続々・西暦2024年・令和6年・今日は私の悟り記念日
ふっと思った!そして妄想した!
南郷継正は、
「哲学・学問的悟りと禅・宗教的悟り」を
「空手修業・修行・指導・教育」過程で体得した
「弁証法」と「生即死の覚悟」を用いて
その頭脳を「理性即感性・感性即理性」的な認識活動可能なモノに作り変えた。
さてさて…たぶん…多くの人達には、理解不能な文字の羅列…
私も、なかなか思っている事を文字で表現出来ずに苦慮しています。
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
その結果が、以下の今の私の実感~
私の「感情コントローの技化」の道程・認識。
私は、私の体験・経験した現実から以下のような事実に気付いた。
それは、「母の死」の「家内の死」では、その悲しみの感情レベルは、殆ど同じ最高・最大レベルなのに…
その後の私の悲しみ・感覚・反応・表現・泣き方…が、大きく異なっていた事。
母・家内とも死因は癌(大腸癌・膵臓癌)。
医者から「母は告知なし」・「家内は告知あり」。
母も家内も数か月後に死亡。
母の最期は病院のベッドの上で最後まで痛み苦しみながら逝った。
家内の最後は、自宅のベッドの上で、痛み止め点滴を受け、痛みを感じる事無く朦朧とした状態で逝った。
因みに、息子は、その数日前から大学サークル活動で、合宿へ行っていた(何とか祭りで?踊りを踊りにどこか?へ)
家内の様態変化…思い出せない…
結果的に、息子は慌てて祭り終了前に帰宅…
家内の最後は、息子は新幹線の中で、スマフォのラインでの映像電話だった。
息子は、家内の死に目に間に合わない帰宅だったが…
それでも、家内の最後を見取る事はでき、家内への声掛けも出来た。
ただ…家内は、点的痛み止めの作用で意識朦朧…
それでも、私は、ひたすら家内の姿をスマフォカメラで捉え、息子に見せ、家内には最後の最後まで声掛けをした。
途中で家内の意識がなくなり…(思い出せない…)
その後の私は、家内の呼吸を見ていた。
息を吸って吐いて、吸って吐いて…途中から…
吐いてから吸うまでの間隔が少しずつ長くなり…
最後は、吐いてから…吸わなくなり、在宅医療看護師が…
医者は、連絡は済んでいたが臨終には間に追わなかった。
もっと詳しき書きたが…何しろ細部の記憶が…
何故に、このような事を書くか?
今の私は、この記述を自己の感情の無視・殺して書ける状態である。
しかし、それでも、私の大いなる悲しみは心の中にまだまだ存在している
言うなれば、私の中の感情を殺して、過去の記憶が書けるか否かの確認である。
食事の用意の間に、色々な事を思った。
その時の感情が以下だ。
>「花が蝶々が私か私がちょうちょか」という表現は、荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づいています。
この故事は、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえです。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)とは? 」<
正に「胡蝶の夢」のようだ!
もっとも…今回の私の場合は、「夢ではなく…」…
端的に何と書けばよいだろう?!
う~ん…書けないから…到達した結論を以下のように書こう!
私は、「武道の理論」と出会い、その感動?の自覚なく、何となく、
その続編を購読して読み続けてきた。
そう…私は、「武道講義」を読んで、初めて感動(自分では感動とは思っていない)。
その時の、その気持ちのままへ南郷氏宛の手紙を送った。(月刊空手道誌・社or三一書房か不明)
その内容のコピーをしていないが…
私は、「山中での『科学的武道の修行』」を読んで…
何で、私が、その修行者ではないのか?
私も再度玄〇会空手をやりたい!
私に再度のチャンスを!…そんな内容だったのだろう…
私が「胡蝶の夢」と思ったのは、私の想い・考えが、私が読んだ南郷氏の著書の中の言葉と同じ…だと実感したから…
上記のように思うのも、「南郷氏の私が何か言うと…弟子の誰かが「それはヘーゲルと同じです」というくだりと同じ事実・想起。
過去に「俺は南郷継正だ!」と妄想を事実のように捉えていた事実。
その時の私の認識は「それを言葉発する前の心では南郷継正でと確信していた。」
しかし、その言葉にした瞬間に、私は「違う」と自覚した。
そう観念的には、「私は南郷継正」、
でも現実界では「わ・た・し」なのだ。
これこそが、観念内での事実と外界での事実の相違、である。
私は、過去から現在まで、無限的に多くの物事・人物と関わり、それらと「対立物の統一」的に生きてきた。
しかし、それらは、自然成長的なモノであり、二重化した対象事実は、殆ど記憶に残っていない。
しかし、たぶん…私が「武道講義」に感動して以来、私は、その目的意識の元で、その著作中の全ての言葉から学ぼうとしてきた、のだろう。
そして、途中から、「夢講義」も追加され、また、その他、多くの南郷学派の著作も追加で読み続けてきた。
ただ…書かれているような「専門を学ぶ中で…」…その専門が「私的には、そんなモノない」と思っていたが…
そして、私は、自分勝手に妄想して確信した、そんな学びを今の私は~
1990年 10月31日発行 武道講義 第一巻…と同じレベルの認識だと!
1990年10月31日は、1956年生まれの私が、34歳の時である私は今年で68歳。
母と同年齢で私より24歳年上の南郷氏は、今年92歳。24年前は58歳。
私は、当時58歳の南郷継正に34歳の私が感動して、
南郷継正の言葉に学び続けてきて、今がある!
以下も妄想である。
私は途中から「南郷継正」になる事を諦め…悟りを求める事にした、その悟り得る為の「南郷継正」への学びだった。
しかし、何とビックリ!それが「悟りへの道」だったとは…
もっとも…「生即死」的に悟得している「南郷継正の学び⇒「悟得」なのは、当然と言えば当然なのだろうが…
さて…本題は~
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
母の死後、通夜・葬式・告別式…その間、涙一つ流す事なく、一見普通だった。
ここで小休止……してたら、「武道講義」の想い出が…
当時は、月刊空手道誌の連載されていた記述をコピーして、電車での移動の際には必ず読んでいた。
また、パチンコ店の事務仕事の際には、こっそり引き出しの中の「武道講義」コピーを読んでいた。
1990年当時の私は~
1990年
四月~父の会社「利華宝飾」に入社。
一週間のパチンコ学校・入学
八月まで、パチンコ「一千台」のホールでの見習い。
確か「淵野辺店」と「「立川本店」…
その後、父の「パチンコ大王」ホール勤務。
10・11月頃~「利華宝飾」退職~
1991年 1月15日、一千台に入社
四月まで事務仕事の手伝い(この間こっそり読んでいた)
四月~九月まで
インターカルト日本語学校養成科へ入学
ここで家内と知り合う。
九月に卒業後、その後、突然、彼女から電話があり、
発見!当時の日記を
「 10/2 俺の誕生日
朝菅野(家内)からTELがあり、夜一緒に食事など…
空手(当時・飛翔塾在籍)に行くつもりだったがやめて食事する事にした。
6:00 新宿駅 待ち合わせ、
京王プラザ ホテルのバーラウンへ、軽く酒を飲んだ。
そのあと、ヒルトン ホテルの地下のインド料理、
食べ過ぎて腹がいっぱいになったので
一緒に少し歩いた。
浦安まで車なで来ているとのこと、なので トライブ行こう
と…酒を飲みたい と言っていたが 結局ドライブへ…以下省略…」
家内とは、その日―「1991 10/2 」から、交際が始まり、
そして結婚…そして「2021 10/2」に終了。
10月2日(私の誕生日)にデート…
この過程での、「電車での移動、デスクでのこっそり読み」
そんな中で、気付いた事は、
武道講義の文面をスーと読める感じがある時と、
その感じが無い時がある事。
ふっと思った!そして妄想した!
