先日、ラジオから「ビューティフルワーズ」と題して、
以下のような言葉が流れてきた。
「こんな事が何の役に立つのか!? 」と思うより、
「こんな事も出来ない自分が何の役に立つのか?!」と考えよう。
この言葉は私の心に響いてきた。
普通、人が「こんな事が何の役に立つの…」と思う時、
そこには、『こんな事やりたくない!』という感情があろう。
普通に考えて『自分が心からやりたくない事をやるのは非常にキツイモノであろう』
そんな時、「こんな事も出来ない自分が何の役に立つのか?」と自分に問いかけたなら…
もしかして…「やりたくない事だから役立たない」と考えたい、のか?
「こんな事も出来ない自分だから、何もできない…役立たない自分なの…」
こんな事もこんな物も…
それを役立つようにする・使うのは、その人の意識・認識である。
現実として絶対に役立たないモノ・コトはない。
役に立たないと現象するモノ・コトとは、
それらに関わっている人間が、それらを役立てられない…だけであろう…
モノ・コトに良いも悪いもない。
それら良し悪しは、人間の認識が決めたモノに過ぎない。
例えば「帯びに、短し襷に長し」…というような「布」があった時~
それを大人用にと思ったなら「帯に短し、襷に長し」であろうが…
子供に使うなら、帯なら一、二本、襷なら四、五本になり得る役立つ布となり得るだろうに…