新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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快・不快と行為・行動…

2020-08-02 12:33:05 | 教育
快・不快と行為・行動…


人間の動物的な行動は、
不快を避け、快を求める、が基本だろう。

児童にとっての学校の勉強の場合~
成績が悪いと、親に叱られるから、勉強する。
成績が良いと、親に褒められるから、勉強する。


授業中であれば…
先生に注意・叱られるから静かにする。
先生に褒められるから、静かにする。

これは、児童の場合なので、
そこには主体性がない。

「この主体性がない」とは、
親・先生がどうのこうのではなく、
児童自身がどうしたい、がない事。


そもそも…
多くの児童達は、勉強が嫌い、勉強はしたくない…ようである。

なので、主体的には、「学校の勉強はやりたくない」
その理由は、
「勉強よりゲーム方が楽しい」とか、
「その勉強は塾でやった・知っている」とか、
「この勉強して何になるの?意味ない!」とか、


児童が、静かにしない理由は、
「今、自分が話したいから、」てか、
「今、気持ちが落ち着かない」とか、
「何で話したいのに我慢するの?」とか、
「話して何が悪いの?」とか、
「僕は静かにできない、我慢できない!」とか。

その殆どが、その児童の個人的な欲求・思いから。である。

それでも、親・先生の叱る・褒める…から
勉強しようと頑張ろうと思う児童達であるが…


家で親の言葉で、『叱られる勉強しよう!』と思っても、
いざ授業中になれば、面白くない・わからない…等の理由で、
ヤッパリ勉強に集中できない児童もいるだろう…


動物であれば好まないモノと関わるのは「不快」である。
だから「不快を避ける」のは必然であり当然である。
しかし、動物であっても人間の場合は、
「不快だから避ける」訳には、行かない場合も必然・当然にある。


ならば、どうすべきか?
それは、「不快を避ける」為の行動自体を
「快」と感じるように習慣化・技化する教育である。


勉強が嫌いな児童に対して教師は、
「先生の話は楽しい」とか、
「先生の話は面白い」とか、
「先生の笑顔が好き♪」とか、


その行為の目的が「先生の話を聞く」であり、
その為の行動が「静かする」である。

この過程で児童の思いには「不快な勉強」がない。
ここでのポイントは、
教師の一言一言に「勉強の中身」が求められている事であり、
教師は勉強内容を面白く・楽しく、話せる力量が求められている。

特に、低学年の内に、このような繰り返しの結果、
「先生の話を聞きたい」⇒「先生と勉強したい」
「先生の話を聞きたい」⇒「いつも静かにしたい」
となり得たら…である。


そうなれば、高学年になっても、
「先生」抜きでの主体的な行為で、
勉強は楽しい♪「快感だから」やる。
静かにする♪「快感」だから」やる。


そう~結果的に、
「不快」だった「勉強する事」が
「快感に変わっている事になる。






https://hinative.com/ja/questions/279165
行為 と 行動 と 動作 はどう違いますか?説明が難しい場合は、例文を教えて下さい。


行為:意思や意図をもとにした行動。時として他者へ与える影響の観点から述べられる。act.
行動:無意識的な動作と意識的な動作までを含む人の動作。action.
動作:身体的な運動やその作用。movement.

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