新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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悪しき相互浸透とは?

2019-06-08 11:29:11 | 言葉・概念


ここで、「悪しき相互浸透を考える」なら、
そこは、「善き相互浸透を考える」必要があろう。

その理由は、
「考える」とは、「思っている像」を動かす事であるから、
動かす事は、変化・運動をさせる事。
変化・運動させるには、動力が必要であり、
その動力が、対象の二重化であり、
この場合は「悪しき」に対して「善き」となるから…


悪しきも善きも、事実ではない。
もともと、「悪しき・善きモノコト」がある訳ではなく、
人があるモノコトに「悪しき・善き」と感じているだけである。


言うなれば、その人にとっての「悪しき・善き」であり、
その組織・社会での「悪しき・善き」である。

ここで具体的に、
私にとっての「悪しき相互浸透」と「善き相互浸透」を考えるなら~

例えば、夜更かしを避けたい、早寝をしたい今の私にとって
「パソコンのフリーセルゲーム」を始める事は悪しき事である。
その理由は、夢中になって、なかなか就寝しないからである。

そのフリーセルに夢中になってしまう理由は、
ここ何年もトライの結果とても上達して、
今は、思い通りにクリアー可能になり、
楽しくて止められなくなったから。


もともとは、
暇つぶし退屈しのぎで始めたフリーセルであったが…
今は、クリアーする快感を求めて止められなくなってしまっている。


初めは、「退屈しのぎ・暇つぶし」だったフリーセルが、
今は、「クリアー達成の快感」を求めてフリーセルとなっている。
これは、フリーセルプレーとの相互浸透の結果であろう。
ここで、相互浸透の筈なのに、
私は変わっていても、パソコンの中のフリーセルゲームは変わっていない。
なのに、なぜ「相互」浸透なのか?


今の私、フリーセルを止められない私にとって、
その状態を継続させるような、
フリーセルプレイは「悪しき相互浸透」となり得る。


快感を求める事が悪いのではなく、
快感を求める感情を止められない事が悪い。
そして、やればやる程に楽しくなり止められない、ような相互浸透が悪い。
でも、快感追及を止められるようになれるなら悪しきモノではなくる。


これは、子供のゲームも同様であろう。
ゲームが悪いのではなく、夢中で止められない・やり過ぎが悪い。





止められない感情を止めるよう関わり方なら、
それは、「善き相互浸透」なり得る。


今ここに、早寝する為に、
ソコンを開かない、フリーセル画面にしない、方法もあり得る。

でも、この場合、対象との「善き相互浸透」の為の
一つの関わり方を学ぶ機会を手放す事にもなり得る。

この場合に学べ事は、「自己の感情制御の感覚・感情」であろう。
感情制御は、一つの技術であり、感覚・感情である。


現代は、大人も子供も、自己の感情制御能力が弱体化している。ようである。
それもこれも、価値観の多様化・個性尊重・重視教育の弊害なのだろうか?


それとも、現代人の頭と心のバランス・調和が悪くなった為だろうか?




















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