発達障害とは、感情の発達障害。
人的な感情から人間的な感情への発達過程での障害。
人的な感情とは、動物的な感情。
それは、周囲の事を考えない自己中的な感情。
人間的な感情とは、社会的・集団的な感情。
それは、周囲の人達への気遣いを持った・含んだ感情。
その感情は、主に零歳から三歳までの間に発達する。
動物でもある人間が、動物的な人的な感情で、
どんな不都合があるのか?
人間以外の動物なら、その動物特有の本能がある。
なので、何も思わず・考えず感情?のまま行動しても、
その種としては何の不都合もない。
しかし、残念ながら、
人間には、
人間としての人生に必要な行動様式を可能にする
本能はない。
その人間としての人生を生きる為の行動様式は、
生後の教育によって、体得していくモノ、である。
その「行動様式」体得の為に必要不可欠な感情とは?
それは、
「変化に耐えられる」
「変化を嫌がらない」、
「変化を受け入れられる」、
「変化を受け入れる」、
「変化を喜ぶ」
「変化を喜んで受け入れる」…
このような感情・認識である。
ならば、感情の発達障害を起こさない為の、
零歳から三歳までの生活とは?
私の場合は、息子が生まれてから、育児書を読み
そこに書かれていた、「なるべく外へ連れて行く」…を実践した。
それは、歩けない息子を
抱っこ紐で抱いて時間があれば、
近くの多摩川・公園に散歩に行った。
当時、塾の講師をしていた私には、昼間結構時間があり、
まめに散歩へ抱きかかえて行った。
歩けるようになったら、今度は、
石がゴロゴロしている多摩川沿いの散歩へ連れ出していた。
また、マンションの二階から一階の階段で、ボールポン遊びを
よくしていた。
今、振り返ると、これらの息子との関わりが、とても良かったようだ。
その為だろうか?
今の息子は、スポーツも学業成績も非常に優秀である。
さて、人間にとっての人生を考えると、
それは「一寸先は闇」であり、
何が起こるか分からないモノ。
人生・生活は「変化」の連続である。
そんな人生を過去から現在まで人類は、
文明で、変化の少ない環境創りの為の機械を
文化で、変化を乗り越える為の手段・認識を創出してきた。
それでも、
自然の変化、
社会の変化、
人々の精神の変化は、
どんなに快適に変化の少ない生活・環境を求めても、
変化・変化は永遠に続くモノである。
だから、そんな変化に耐えられる認識・感情の養成・教育が必要である。
過去の大家族・兄弟たくさんの時代は、変化が激しかった。
また、貧しい時代は、少ないモノで工夫・変化させての生活が普通であった。
発達障害は、変化の少ない・恵まれた
零歳から三歳の生活過程で発生する、のだろう。
その過程で、突然に強烈な嫌な変化を強いられた結果、
変化から逃げる感情を慮質転化してしまった。
それは、
嫌だから嫌だ!
嫌なモノは食べない!やらない!…
そんな感情であろう。
では、
そのように慮質転化化されてしまった
感情を変化・変える方法や如何に?