南郷継正は、
「哲学・学問的悟りと禅・宗教的悟り」を
「空手修業・修行・指導・教育」過程で体得した
「弁証法」と「生即死の覚悟」を用いて
その頭脳を「理性即感性・感性即理性」的な認識活動可能なモノに作り変えた。
さてさて…たぶん…多くの人達には、理解不能な文字の羅列…
私も、なかなか思っている事を文字で表現出来ずに苦慮しています。
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
その結果が、以下の今の私の実感~
私の「感情コントローの技化」の道程・認識。
私は、私の体験・経験した現実から以下のような事実に気付いた。
それは、「母の死」の「家内の死」では、その悲しみの感情レベルは、殆ど同じ最高・最大レベルなのに…
その後の私の悲しみ・感覚・反応・表現・泣き方…が、大きく異なっていた事。
母・家内とも死因は癌(大腸癌・膵臓癌)。
医者から「母は告知なし」・「家内は告知あり」。
母も家内も数か月後に死亡。
母の最期は病院のベッドの上で最後まで痛み苦しみながら逝った。
家内の最後は、自宅のベッドの上で、痛み止め点滴を受け、痛みを感じる事無く朦朧とした状態で逝った。
因みに、息子は、その数日前から大学サークル活動で、合宿へ行っていた(何とか祭りで?踊りを踊りにどこか?へ)
家内の様態変化…思い出せない…
結果的に、息子は慌てて祭り終了前に帰宅…
家内の最後は、息子は新幹線の中で、スマフォのラインでの映像電話だった。
息子は、家内の死に目に間に合わない帰宅だったが…
それでも、家内の最後を見取る事はでき、家内への声掛けも出来た。
ただ…家内は、点的痛み止めの作用で意識朦朧…
それでも、私は、ひたすら家内の姿をスマフォカメラで捉え、息子に見せ、家内には最後の最後まで声掛けをした。
途中で家内の意識がなくなり…(思い出せない…)
その後の私は、家内の呼吸を見ていた。
息を吸って吐いて、吸って吐いて…途中から…
吐いてから吸うまでの間隔が少しずつ長くなり…
最後は、吐いてから…吸わなくなり、在宅医療看護師が…
医者は、連絡は済んでいたが臨終には間に追わなかった。
もっと詳しき書きたが…何しろ細部の記憶が…
何故に、このような事を書くか?
今の私は、この記述を自己の感情の無視・殺して書ける状態である。
しかし、それでも、私の大いなる悲しみは心の中にまだまだ存在している
言うなれば、私の中の感情を殺して、過去の記憶が書けるか否かの確認である。
食事の用意の間に、色々な事を思った。
その時の感情が以下だ。
>「花が蝶々が私か私がちょうちょか」という表現は、荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づいています。
この故事は、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえです。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)とは? 」<
正に「胡蝶の夢」のようだ!
もっとも…今回の私の場合は、「夢ではなく…」…
端的に何と書けばよいだろう?!
う~ん…書けないから…到達した結論を以下のように書こう!
私は、「武道の理論」と出会い、その感動?の自覚なく、何となく、
その続編を購読して読み続けてきた。
そう…私は、「武道講義」を読んで、初めて感動(自分では感動とは思っていない)。
その時の、その気持ちのままへ南郷氏宛の手紙を送った。(月刊空手道誌・社or三一書房か不明)
その内容のコピーをしていないが…
私は、「山中での『科学的武道の修行』」を読んで…
何で、私が、その修行者ではないのか?
私も再度玄〇会空手をやりたい!
私に再度のチャンスを!…そんな内容だったのだろう…
私が「胡蝶の夢」と思ったのは、私の想い・考えが、私が読んだ南郷氏の著書の中の言葉と同じ…だと実感したから…
上記のように思うのも、「南郷氏の私が何か言うと…弟子の誰かが「それはヘーゲルと同じです」というくだりと同じ事実・想起。
過去に「俺は南郷継正だ!」と妄想を事実のように捉えていた事実。
その時の私の認識は「それを言葉発する前の心では南郷継正でと確信していた。」
しかし、その言葉にした瞬間に、私は「違う」と自覚した。
そう観念的には、「私は南郷継正」、
でも現実界では「わ・た・し」なのだ。
これこそが、観念内での事実と外界での事実の相違、である。
私は、過去から現在まで、無限的に多くの物事・人物と関わり、それらと「対立物の統一」的に生きてきた。
しかし、それらは、自然成長的なモノであり、二重化した対象事実は、殆ど記憶に残っていない。
しかし、たぶん…私が「武道講義」に感動して以来、私は、その目的意識の元で、その著作中の全ての言葉から学ぼうとしてきた、のだろう。
そして、途中から、「夢講義」も追加され、また、その他、多くの南郷学派の著作も追加で読み続けてきた。
ただ…書かれているような「専門を学ぶ中で…」…その専門が「私的には、そんなモノない」と思っていたが…
そして、私は、自分勝手に妄想して確信した、そんな学びを今の私は~
1990年 10月31日発行 武道講義 第一巻…と同じレベルの認識だと!
1990年10月31日は、1956年生まれの私が、34歳の時である私は今年で68歳。
母と同年齢で私より24歳年上の南郷氏は、今年92歳。24年前は58歳。
私は、当時58歳の南郷継正に34歳の私が感動して、
南郷継正の言葉に学び続けてきて、今がある!
