変化とは何か?
それは実体の機能。
変化するのは何?
それは実体の状態=実態である。
実体は変化しない。
実態も変化しない。
その瞬間の実態は一つ、
でも、次の瞬間の実態と比べた時、
変化している。
同じ対象の実体と実態を比べた時、
そこに実体の変化した実態がある。
それは、例えば、動物である。
猫は、日々成長・変化している。
また、瞬間・瞬間の状態も変化している。
それでも、猫は死ぬまで猫である事に変わりない。
それは、猫の本能は猫であるから、
猫は猫として生き・死んでいくから。
それでも、猫が猫とし視てて取れないなら…
それは変化は変化ではなく、唯の別物となり得る。
人間も、人間として生き死んでいく。
人間も人間として日々生活・変化できても、
人間以外のモノに変化は絶対できない。
人間が人間以外のモノに変化するのは、
死んだ時であり、人間ではなくなった時である。
人間は、
生きているから人間であり、
死んだら物体となってしまう。
人間は死んだら物体である。
それでも、
他人の観念の中では人間である。
眼前にある父の遺体は物体である。
それでも、
その物体は私の認識の中では人間・父である。
眼前の母・父の生前の写真はただの物体である。
それでも、写真の中の父・母は、私の認識の中では人間である。
物体は物体であり変化しない。
でも、
そんな物体でも人間の認識内では変化・生物化可能。
同じモノであっても、同時に違うモノへと変化できる。
ペットの犬は犬でも、
ある人にとってはペットではなく、家族となり得る。
変化は、
「ある」のではなく、
人が「視て取る」モノ。
変化を視て取れない人には変化はないモノ。
変化を見て取れる人にだけに変化はある。
初めて会った人の変化は視て取れない。
でも、昨日会った人の今日の変化は視て取れる。
それでも、
昨日に髪を切った人の今日の変化は、
昨日の髪型の記憶がないなら視て取れない。
変化を見て取れる人は、
変化するモノと同時に変化しないモノを視れていれるのである。
実体と実態を視て取れなら、
全ての変化を視て取れるだろう~