新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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一般的と具体的

2021-06-02 11:09:00 | 哲学言葉シリーズ
一般的と具体的

先週の事である。

三年生男子二人の通常級「音楽」への交流授業へ参加した時の事~
二人は少々開始時刻に遅れて音楽教室に到着、児童達は座って合唱していた。
その後、立ってリズムに乗って動きながらの合唱が始まった。

その時、席を立とうとしない二人に私は、
「立って歌おうね!みんなも立って頑張っているよ…」と促した。

そんな私の言葉にK君が「…さんかい…」
そんな理解し難い言葉に私は聞こえないふりで「…やろうよ!」と繰り返していた。

そんな私にK君は「…さんかい…」と繰り返し言っていたので、
隣に座っていたE君に「…どういう事?」と尋ねたら、
E君が「みんなの教室は三階で、僕たちは一階だから…」と教えてくれた。

その言葉に私以下のように納得した。

一階から四階の音楽教室まで階段を上がって来て、
直ぐに、立って動いて歌うのは無理なのかも…と…

でも…少し考経って…以下のような事に気付いた。

確かに、
四階の音楽教室に来るのに、
一階の特別支援学級教室から来た二人は、
三階の三年教室から来た他の児童よりも疲れている筈である。

でも…しかしである。
今は、五校時の「音楽」授業であり、その前は昼休み時間であった。
殆どの児童達は一階の校庭で遊んでいた筈である。
そんな彼らも、K君・A君と同様に、一階から四階へと上がって来た筈である。
もっとも…彼らは一度三階の教室へ寄って「音楽バック」を持っての四階上がりではあるが…

ならば、K・A君二人と他の児童の疲れ具合に大きな違いはない…筈…

以上の流れを論理的にみるなら…


私の一般論「みんなは頑張っているから二人も頑張ってやろう」、
K君の具体論「教室一階の僕たちの方が、教室三階の皆より疲れていて頑張れない」
そこで私も具体論「五校時の今日は、皆も一階校庭から四階へ来て疲れは同じ」


とかく…大人の説教は一般的レベルで始まるモノである。
しかし~それを子供は具体的レベルで理解し反論する。
そこで、大人には、その具体的事実に合わせた一般論の適用が求められる。


「皆と同じにやろう…」と言っている私、
「僕たち皆と違うからやれない…」と主張する児童、
「違うかも知れない…でも今日は皆同じだからでやれる…」と指摘する私、







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