以下も妄想である。
私は途中から「南郷継正」になる事を諦め…悟りを求める事にした、その悟り得る為の「南郷継正」への学びだった。
しかし、何とビックリ!それが「悟りへの道」だったとは…
もっとも…「生即死」的に悟得している「南郷継正の学び⇒「悟得」なのは、当然と言えば当然なのだろうが…
さて…本題は~
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
母の死後、通夜・葬式・告別式…その間、涙一つ流す事なく、一見普通だった。
ここで小休止……してたら、「武道講義」の想い出が…
当時は、月刊空手道誌の連載されていた記述をコピーして、電車での移動の際には必ず読んでいた。
また、パチンコ店の事務仕事の際には、こっそり引き出しの中の「武道講義」コピーを読んでいた。
1990年当時の私は~
1990年
四月~父の会社「利華宝飾」に入社。
一週間のパチンコ学校・入学
八月まで、パチンコ「一千台」のホールでの見習い。
確か「淵野辺店」と「「立川本店」…
その後、父の「パチンコ大王」ホール勤務。
10・11月頃~「利華宝飾」退職~
1991年 1月15日、一千台に入社
四月まで事務仕事の手伝い(この間こっそり読んでいた)
四月~九月まで
インターカルト日本語学校養成科へ入学
ここで家内と知り合う。
九月に卒業後、その後、突然、彼女から電話があり、
発見!当時の日記を
「 10/2 俺の誕生日
朝菅野(家内)からTELがあり、夜一緒に食事など…
空手(当時・飛翔塾在籍)に行くつもりだったがやめて食事する事にした。
6:00 新宿駅 待ち合わせ、
京王プラザ ホテルのバーラウンへ、軽く酒を飲んだ。
そのあと、ヒルトン ホテルの地下のインド料理、
食べ過ぎて腹がいっぱいになったので
一緒に少し歩いた。
浦安まで車なで来ているとのこと、なので トライブ行こう
と…酒を飲みたい と言っていたが 結局ドライブへ…以下省略…」
家内とは、その日―「1991 10/2 」から、交際が始まり、
そして結婚…そして「2021 10/2」に終了。
10月2日(私の誕生日)にデート…
この過程での、「電車での移動、デスクでのこっそり読み」
そんな中で、気付いた事は、
武道講義の文面をスーと読める感じがある時と、
その感じが無い時がある事。
元旦からご自分の強い気持ちを綴っている自由びとさんの心中には相応の思いがあるのでしょう。
お身内の死について綴っている自由びとさんに新春のご挨拶をするのは控えるべきかも知れませんが、何かの参考になるかと思い書いてみたいと思います。
タイトルにある「悟り」とは、私は年末に臨済禅の本を読んでおりまして、それは禅の「衆生本来仏なり」「この身すなわち仏なり」と言い表されているとおりに「仏になること」で、仏(ブッダ)とは語源のとおりに「煩悩の結び目をほどく」ということだと理解しました。
つまりは「我執」とよばれる執着を断つことであり、その一つが「死にたくない」という執着だ、と。
ブッダが拓いた仏教思想にある「無自性であるが故に不可得」という、自分ではどうしようもない事柄への執着を断つことが「悟る」ということで、それは頭で理解しただけでは役に立たず、実際に執着しない自分に成れてこそ「悟れた」となるものだと考えます。
>弥勒
>・コメント
>自由びとさん、また新しい年が始まりましたね。
元旦からご自分の強い気持ちを綴っている自由びとさんの心中には相応の思いがあるのでしょう。
↑
新年・早々の初メール、とても嬉しいモノがあり感激感激(少々オバーに)。
実は…弥勒様からの激しい突っ込みがなく、私は少々淋しい思いをしていました。
去年暮れの私の心の激動・激変激動は、2024年が、
私心以上の激動・激変の新年になりえる予感が…
>…心中には相応の思い…
「家内の死」は、私にとって非常に悲しいものでした。
私的には、その悲しみもかなり静まっていると感じていましたが…
>…心中には相応の思い…」とは、…その自覚はございませんでしたが…
たぶん…その通りなのでしょうね…
自分では分らなくても、分かる人には、丸見えるモノなのでしょうね…
「家内の死」は、私にとって非常に悲しいものでした。
それでも、「新任教師一週間」での軽い非常心状態、「母の死」での重い非常心状態・
その後二回の軽い非常心状態の体験から、その非常心への対応法を体得してきていました。
なので…
「母の死」後、その悲しみ との対峙避け、その悲しみを無視し・感覚不能?…続けて
全く泣けない・泣かない私、数日後父宅であった父の前で初めて号泣した私…
そんな私が、家内の臨終時は泣けませんでしたが…
そこ後、家内の親戚と家内の話で…涙ぐむ己を自覚し、涙を止る努力を続けました。
そして、告別式会場に早く到着して…私の周囲に関係者が不在時に、
そこで、私は声を出さずに号泣(号泣レベルの悲しみ)できました。
これは、「母の死」の時に、より大きな悲しみとの対峙法です。
このような、その後、感情コントロールを体得した…と確信する事実が色々…
↑
>お身内の死について綴っている自由びとさんに新春のご挨拶をするのは控えるべきかも知れませんが、何かの参考になるかと思い書いてみたいと思います。
↑
温かいお心遣いに感謝です。私にそんな心遣いは無用です。
新年を迎えられた喜び(前向きな現実認識)と私の悲しみ(観念・感情)は、別物・相対的独立です。
それらの相互浸透は不要・無視する必要が、今の私にはあります。
>タイトルにある「悟り」とは、私は年末に臨済禅の本を読んでおりまして、それは禅の「衆生本来仏なり」「この身すなわち仏なり」と言い表されているとおりに「仏になること」で、仏(ブッダ)とは語源のとおりに「煩悩の結び目をほどく」ということだと理解しました。
>つまりは「我執」とよばれる執着を断つことであり、その一つが「死にたくない」という執着だ、と。
>ブッダが拓いた仏教思想にある「無自性であるが故に不可得」という、自分ではどうしようもない事柄への執着を断つことが「悟る」ということで、それは頭で理解しただけでは役に立たず、実際に執着しない自分に成れてこそ「悟れた」となるものだと考えます。
↑
そのなのです。
私は、以下のような「煩悩」に対する私の感情をコントローが可能になった…と自分勝手に思っています。
私にも、当然色々な執着はあります。
その「執着心」が、私の認識なら、その「執着心を見ている・感じているのも私の認識」です。
主観的自分と、自分の中の客観的自分―の二重化に成功した?…
と言っても、私は子供の頃から、一人の時の独り言が多く、
それが、普通に思っていて…今でも相変わらずの独り言です。
なので、私は、今「独り言とは、自分の二重化」であり、
それは、理性vs感性、感性vs理性、の…相互浸透・相互移行…と理性的に悟れました。
私が、そんな「執着している自分・認識」に執着しない事を体得した…と勝手に思って「悟った」なのです。
その一つの事実が、「家内の死」に対する、今の私の心状態を書こう…としているのですが…
ここで、昼食・中断…
>「煩悩(ぼんのう)とは、仏教用語で、心身を悩ませる心の働きや精神作用を指します。迷いや苦しみの原因となる心の汚れともいわれ、典型的には「貪瞋痴の《三毒》」などが挙げられます。
>日常生活では、特に「物欲」や「性欲」を指す意味で用いられることが多いです。また、欲や怒り、愚痴の心を指すこともあります。
>仏教では、煩悩は悟りの境地に向かう上で妨げとなる精神の状態や作用を指します。煩悩という心の汚れによって物事の真理が見えなくなってしまうため、苦しみが生まれるのです。
>煩悩は1人につき108種類あるといわれ、煩悩を1文字で表すとされる108画の漢字があります。」
↑
昼食前の添付
以下は
新たな添付
↓
>「悟りを開く」とは、心の迷いが解けて真理を会得することです。仏教において「悟り」は「解脱(げだつ)」や「涅槃(ねはん)」と同義です。
>「悟りを開く」とは、次のような状態です。
>心の迷いがなくなり、どんなときも変わることのない正しい物事の道筋を理解・自分のものにすること
>煩悩や迷いを取り払い、永遠の真理を会得すること
>雑念がなく執着心から解放された感覚に至ること
>すべてに満たされた感覚になり、物事の真理を自然と知れるようになること
>大宇宙の真理を体得すること
>「悟り」の境地に達すると、嫌なことがあってもそれも人生だと割り切って考えられるような状態になります。様々な感情のベースとなる部分に幸せを感じており、ネガティブなことに反応して苦しくなったり、他者と比較してしまったりしないような感覚で、自分を客観的に見ることができている状態とも言えます。
>日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味します。一般社会で「悟り」という言葉を使う場合は、「物事を理解すること」「物事の意味に気づくこと」「物事を受け入れて、ある種のあきらめの境地に至ること」という意味を持ちます。
>悟りの境地に達すると、雑念がなく執着心から解放された感覚に至ります。悟りを開くことで、すべてに満たされた感覚になり、物事の真理を自然と知れるようになります。
>禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。仏性というのは「成仏するための基礎である神聖な
↑
仏教では、「仏になる事」=悟りを開く、
禅宗では、「仏性に気付く」=「仏になる事の基礎」
日常では、「物事を理解すること」「物事の意味に気づくこと」「物事を受け入れて、ある種のあきらめの境地に至ること」という意味を持ちます。
そして、私の悟りの境地とは~
~↓~
私にも、当然色々な執着はあります。
その「執着心」が、私の認識なら、その「執着心を見ている・感じているのも私の認識」です。
主観的自分と、その主観を眺めている「自分の中の客観的自分」への二重化に成功した?…
それが、感情のコントロール法の習得・修得・体得なのです。
それは、大泣きしている自分を観て、バカだな!大泣きして…笑える♪的な私の感情。
このような悲しみの感情から笑いの感情へ、
そして、そこから、何でそんな事で泣き続ける!さっさと止めろ!といった怒りの感情への変化・運動性の創出、なのです。
まだまだ食事中に浮かんだモノはありますが…
思い出せません!また思い出したら書きます。
そうそう
今日の弥勒お宅って、とても女性的な感じですね。
その素敵なお心に、惚れてしまいそうな、私心が観えますよ!
