さんのおかげで
ここまで生きてきました
ほんとうにありがとう!!
今ここに、息子の家内への手紙が挟まっていた(私が挟んだのを忘れていた…)
ままへ
1~5歳の話聞けて嬉しかった。なんか手のかかる子どもだったらしいね。
育ててくれて、何より産んでくれてありがとう。
こんな幸せな人生を送れてとても感謝している。
優しいところ、我慢強くて努力家なところとか実は尊敬、
親と二人で
カフェとか買い物とかに行っている友達って
けっこう少なくて、いつも自慢してた。
親子だけど友達みたいに
話せたりしてめっちゃ楽しい。
すごくいい親子だと思う。
できる限り一緒に思い出を振り返りたいね。
育ててもらった恩返しがまだできない、 ま〇
↑の下にもう一枚!
私は「一枚だけ!」と問い掛け、「一枚」だと思い込んでいた。
どうやら…それが先の手紙だった、ようだ!
ママへ
突然のことで、ママが一番ショックを受けていると思う。気付けなくてごめん。
退院したら普通に買い物行ったり、テレビ見たり、ファミレス行ったりしたいね。
日常のありがたさをすごい実感している。
今日もご飯つくったんだけど、ママに食べてほしい。美味しく作るから。
いつも優しくしてくれてありがとう。
口では大したこと言えなくけど、本当に感謝にしている。
面会はできない(コロナ流行で禁止)かわりに、お家で2人+2匹で待っている。
2022 7 28
もう一冊の別ノートには~
2019 4 10 (まだ平成31年)、最近 むかしのちょっとしたことをふいに思い出す、脳の引き出しがさびつく前に書いておこうと思う
これって…以前、読んだ時から「終活」か、と思い込んでいたが…
実は、違っていた!
この間違いも、私の「問い掛け間違い」、
家内が元気な時に、読んでいたら、絶対に起きない「問い掛け」ミス!
さてさて…以上のような感じで、今日から、今から、このブログで
テーマ・「わたし自由びと事」から「わたし自由びと学」~初めての始まり・始まり」
略して「わたし事・学」かな…
「これからここで」と「ここでこれから」の違いは?
「このブログ場所が重要か?」or「今この時が重要か?」
「先に書いた方が重要か?」or「後に書いた方が重要か?」
結局は~
~「これからここで・ここでこれから」「始める・始まる」わたし・自由びとの物語~
因みに、
ドラマと物語の違いは、
ドラマは「フィクション」。
物語は、ノンフィクションもある…そうである…
↑
前回の検索だと↑だったのに…再度検索したら、
「ドラマと物語の違いは、ドラマは、ドラマならではの要素や設定、演出が採用されている。
これは、ある事実に対して「要素・設定・演出」が入るなら、
「それは、元は事実でも、ドラマ化されたらフィクション」。
真実の物語に、要素・設定・演出…がないなら「ノンフィクション」。と言う訳だろう。
真実の物語でも、要素・設定・演出に拘ったなら「フィクション」。
まあ~
上記のような「自由びと事・わたし事」を書きつつ、
その変化・運動性を自覚・認識する事で、
それらを「わたし自由びと学問」に仕立てられたらラッキー♪♪♪
さて~何故に「わたし学」なのか?
それは、家内が「五ヶ月ではない半年」の医者からの余命宣告を受けた時…
彼女が始めた「終活」ノートを少し読んだからである。
今から再度丁寧に読みここに書くなら、
以下のような記述~を読んだから~
↓↓↓
しゅうかつ を 考えなくてはいけなくなった。
こんなに唐突に
なんかだか魂が浮遊している~
何がいけなかったと
考えるのはよそう
免疫機能は強い方
つとめて笑顔で
カラオケやマッサージ、グルメで
ストレスもなし…
ま、よそう
心残りはいろいろあるけど
あきらめ きれないものはない
いろいろ先のばしにしてきたことが
今となっては くやまれる
8、22
この前の数ページには、
過去の生育・成長…過程が箇条書きに書かれている。
それらの次のページ、上記の「8、22」の前ページには、
皆さんのおかげで
ここまで生きてきました
ほんとうにありがとう!!
今ここに、息子の家内への手紙が挟まっていた(私が挟んだのを忘れていた…)
ままへ
1~5歳の話聞けて嬉しかった。なんか手のかかる子どもだったらしいね。
育ててくれて、何より産んでくれてありがとう。
こんな幸せな人生を送れてとても感謝している。
優しいところ、我慢強くて努力家なところとか実は尊敬、
親と二人で
カフェとか買い物とかに行っている友達って
けっこう少なくて、いつも自慢してた。
親子だけど友達みたいに
話せたりしてめっちゃ楽しい。
すごくいい親子だと思う。
できる限り一緒に思い出を振り返りたいね。
育ててもらった恩返しがまだできない、 ま〇
↑の下にもう一枚!
私は「一枚だけ!」と問い掛け、「一枚」だと思い込んでいた。
どうやら…それが先の手紙だった、ようだ!
ママへ
突然のことで、ママが一番ショックを受けていると思う。気付けなくてごめん。
退院したら普通に買い物行ったり、テレビ見たり、ファミレス行ったりしたいね。
日常のありがたさをすごい実感している。
今日もご飯つくったんだけど、ママに食べてほしい。美味しく作るから。
いつも優しくしてくれてありがとう。
口では大したこと言えなくけど、本当に感謝にしている。
面会はできない(コロナ流行で禁止)かわりに、お家で2人+2匹で待っている。
2022 7 28
もう一冊の別ノートには~
2019 4 10 (まだ平成31年)、最近 むかしのちょっとしたことをふいに思い出す、脳の引き出しがさびつく前に書いておこうと思う
これって…以前、読んだ時から「終活」か、と思い込んでいたが…
実は、違っていた!
この間違いも、私の「問い掛け間違い」、
家内が元気な時に、読んでいたら、絶対に起きない「問い掛け」ミス!
さてさて…以上のような感じで、今日から、今から、このブログで
テーマ・「わたし自由びと事」から「わたし自由びと学」~初めての始まり・始まり」
略して「わたし事・学」かな…