月研ぎさん~
なかなか思い通りモノが浮かばず、考え出せず…
結構、考え悩み続けていました。
でも、ようやく、
それなりに納得できるモノが書けそうなので書いてみました。
月研ぎさんから、以前に頂いた以下の宿題について
せっかく自由びとさんが「教育」を
整理して列挙してくれたのですから、
その一つ一つのそして多重化する
具体的な過程(的構造)
を掘り下げてみませんか。
1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育
例えば、1)の過程で言うと、
教師と学生の間はあまりに
実力の相違という距離があるので、
一方向的になりがちですが、
教師と学生の間に日常よくある
「先輩」をはさみます、
すると途端に
1)と2)と3)と4)が重なり多重化します。
つまり、「距離」という概念で
教師と先輩と学生が相対化されます。
学生からは遠い教師像が
先輩からのより近い教師像を介して
学生により鮮明な教師像が描かれ、
教師は、その学生の距離の変化で、
学生像が更新される。
自由びとさんの展開
楽しみにしています。
ずっと時々考えていました。
教師と児童の実力は?
その差である「距離」とは?
その「距離」の知縮め方は?
距離が縮めるとは?
そこで具体的な算数の授業を思い浮かべた。
先ずは数の概念を教える。
その為に、物の概念…
そこでは、物の数え方は、
一つ、二つ、三つ…であり、
決して、
一人、二人…一匹、二匹…ではない事。
そして気付いた・思い浮かんだ~
学校教育において、
教師と児童の間に「教材」が置かれている。
そして、教師には「教育指導要綱」と手引きがある。
その教員の実力を考える時、
その人物の
① 人間的実力と
② 教師的実力 の二重化で考える事で、
「距離」を縮める為の手引きとなり得る。
教師は、
人間力と教師力の養成・強化が距離を縮める方法である。
教師力には、教材知識と教育力に分けられ、
教育力には、人間一般の認識力と個別の人間理解力、
現実のクラス対応では、
先ずは、教材を確り自分のモノする努力。
次に、対象学年の一般的成長・発達段階を認識する努力。
そして、一人一人の成長・発達段階を認識する努力。
更に、クラスの集団力の現状の把握の努力。
教育力の土台に強力な人間力・人間性が求められる。
人間力と人間性の土台が科学的正しい「人間」理解である。
その教師の人間的実力を児童に近づける為に
「教材」・「教育指導要綱」を学び使い。
日々の授業目標と個々の児童の距離を縮める為に、
教材研究・工夫を行い。
その日に教えた目標との距離を縮める為に
教師の個別指導や同級生のミニ先生指導がある。
もう少し全体的抽象的に書くなら、
算数を教える目的は「数学的概念」の把握であろう。
だから、教師自身が「数学的概念」の把握を目指す。
その為に、過去に学んだ自分の「数学的概念」の認識レベルの自覚が求められよう。
更に書くなら、教員は「己の現状レベルを識る」必要がある。
それは、心理・感情認識、知識・概念認識、体力・実行力認識…
苦悩する事無く、正しく人を教えるには、
先ずは、「己自身の全てを識る」努力が求められる。
そして、「人間を識る」努力もであろう。
そうそう最後に教育全体に必要な事は~
「学ぶとは真似る」とも言われていて、
「形・型」を覚える。
「形・形」に慣れる。
「型・形の使い方」を覚える。
「形・型の使い方」に慣れる。
「形・型」を使って問題を解く。
だから、教師は、児童が素直に、
教師の話・指導を聴けるよう躾ける必要がある。
この躾が、現在の学校教育では至難である。
過去では、家庭で徹底的に出来ていた
「先生の言う事を聴く」が現在の学校では「?」である。
以上が、
月研ぎさんの宿題への取り敢えずの提出物です。
もっと突っ込んで頂けたら、
より深く掘り下げられるかも「?」です。
そうそう
1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育
これらも、
人間力の指導、
教育力の指導、
学ぶ力の指導、
学力の強化指導、
と分けて、教材・目標設定を的確にすれば…
もっとも「教育力の指導」は学生には不要ですが…
それでも、他人を教える過程で教育力は自然成長的に付くモノです。