では~
そうそう…謙譲語と尊敬語の区別と連関が…
でも~まあ次回に!
そうでしたか、残念ながら年末の投稿には激しい突っ込みを入れたいと思える記述がなく、おそらくは自由びとさんと私とは全く違う心境であったかと思われます。
tada氏と武術や格闘技の技術について語り合う気にもなれず、自由びとさんが恰も私(弥勒)を自分の支配下の道場生のように扱うかの感覚に違和感を感じておりました。
その時の自由びとさんの脳裏にあったのは玄◯会の道着に書かれた「闘魂」の文字だったかも知れませんし、玄◯会の大きく気合いを発する稽古の姿だったかも知れません。確かに、あのように気合いを発すると筋出力が大きくなり同じ体格でも打撃の威力が高まることは実験的に知られているようではありますが。
私は有る意味で「やらなくていい経験」をしてきましたから、武道を学ぶというのも好きでやってはいましたが、別にやらなくても良かった道だとも言えます。もう随分と昔になりますが私は赤坂で出張の整体師をしていたことがありましてね。よく暴力団の発砲事件だとか銃撃事件が新聞沙汰になった辺りです。それで事務所に呼ばれて刺青をしたヤ◯ザの身体を解していたりしましてね、ヤ◯ザ同士が怒鳴り合う怒声の現場に居合わせたこともあるのです。
その時の私は全くもって梶原一騎の『カラテ地獄変』のように武道の技で暴れ回るなどとは真逆の「冷静にその場から抜け出すカタギの人間」として自分が非常に静かに肚が座っているのを感じました。そうした場面でカタギの私が護身のために武道や武術の技を使うことは殆どありません。逆に、そんな場面に自分を置いてしまったことが私自身の不覚というか、ミスでしたので。
南郷先生も講義で話していましたから知ってらっしゃるのだと思いますけど武道や格闘技を好んで稽古している者の中には刺青を背負ったヤ◯ザ者が少なからずいるものです。南郷先生が余り道場の宣伝をせず入門者に慎重なのも、そうしたヤ◯ザ者を入れないようにするためだとも考えられますね。
私はそれとは逆に不覚にも反射的に相手に平手打ちを入れてしまい警察に通報されて「暴行の現行犯」として連れて行かれたこともあります。それも全くの私の不覚でありましたが、武道や格闘技の試合が唐突に始まるものでもなく、正式なる書面での契約を交わして行われる正社会的なものだということを再確認したわけです。
40代で格闘技の試合に出たときも、実弟の友人だった人から「◯◯君のお兄さんですよね?」と声をかけられて、その相手は自衛官を職業として選んだので好きでなくとも格闘技の試合に出ると業務上の評価が上がるらしいです。では、そんな職場上の理由もなくリングで殴り合い蹴り合いをしている私は単に暴力行為が好きな人間?相手を殴り蹴りすることに快楽を覚える人間?
いえ、勿論そんなことはありませんよ。
私が格闘技の試合をやっていたと述べたことからtada氏は芦原空手や大東流を話題にしたのかも知れませんけど、私にしてみればそれはコミュニケーションの方向としては適当ではなかったわけです。
「飛翔隊ジュニアは続けるべきだった」と考えなければいいわけです。
ですが、私も自分自身の経験から考えるなら田◯さんが肥◯さんを掛稽古で倒したのは「今後は俺がお前の教育担当だ!」との意志の表明で、当時の現役トップクラスの田◯さんから指導を受けることは肥◯さんの玄◯会の中での道が開かれたということだと思いますよ。
しかし、その後の肥◯さんの行った道を見るならば極◯会館の黒帯となり某合気柔術の指導者となって自分の道場を持ったわけです。さらに柔術の試合にも出ていたようで、昨今の総合格闘技のパウンド(寝技で固めてパンチする)を研究していた節もありますね。
実際の歴史的にも哲学史的にも専制・絶対王政への反論は「自分は誰の所有なのか?」という所有権にあったように肥◯さんの道は肥◯さんが望んだ方向に行くのが正道なのでしょう。
ここに絡んで自由びとさんに以前お話しした「今日大学関係の教授の自由論」にエンゲルスの『空想から科学へ』からの引用で「必然の国から自由の国へ」という言葉が書いてありました。
これが南郷先生が「カントは数学や物理学を専門にしていた」との否定的な発言に繋がるのかとの感触を得て、自由びとさんの「弁証法は法則である」という考えに対立するものだと思えました。
大陸合理論も数学を下敷きにしていたから必然性とか決定論になったということかな?とね。
・コメント
>弥勒様からの激しい突っ込みがなく、私は少々淋しい思いをしていました。
そうでしたか、残念ながら年末の投稿には激しい突っ込みを入れたいと思える記述がなく、おそらくは自由びとさんと私とは全く違う心境であったかと思われます。
tada氏と武術や格闘技の技術について語り合う気にもなれず、自由びとさんが恰も私(弥勒)を自分の支配下の道場生のように扱うかの感覚に違和感を感じておりました。
その時の自由びとさんの脳裏にあったのは玄◯会の道着に書かれた「闘魂」の文字だったかも知れませんし、玄◯会の大きく気合いを発する稽古の姿だったかも知れません。確かに、あのように気合いを発すると筋出力が大きくなり同じ体格でも打撃の威力が高まることは実験的に知られているようではありますが。
私は有る意味で「やらなくていい経験」をしてきましたから、武道を学ぶというのも好きでやってはいましたが、別にやらなくても良かった道だとも言えます。もう随分と昔になりますが私は赤坂で出張の整体師をしていたことがありましてね。よく暴力団の発砲事件だとか銃撃事件が新聞沙汰になった辺りです。それで事務所に呼ばれて刺青をしたヤ◯ザの身体を解していたりしましてね、ヤ◯ザ同士が怒鳴り合う怒声の現場に居合わせたこともあるのです。
その時の私は全くもって梶原一騎の『カラテ地獄変』のように武道の技で暴れ回るなどとは真逆の「冷静にその場から抜け出すカタギの人間」として自分が非常に静かに肚が座っているのを感じました。そうした場面でカタギの私が護身のために武道や武術の技を使うことは殆どありません。逆に、そんな場面に自分を置いてしまったことが私自身の不覚というか、ミスでしたので。
南郷先生も講義で話していましたから知ってらっしゃるのだと思いますけど武道や格闘技を好んで稽古している者の中には刺青を背負ったヤ◯ザ者が少なからずいるものです。南郷先生が余り道場の宣伝をせず入門者に慎重なのも、そうしたヤ◯ザ者を入れないようにするためだとも考えられますね。
私はそれとは逆に不覚にも反射的に相手に平手打ちを入れてしまい警察に通報されて「暴行の現行犯」として連れて行かれたこともあります。それも全くの私の不覚でありましたが、武道や格闘技の試合が唐突に始まるものでもなく、正式なる書面での契約を交わして行われる正社会的なものだということを再確認したわけです。
40代で格闘技の試合に出たときも、実弟の友人だった人から「◯◯君のお兄さんですよね?」と声をかけられて、その相手は自衛官を職業として選んだので好きでなくとも格闘技の試合に出ると業務上の評価が上がるらしいです。では、そんな職場上の理由もなくリングで殴り合い蹴り合いをしている私は単に暴力行為が好きな人間?相手を殴り蹴りすることに快楽を覚える人間?
いえ、勿論そんなことはありませんよ。
私が格闘技の試合をやっていたと述べたことからtada氏は芦原空手や大東流を話題にしたのかも知れませんけど、私にしてみればそれはコミュニケーションの方向としては適当ではなかったわけです。」
弥勒
>・コメント
「>>弥勒様からの激しい突っ込みがなく、私は少々淋しい思いをしていました。」
「>そうでしたか、残念ながら年末の投稿には激しい突っ込みを入れたいと思える記述がなく、おそらくは自由びとさんと私とは全く違う心境であったかと思われます。」
↑
「…全く違う心境…とは」?
「>tada氏と武術や格闘技の技術について語り合う気にもなれず、自由びとさんが恰も私(弥勒)を自分の支配下の道場生のように扱うかの感覚に違和感を感じておりました。」
↑~
その心境、今の私なら、分かります!可能です。
私は「弥勒」という意味を調べました。
それが以下の添付です。
>弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは、お釈迦さまの次に仏となることを約束されている菩薩です。菩薩の中でも最高位にあたり、慈しみによって生あるものすべてを救うという菩薩です。
>菩薩(ぼさつ)とは、仏教の術語で「悟りを求める人」を意味します。サンスクリット語の「ボダイサッタ」を略したもので、「ボダイ」は「悟り」、「サッタ」は「生きる者」を意味します。
>菩薩は、仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者です。また、悟りをえた人を仏とするなら、菩薩とは仏にいたる過程にある者をいう言葉でもあります。
元々、弥勒HDが初めて、このブログ登場した時に、その「弥勒」の意味をネット検索したのですが…
初めの頃も、お宅のHDが変化する度にネット検索しましたが…そのHDとコメント内容の関係性の真実に気が付きません、でした。
ただ…昨日のコメント・言葉には、以前には感じられなかった「優しさ」を感じ取ってしまいました。
それが「・>弥勒菩薩は、大乗仏教の代表的な菩薩の1つで、慈氏や慈尊とも呼ばれます<の記述から…
そこで、私は、思いました。
「今まで、お宅コメントに「慈悲」を感じなかったのは、私にその「慈悲の心」がないから…?」と、
しかし、私はtadaさんのコメントに優しさを感じていました。
>「仏教では「優しさ」を「慈悲」と言います。慈悲は「慈」と「悲」を組み合わせた言葉で、「慈」は「人を幸せにすること」、「悲」は「苦しみを取り除くこと」を意味します。」
>「優しさは、その人が生まれ持った感情や育った環境に依存するもので、相手がいなくても成立します。一方、慈悲は、仏や菩薩が人々や生命あるものの苦しみや苦悩を除き、楽や幸福を与える心です。慈悲深い人は、自分が苦労することをいとわず、他人のために尽くす行動をとります。」
上記の記述から、「母がおまえは冷血動物」だと私に言った意味が~
私には、確かに「優しさ」があります。
しかし、その「優しさ」を、他人に向けて表現して、自分が傷つくのが怖かったのです。
だから、母に、家内に、慈悲の心で「優しく」は殆ど無理だったのです。
私の為に、他人に何かをするのは、結果的に感謝されずとも…不快感はありません。
でも、相手の為に、優しく何かをして、文句を言われたら、私の心は傷つきます。
それ程に、私の心はナイーブ・繊細なのでしょうね。
でも、愛した二人の恩人の死・(今の私に変われる機会)から逃げず、真正面から対決したのです。
更に「私の死」の妄想から、私は観念的に「死の恐怖」を克服したのです!(これが私の悟りの一つ)
ここで、今日の今初めて、井上先生の「○○!お前は敏感過ぎる」とは、私の認識が「ナイーブ・繊細」なのだろうと…
そうそう井上先生と言えば、入門当初に、訳も分からず「活元運動」(名前は後から知った)。
リラックスして座って・正座?胡坐?いると自然に体が動く!と言われて…
でも、結果的にいくらリラックスしてもダメだったので、
中学時代に知った自己暗示の要領で、頭で「腰からグルグル回る」想像をしたら、
自然に力を入れる事無く…身体が回り出しました。
横にいた、〇タさんは、「体は動かなかったが背中がチクチクした」と言っていました。
この事は、また別の機会に書きたいですね。
そうそう~私の書きたかった事は、
私に弥勒的な慈悲心がうまれたから「HD慈悲の中に優しさを感じ取ったのか?
それとも、慈悲の説明を読んで、私の感じたモノを慈悲だと思い込んだのか?
おっと…危ない!危ない!~
危うく…この記述での主題の
「自由びとさんが恰も私(弥勒)を自分の支配下の道場生のように扱うかの感覚に違和感を感じておりました。」を忘れかけました。
私は、私に以外の誰かを「支配化」にしたい…とは思っていません。
ただ…私は、私自身の心認識を理性認識の支配下に置きたいとは、思っています。
私は、その自分の感情を我が愛犬マロンにぶつけてしまいました。
それは、去年・一昨年の事でしょうか…
当時、マロンがストレスから自分の尻尾の先、2、3㎝かみ切った…
それから、毎朝、五時半に起き、出勤前の散歩と夕方の散歩。
そんなある日、毎日リードを繋ぐ時のマロンの「う…」という唸りが(俺の早起き散歩の苦労を感じないマロン唸りが)嫌になりが不満で
そこで、眼光鋭く・睨みつけたら、頭を軽く叩いた、何とマロンの黒目が灰色ぽく変色したのです。
そこで、驚いた私は、急いでマロンから離れましたが…
その後は、二回程、その愛犬に右手に食いつかれました。
一回は、庭の雑草をしゃがんで、取っていたら、無言で近づいてきて、かなり噛み付かれました。
二回目は、生え変わりの体毛を取ろうと手を近付けた左手を、一度噛んで、取ろうしている手を更に二度噛み…
これは、頭を叩いた・攻撃してきた私の手を、不快感を与える敵だと認識したのでしょう…
↑これが「体罰の弊害」ですね。
それ以来、リード繋ぎは、しゃがんで、マロンに私を認識可能にして、ゆっくり繋ぐ、ようにしました。
それ以前、立った状態で、腰を曲げて繋いでいたから…これは、躾の不成功・失敗ですね。
おっと…またまた危ない!またまたまた危ない!~
危うく…この記述での主題の
「自由びとさんが恰も私(弥勒)を自分の支配下の道場生のように扱うかの感覚に違和感を感じておりました。」を忘れかけました。
私は、私に以外の誰かを「支配化」にしたい…とは思っていません。
その違和感こそ、お宅の心そのモノですね。
多分、それは、ブラック南郷継正的ですね。
南郷継正は、人々・人類に絶対精神レベルの成長を願っています。
しかし、今は、過去の仏教的な環境は皆無で、それは至難です。
だから、弟子達を世間から、可能な限り隔離した合宿なのでしょうね。
その為の指導です。
それを「支配」と感じるのがブラック南郷継正で、
ホワイト南郷継正は、小説・「モンテクリスト伯」に書かれた、牢屋での監禁で認識の一点に集中による爆発。
これが、過去の宗教的な寺での修行なのでしょうね…
私の修行場は、正にこれまでの人生のようですね…
ネットで「悟ったら何をするの?という質問がありました。
その解答は、吉田拓郎の「今日までそして明日から」です。
そして、ドラマ「「フェルマーの料理」の中の…
料理の門が開いた・料理の真理を悟ったら、なんと…次の門下開いた…、そして、その門の後には次の門が…
だから、私は、これらの言葉を信じて、悟り事を続けます。
「悟り」は名詞・「悟る」は・動詞…その悟った中身・悟るまでの表現が「悟り」
お宅が、ブラック南郷継正だから「支配」なのです。
ただ…確かに、私は愛犬マロンを支配下に置きたかった。
忠犬ハチ公のように…以前飼っていた愛犬ゴールデンリトリバーのように…
それで、愛猫のマニャの支配は、考えた事はありません。
それは、イヌとネコの本能レベルの相違を知っているから…
>その時の自由びとさんの脳裏にあったのは玄◯会の道着に書かれた「闘魂」の文字だったかも知れませんし、玄◯会の大きく気合いを発する稽古の姿だったかも知れません。確かに、あのように気合いを発すると筋出力が大きくなり同じ体格でも打撃の威力が高まることは実験的に知られているようではありますが。
↑「
その時ではないですが…
過去に、一度も「闘魂」の文字はない。
でも、最近は、その「闘魂」の意味が分かった。
それは、己の魂での魂レベルの闘い。
それは、「理性と感性の闘い」、それが「闘魂」だと…
玄〇会の気合は、弱い自己の心へ向けての「気合い」
武道空手の達...
↑「
その時ではないですが…
過去に、一度も「闘魂」の文字はない。
でも、最近は、その「闘魂」の意味が分かった。
それは、己の魂での魂レベルの闘い。
それは、「理性と感性の闘い」、それが「闘魂」だと…
玄〇会の気合は、弱い自己の心へ向けての「気合い」
武道空手の達人の闘魂とは、怒りを痛感している自分の怒りを鎮めるた闘い。
その理由は、武道空手達人の怒りは、相手を殺してしまう…
合気道なら、投げて相手が戦意喪失で終了。
剣道なら棒で叩けば、殺さずに終了。
>私は有る意味で「やらなくていい経験」をしてきましたから、武道を学ぶというのも好きでやってはいましたが、別にやらなくても良かった道だとも言えます。もう随分と昔になりますが私は赤坂で出張の整体師をしていたことがありましてね。よく暴力団の発砲事件だとか銃撃事件が新聞沙汰になった辺りです。それで事務所に呼ばれて刺青をしたヤ◯ザの身体を解していたりしましてね、ヤ◯ザ同士が怒鳴り合う怒声の現場に居合わせたこともあるのです。
↑
経験の結果の使い方の問題です。
してしまった経験は、後戻り不能。
>その時の私は全くもって梶原一騎の『カラテ地獄変』のように武道の技で暴れ回るなどとは真逆の「冷静にその場から抜け出すカタギの人間」として自分が非常に静かに肚が座っているのを感じました。そうした場面でカタギの私が護身のために武道や武術の技を使うことは殆どありません。逆に、そんな場面に自分を置いてしまったことが私自身の不覚というか、ミスでしたので。
↑
いいですね!その肝っ玉を私に下さい!
>南郷先生も講義で話していましたから知ってらっしゃるのだと思いますけど武道や格闘技を好んで稽古している者の中には刺青を背負ったヤ◯ザ者が少なからずいるものです。南郷先生が余り道場の宣伝をせず入門者に慎重なのも、そうしたヤ◯ザ者を入れないようにするためだとも考えられますね。
↑
成る程…そうだったのですね♪♪♪
>私はそれとは逆に不覚にも反射的に相手に平手打ちを入れてしまい警察に通報されて「暴行の現行犯」として連れて行かれたこともあります。それも全くの私の不覚でありましたが、武道や格闘技の試合が唐突に始まるものでもなく、正式なる書面での契約を交わして行われる正社会的なものだということを再確認したわけです。
南郷継正みたいですね♪。
>40代で格闘技の試合に出たときも、実弟の友人だった人から「◯◯君のお兄さんですよね?」と声をかけられて、その相手は自衛官を職業として選んだので好きでなくとも格闘技の試合に出ると業務上の評価が上がるらしいです。では、そんな職場上の理由もなくリングで殴り合い蹴り合いをしている私は単に暴力行為が好きな人間?相手を殴り蹴りすることに快楽を覚える人間?
いえ、勿論そんなことはありませんよ。
↑
私には、他人を殴る快感は皆無です。
殴って怪我をさせたら後悔です。
体罰でも、真の愛のある体罰と憎しみからの体罰があります。
>私が格闘技の試合をやっていたと述べたことからtada氏は芦原空手や大東流を話題にしたのかも知れませんけど、私にしてみればそれはコミュニケーションの方向としては適当ではなかったわけです。
↑
私も…実は、どうやら…他人とのコミュニケーションケーションが苦手のようですね。
上記の記述は、これまでなら…またまた作り話を…なんて思っている自分を感じています。
つい最近、私は、私の教員時代の事を思い出しました。
確かに過去の私は、児童達の「立って気を付け」の姿勢、足の踵がついていない児童の踵を蹴り、その真っすぐ伸びていない指先を叩きました。
しかし、今の私なら、優しく手で踵・手を触って厳しい言葉で「ピタと付ける」…と指導する事でしょうね。
実際に、障害児が、ちょっとした言葉でキレる・行動停止…を目の当たりでみて…
極めつけは、愛柴犬マロンの私への食いつき行為です。
私は、全力で他人を怒鳴る事は、あっても、全力で他人を殴る・蹴る・傷つける行為は皆無です。
私は、心から相手を攻撃した事はありません。
自分を平手打ち・殴る事はなかった…と思います。
ただ、中学部での教員時代に、生意気な男子の胸倉をつかんで、注意・脅した事はあります。
ただ、その後のその男子の態度は、とてもよくなりました。
以前の私は、街中の中・高生性に…に怖い感じがしました。
そうそう小田原に住んでいる高校時代から今での親交の友達の家に遊びに行った時、
黒服の集団を遠目でみました。友達から「あれ!ヤクザ…」と知らされて…
普通の人々とは、違った印象でした。
そうそう…南郷継正も過去の指導で、
その心・感情を変える為に「女性の弟子に平手打ち?」した経験が書かれていましたよ。
私は、中学時代に、二度、(担任と体育の)教員に「平手打ち」されました。
リレーの選手決めで、全力で走るって、代表になりたくない(ほぼクラス全員)ので、
他のクラスメートとわざわざゆっくり走った所、
数人まとめて、連続的な「平手打ち」です
そして、やりなおし走の時、私は、わざと躓いたふりをして代表逃れをしました。
私は、平手打ちの体罰でも、自分の、その意志を変えなかったのですね。
中学生にただの一言も説教の無い体罰は無効ですね。
もう一回は、運動会の時に、担任の誤解から平手打ちです。
それは、運動会の準備の時に、隠れて怠けていた私に説教して…
それを聞いて、現場へ戻ろうと歩き始めて私を、誤解して平手打ち。
その担任の誤解しとは、私の戻ろうとして選んだ道筋を、彼は、「私がまた怠ける」と勘違いした事。
その理由は、私が通ろうとして道は、担任から観ると途中に障害物(具体的に何かは忘れた)があり、道が見えていなかった。
平手打ちをされても、私は、またその道を行き、準備中の現場に到着…
そして振り返った時、担任の顔にシマッタ的表情を見ました。
早々…大学時代にも平手打ちでした。
それは、大学の教養行事で、コンサートの鑑賞の時です。
二階席での鑑賞、小休止の時、横の友達が、紙飛行機を折って、立って飛ばすマネをしていた姿を見て、私が代わりに二階から飛ばしたのです。
すると…少したって、大学の体育担当の先生が、飛行機を手で持って「誰だ?」
私が立った、「私です!」と言ったかどうか覚えていません…
そこで、無言の一発の平手打ち!理由を尋ねる事無く、説教もなく(罵倒はあったかも…)、それで終了です。
まさか…小学生であるまいし…自分から進んで、飛行機を飛ばす訳ないのに…
多分…当時の私は、彼の冗談としての「飛行機・飛ばし行動に腹を立てたのでしょう」
そうそう小学生の頃、当時は寮生活でした。
あっちとこっちの二つの子供集団が対峙している時、向こう集団の私より一つ上の男子児童が、わざと石を投げられて、当てられたふりをした。
その姿を見た私は、本当に石を投げた、彼には当たらなかったが…
起こった彼は、私に近づいて…殴ったか・殴ったふりをしたかは不明…
今考えると、たぶん殴る振りをして私を脅したのでしょうね。
そこで私は大泣き!で寮に帰ったか不明…、
ただそんな私を同級生の女子児童が慰めてくれた事は記憶。
今回の弥勒さんは、非常に男性的ですね…
その肝の座った心・認識が、私も欲しいですよ。
「弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは、」
お釈迦さまの次に仏となることを約束されている菩薩です。菩薩の中でも最高位にあたり、慈しみによって生あるものすべてを救うという菩薩です。
「弥勒菩薩は」
大乗仏教の代表的な菩薩の1つで、慈氏や慈尊とも呼ばれます。サンスクリット語の「マイトレーヤ」は「慈愛」を意味します。
「弥勒菩薩は」
釈迦入滅後56億7000万年後に兜率天から地上に降り、釈迦にかわって衆生を救済するとされています。現在は兜率天という世界で修行中の菩薩ですが、弥勒仏とも称されます。
「菩薩(ぼさつ)とは
仏教の術語で「悟りを求める人」を意味します。サンスクリット語の「ボダイサッタ」を略したもので、「ボダイ」は「悟り」、「サッタ」は「生きる者」を意味します。
「菩薩は」、
仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者です。また、悟りをえた人を仏とするなら、菩薩とは仏にいたる過程にある者をいう言葉でもあります。
「菩薩は」、
如来のすぐ下の位にあり、如来の意志に従ってさまざまな姿に変わります。そのため女性のような姿をしていたり、頭上に顔がたくさんあったり、手が千本あったり、と多様な外観をもつのが大きな特徴です。
「如来(にょらい)」とは、
仏教用語で、真理を悟った仏陀を意味します。仏陀の10の称号である十号の一つで、仏教の開祖である釈迦のみを指す言葉でした。
「如来は」
サンスクリットの「タターガタ(梵: तथागत, tathāgata)」の漢訳で、「真如から来た者」という意味です。「如」は「ごとし」と訓読みし、「ありのまま」すなわち「真実」、「真理」の意味があります。「ガタ」とは「来れるもの」の意味があります。
如来は仏像の中で位が高く、仏教が成立した当初は仏教の開祖である釈迦のみを指しました。釈迦は本名をゴータマ・シッダルタといい、インドの貴族「釈迦族」の王子として生まれました。釈迦族出身の如来のため「釈迦如来」と呼ばれるようになりました。
如来の尊称がつくのは、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などです。
仏教では「優しさ」を「慈悲」と言います。慈悲は「慈」と「悲」を組み合わせた言葉で、「慈」は「人を幸せにすること」、「悲」は「苦しみを取り除くこと」を意味します。
優しさは、その人が生まれ持った感情や育った環境に依存するもので、相手がいなくても成立します。一方、慈悲は、仏や菩薩が人々や生命あるものの苦しみや苦悩を除き、楽や幸福を与える心です。慈悲深い人は、自分が苦労することをいとわず、他人のために尽くす行動をとります。
ナイーブ(naive)は、フランス語で「童心的」「うぶ」「世間知らず」「お人よし」「無警戒」「ばか正直」を意味します。
日本では、飾りけがなく素直であるさま、純粋で傷つきやすいさま、単純で未熟なさまを意味します。また、近年の日本では「sensitive」に近い意味で使われることもあります。
繊細(せんさい)には、次のような意味があります。
物の形が細くて小さいこと、ほっそりとしていて優美な様子
感情などがこまやかであること
繊細は、外見的な意味で用いられる場合は「外見がか細く美しいさま」を表します。しかし、一般的に繊細という言葉は、内面的なことを表す意味を指して使われることが多いようです。
繊細な人とは、ひといちばい感じる力が強い人です。音や光、相手の感情など、まわりの人が気付かない小さなことにもよく気付くため、疲れやすかったり、ストレスを感じやすかったりします。
主にメンタルヘルスの分野において、対人関係がうまく保てないほど感受性の高い人、とても敏感で傷つきやすい人などを指す表現とし...
日本では、飾りけがなく素直であるさま、純粋で傷つきやすいさま、単純で未熟なさまを意味します。また、近年の日本では「sensitive」に近い意味で使われることもあります。
繊細(せんさい)には、次のような意味があります。
物の形が細くて小さいこと、ほっそりとしていて優美な様子
感情などがこまやかであること
繊細は、外見的な意味で用いられる場合は「外見がか細く美しいさま」を表します。しかし、一般的に繊細という言葉は、内面的なことを表す意味を指して使われることが多いようです。
繊細な人とは、ひといちばい感じる力が強い人です。音や光、相手の感情など、まわりの人が気付かない小さなことにもよく気付くため、疲れやすかったり、ストレスを感じやすかったりします。
主にメンタルヘルスの分野において、対人関係がうまく保てないほど感受性の高い人、とても敏感で傷つきやすい人などを指す表現として「繊細すぎる」という表現があります。いわゆる「HSP」(Highly Sensitive Person)を日本語で言い表す語として知られています。
「繊細すぎる(せんさいすぎる)」の意味や使い方 わかり ... - Weblio辞書
活元運動(かつげんうんどう)とは、野口晴哉が提唱した野口整体の要素のひとつで、身体自らが不調を回復する動き、またはそのための体操法・行法です。
活元運動とは、クシャミや欠伸といったような、体がひとりでに動いてしまう、生理学で言う「錐体外路系(すいたいがいろけい)運動」を訓練する運動です。
人間の体には、生まれつき自分で自分の体の歪みやこわばり、異常を自動的に調整する働きが備わっています。整体法では、このような、自分の体を自動的に調整しようとする働きを「活元運動」と呼んでいます。
活元運動は、体の力を抜き、頭で考えることをやめて、体の自然な動きに任せることで、無意識の運動(意識しない運動、錐体外路系運動)を訓練していきます。
活元運動は「動く瞑想法」とも呼ばれ、「体という無意識」と「意識」との対話を深めていくものです。
いや~感謝です。
過去の記憶が鮮明になりました。
以前ずっと以前に、読み知った事。
それは、剣道での免許皆伝試験?の事。
入口に、上から落ちてくる「仕掛け」を仕掛け、
三人の受験者~
一人目、気付かずに、入って、それを瞬間的に避けた。
二人目、気付いても、入って、それを余裕でもって瞬間的に切り捨てた。
三人目、気付いて、それを外して、余裕を持って、入室。
剣道の達人の「鞘の内」ですかね。
私は、40歳位の時、生まれて初めてストリートファイティングです。
その相手は、大学・高校生位で…、信号青での横断時、
すれ違った時に、相手のペットボトルと私のハンガーの束がぶつかって落ちた。
その時、相手が、落ちてはいても、ヒビも割れる事も無いの「弁償しろ!」とボトルを突き付けてきた。
私は、どうしたか不明ですが、気付いたら殴り合い…残念な事or幸い?な事に、一発で殺す事無く、
殴り合いが続き…疲れた相手が、殴るのを止めて、離れました。
でも、彼は、途中のウインドウガラスに映った自分の姿を見たのでしょか(そんな記憶が)…
また戻って来て、ハンガーを拾っていた私へ殴り掛かった…?(記憶曖昧)
確か下を向いて、しゃがんでいる私の上から、殴った?・蹴った?その足を取った?…不明です。
その後、途中に私を蹴って来?たので、そのズボンを掴んで…結果ズボンが切れて…
そのズボンを見た彼は、「警察へ行こう!」と言ったので、私は即走って離脱…
相手が追いかけて来たので、途中のパチンコ店に入って別の出口から出て、行きつけの雀荘で、時間稼ぎ…
鏡を見たら、自分の顔面に一つ・二つ程度の軽い傷があった。
私は、決して相手を恨む・憎む気持ちは全くなく、
興奮する事もなく、ただ相手に対応していた。
そこには、恐怖感も皆無!
相手から迫力ゼロ。
ただ…相手のバカさ加減
たかが落としたペットボトルに弁償!
全く飲むのに支障なし、なのに弁償!
相手が、おじさん・じじいだと…なめていた、のでしょうね…
相手の顔は、私のスピードはあっても、破壊力があまりない突きで…
翌日は、酷い顔だったと想像しました。
ボロボロ・キレたズボンで帰宅したのでしょうね…
そうそう…父がパチンコ店経営の時、その駐車場で、歩行者を、かすった・ぶつかった?だったかな…
警察への届けなく、その後、その男が、店の事務室で父と話している場に私もいました。
私が、父と話しているその男の横顔を真面目に視ていたら、
彼は、丁寧に、「私の顔に何か?」との言葉に違和感を感じて、
敢えて、「スミマセン「ぼー」としていて…気づきませんでした」と嘘を吐いたが…
後で、父曰く「あれはヤクザだ!」
「
〇一人目、気付かずに、入って、それを瞬間的に切り捨てた。
>弥勒
>・コメント
>年末、自由びとさんが語っていた「どうして飛翔隊ジュニアが続かなかったのか?」ということに関しては京都の寄筆さんがYouTubeで説いているように「べき論」「ねばならない」という考えを捨てれば怒りや落胆が無くなるものだとは思いますね。
>「飛翔隊ジュニアは続けるべきだった」と考えなければいいわけです。
「べき論」から「怒りや落胆」を感じるのは、その「へき論」の内容が不味いから…
例えば、
「組織の指導に従うべきだ」、
それができないなら「組織から脱退すべきだ」、
脱退して自己の不利不利益が生じたも、それは自己責任だと思うべきだ、
そう思えないなら、そんな「べき論」は止めるべきだ。
また、べき論を自分自身だけにして、他人への「べき論」はマズイですね。
私は「>「飛翔隊ジュニアは続けるべきだった」なんて考えた事もありません。
ただ、飛翔塾で一緒に稽古・練習した〇タの空手の達人姿を見たかったのです。
彼らには、「空手を指導してくれない…」という不満があった…と聞きました。
だとしたら、それは、彼らと玄〇会の空手・練習…の概念に相違があったのでしょう。
それならば、玄〇会の空手概念を知らなかったor信じなかった彼らの責任。
また、その概念を信じされられなかった指導者の責任でしょうね…
>ですが、私も自分自身の経験から考えるなら田◯さんが肥◯さんを掛稽古で倒したのは「今後は俺がお前の教育担当だ!」との意志の表明で、当時の現役トップクラスの田◯さんから指導を受けることは肥◯さんの玄◯会の中での道が開かれたということだと思いますよ。
↑
う~ん…
〇タさんの真意は分かりませんが…
天狗になっていた鼻をへし折られて…自信喪失?
それとも…当てられたショック・恐怖でタ〇さんから逃げた。
もっとも…私なら、そんな怖そうな相手との係稽古は…初めからやれません。
というか…そんな相手と防具なしでは、やりません!ですかね…
>しかし、その後の肥◯さんの行った道を見るならば極◯会館の黒帯となり某合気柔術の指導者となって自分の道場を持ったわけです。さらに柔術の試合にも出ていたようで、昨今の総合格闘技のパウンド(寝技で固めてパンチする)を研究していた節もありますね。
↑
苦難の多い武道空手の達人への道よりも、もっと楽に到達可能な道を選んだ、という事ですかね…
>実際の歴史的にも哲学史的にも専制・絶対王政への反論は「自分は誰の所有なのか?」という所有権にあったように肥◯さんの道は肥◯さんが望んだ方向に行くのが正道なのでしょう。
↑
確かに、どんな道を選ぶかは、当人の自由ですね。
ただ、それが、心から進みたい道ならば…
逃げて行った道が、それなら、私は後悔します。
私は、教師の道を止めて、商売の道を選んで、結局は続けられず…
また…教育の道(塾講師・家庭教師・補助員)へ戻りました。
とても飽きやすい私には、コロコロ変わる子供相手の仕事が、その変化が楽しい、ようです。
再度の確認をしておきますが…私は〇タさんの武道空手の達人姿を見たかっただけなのです。
決して、「「飛翔隊ジュニアは続けるべきだった」とは、考えません。
ただ…南郷継正が書いている通り、現代では「武道の達人養成」が可能なのは、玄〇会だけだと思っていますが…
>ここに絡んで自由びとさんに以前お話しした「今日大学関係の教授の自由論」にエンゲルスの『空想から科学へ』からの引用で「必然の国から自由の国へ」という言葉が書いてありました。
>これが南郷先生が「カントは数学や物理学を専門にしていた」との否定的な発言に繋がるのかとの感触を得て、自由びとさんの「弁証法は法則である」という考えに対立するものだと思えました。
↑この文面も理解不能です。
そもそも…弁証法は法則ではなく、弁証法性の法則化、です。
なので、ある法則は、弁証法の適用の結果であり、弁証法そのモノではありません。
言うなれば、「弁証法性の法則化の方法」の法則の技化が「弁証法」なのかな…
>大陸合理論も数学を下敷きにしていたから必然性とか決定論になったということかな?とね。
上記の文面、今の私には、よくわかりません。
「自由とは、必然性の洞察、である」…そんな言葉が浮かました。
その必然性の判断内容に、数学・確率論を使ったのかな…
何が必然性か?
ホールインワンの確率が、どんなに少なくても、初心者の初めてのホールインワンは、ほぼ100%です。
何しろ、ゴルフ始めたばかりの者のホールインワンなのですから…
確率はあくまで数字であり、現実界は、確率論的はいきません。
また経験も人それぞれであり、全ての人間が、みな同じ経験をする事は、不可能です。
「大陸合理論は理性」的で、「経験論は感性」的で、
この二つの対立物の統一が、真の人間的かな…